木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

八神純子『雨の日のひとりごと』 1974年

2022-03-31 01:03:16 | ラジオ
昨日またカラオケに行ってきた。
夕方5時にエレベーターの工事完了引き継ぎをしたいというので仕事を早く切り上げて家に帰った。
機械室に入って説明を受ける。
完全リニューアルだと思っていたが電気的リニューアルで機械の部分は全て新しくなっているわけじゃないと知る。
その説明は初めて聞いた。僕のミスか?三菱ビルテクノの説明不足か。
とにかく新しくなったのだからあと30年は大丈夫。
地震対策などは格段に進歩している様子だ。
5時20分くらいに話は終わり、そのままいつものカラオケ店に行く。
最近ウィークデイの終了時間が9時から11時に延長になったから。
直前まで5時間半ほど歌ってきました。
こんな歌も歌った。

八神純子『雨の日のひとりごと』

僕は歌手と呼ばれる人とほとんど接点がなかったがこの人だけにはほんの少しそれがある。
74年だから二十歳の頃だったのだろう。仕事しながらラジオを聴いているとめちゃんこ良い声が聞こえてきた。上手い。それは地元の女子高生の声だった。
八神純子16歳の声。
早速ヤマハへ行って第8回ポプコン中部大会のライブレコードを買ってきた。
何度も聞いたね。
聞けば聞くほど味がある。
もっと彼女のことが知りたくなった。
このレコードにその情報があったのかどうか忘れたが彼女の出身区を知った。
個人情報もクソもない時代。僕は〇〇区の八神さんを電話帳で調べた。
これかな?と思うところへ強行突破。もしもし失礼ですがお宅に純子さんという方はお見えになりますか?
優しいおばあちゃんの声
こちらは本家ですので〇〇の方へ掛けてみてください。
一発で情報ゲットできた。
ただ積極的に見えてるかっつん青年も実はビビリで今更気づくのだが直接本人と話す勇気は持ち合わせてなかったわけです。
ただ電話番号がわかったので逆に住所を特定できた。
中学生の頃からペンフレンドがいた僕は手紙書くのはお茶の子さいさい。
まだ芸能人でもない素人の女の子に普通の感じでよく聴いてますってことを伝えた。
返事が来た。
もう一度書いたがもう返事はこなかったから一度だけの幸運だったわけだ。
みるみるうちに彼女は有名になって行った。

このままで接点はなかった。 が、
当時僕は茶道をやっていてそこでのお友達がいた。
夜の部に通ってる人生の先輩のSさん男性と同じ時間に習っている女子大生二人。
四人で名古屋大学のそばの洒落た喫茶店に入った。
座って顔を上げるとワンブロック隣に八神純子がいた。
友達と二人連れだった。
そりゃ言葉かけるっしょ。
純子さんですよね。僕、昔あなたに手紙出したことあるんですよ。〇〇といいます。
ああ、あの字が上手な人ですよね。 と言ってくれたのだがそうですとも言えずに赤面した次第。
実は一緒に入った女子大生二人は彼女と同じ高校大学の2年先輩だったので
二人を指差して あっ知ってる ってなことになったわけです。

ちょっといい思い出でした。
だから
八神純子『雨の日のひとりごと』 1974年

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2 コメント

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おぉ~~ (sake)
2022-03-31 15:07:17
そんなエピソードがおありでしたか。^^
いろんな引き出しをお持ちですね。
八神純子と言えば「思い出は美しすぎて」
妹の元カレがあの歌が好きでリクエストがありました。
歌ってみたもののカラオケでは先にキー変してあって、最後までキーが合わないままうまく歌えなかった記憶があります。
もとのキーが高いので低くしてあったようですね。(^^;
お返事まできたとは、いい思い出ですね。(その後の出会いも)
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sakeさん (かっつん)
2022-03-31 17:33:00
雨の日のひとりごと 思い出は美しすぎて みずいろの雨 の三曲をメモってあります。
基本的にあんまり上手い人の曲は歌えないのですが、無理無理です(笑)
この曲がきっかけで僕も音楽をやり始めたといっても過言じゃないでしょうね。
もっとも人前で歌うことは想定外でしたけど。
その後ポプコンに関わるようになってゆきました。
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