木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

乙女の姿 しばし留めん

2013-01-16 22:59:14 | タイムマシン
中学時代と高校時代
そのお世話になった恩師とはそれぞれ一人ずつ
今でも年賀状のやり取りがある
いやはたしてお世話になったという言葉が適当なのかどうかはよくわからない
高校時代の高野先生は2年の時の担任
その時代から続いているわけではなくて
多分、20数年前のクラス会からじゃないかと思う
それにしても大したものかも
ハンサムで若々しい先生だった
クラス会をやってもクラスの中に溶け込んでどこに先生がいるのかわからないくらい
でも、ぶっちゃけ言うとそんなに好きな先生でもなかったわけだ
そのころ足の甲の骨が少し欠けたことがあった
体育の時間にサッカーボールを向こうからとこっちからと同時に蹴った際
運悪くその衝撃での結果だった
母親がそのことを先生に報告した
「えっ、そんなことで骨折?」
「なんて・・疑ってるんだよあの先生」 と言われたことがまだ頭の中に残ってる
今年の賀状には
根気がなくなりました などと少し弱気な言葉が綴ってあった


もう一人は中学3年の時の担任、鳥本先生
この人とは卒業以来ずっとしてると思う
今考えると当時まだ若い先生だったがその若々しさをあまり感じなくて
ベテランの雰囲気を持っておられた
国語の教師で・・・
鶏ガラのように痩せた顔で笑いかける
実はこの年、僕は前期も後期も学級委員だった
結構校内では優秀だったのだ
でも、どうしても担任の教科「国語」で「5」が取れない
先生はなんとかしてお前に5をやりたい と思っているのにどうしても残念ながら上げられない という顔でいつも僕を見てたような気がする
それはわかってたから、僕は鳥本先生は好きだった
「先生になるのも悪くないぞ」
そう言われたことはずっと心の奥にしまってある


ある日、理科室でだったかなぁ
国語の授業の時に、百人一首のカルタ取りをする機会があった
みんな、のんびりした奴ばかりで、上の句を読んで下の句に行くまで誰も字札を取るのがいなかった
で、僕は狙っていた
あれが来たら絶対に取るぞ、と
半分も過ぎて、残り三分の一あたりになったとき
「あまつかぜ~~~」
「はい!」

先生の顔が全部笑顔になった
「おまえぇ、それだけは知ってるのかぁ」
僕の唯一の切り札は
「天津風 雲の通い路 吹き閉じよ
   乙女の姿 しばし留めん」

をとめのすがたしばしとどめん
いい言葉だ
当時からそう思っていたが、今言葉にしてみるともっと実感が湧く

坊主捲りをすると全財産を一度に放出させられる「坊主」だけれど
この絵札を見ると、先生のあの笑顔が思い出される
いつまでも元気でいてください

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