音楽の時間が大っ嫌いだった僕が流行歌に興味を持つようになったのは小学6年の頃だった
調子っぱずれで僕が歌うといつももっちゃんに大声で笑われた
でもそのもっちゃんを黙らせたのは野球部の集まりで長島温泉へバスで遊びに行った時だった
植木等の「スーダラ節」だ
ちょっとだけ自分なりにものまねの要素を織り込んで歌ったら大受けした。
別に上手かったわけではなく小学生がこんな歌を歌ったことが受けたんだと感じてはいた
でも唱歌ではなく流行歌が少し好きになった。
そんな頃一世を風靡していたのが御三家 橋幸夫 舟木一夫 西郷輝彦
それに加えて四天王の一人 三田明がいた。
僕は舟木一夫(コロンビア)も西郷輝彦(クラウン)も大好きだったけど、ビクターの星 橋幸夫と三田明は「好き」以上の尊敬の対象のような位置にいた。
その二人の先生が吉田正という人だった。
昨日録画しておいた「昭和の巨星スペシャル 吉田正」を見た
吉田正は戦争で満州にいた
その地で「昨日も今日も」という曲を作って戦友たちと歌っていた。
終戦を迎えてソ連軍の捕虜となり昭和23年まで生きるか死ぬかの苦しい抑留時代を経験する
8月に舞鶴港へ帰還する
巷では「異国の丘」という曲が流れていた。
佐伯孝夫という人が詞を書き直していたが作曲は「詠み人知らず」
あの曲は正しく自分の書いた曲
もどかしさと誇らしさの両方を感じたのだが
手書きの楽譜などはすべて没収され、自分の曲だという証拠はない。
異国の丘 三浦洸一 三田明 橋幸夫
そんな思いでいるときに朗報が届いた
戦友だった一人の手帳が公開されたのだ
「異国の丘」ならぬ「昨日も今日も」の譜面 そのメロディラインは正しくあの「異国の丘」だった
吉田正とある。
もしこれが見つからなくてもきっと吉田正という人は世に出て戦後の歌謡界で活躍されたのだろうが
この発見によってそれが早まり、三浦洸一 フランク永井 松尾和子 マヒナスターズ 橋幸夫 三田明 そして吉永小百合の存在が確固たるものとなったのだろう。
僕自身も恩恵に与った一人と言っておく。
昭和 良き時代。 まさか「異国の丘」でブログ書くことになるなんて思いもしなかった。
乾杯乾杯・・・
調子っぱずれで僕が歌うといつももっちゃんに大声で笑われた
でもそのもっちゃんを黙らせたのは野球部の集まりで長島温泉へバスで遊びに行った時だった
植木等の「スーダラ節」だ
ちょっとだけ自分なりにものまねの要素を織り込んで歌ったら大受けした。
別に上手かったわけではなく小学生がこんな歌を歌ったことが受けたんだと感じてはいた
でも唱歌ではなく流行歌が少し好きになった。
そんな頃一世を風靡していたのが御三家 橋幸夫 舟木一夫 西郷輝彦
それに加えて四天王の一人 三田明がいた。
僕は舟木一夫(コロンビア)も西郷輝彦(クラウン)も大好きだったけど、ビクターの星 橋幸夫と三田明は「好き」以上の尊敬の対象のような位置にいた。
その二人の先生が吉田正という人だった。
昨日録画しておいた「昭和の巨星スペシャル 吉田正」を見た
吉田正は戦争で満州にいた
その地で「昨日も今日も」という曲を作って戦友たちと歌っていた。
終戦を迎えてソ連軍の捕虜となり昭和23年まで生きるか死ぬかの苦しい抑留時代を経験する
8月に舞鶴港へ帰還する
巷では「異国の丘」という曲が流れていた。
佐伯孝夫という人が詞を書き直していたが作曲は「詠み人知らず」
あの曲は正しく自分の書いた曲
もどかしさと誇らしさの両方を感じたのだが
手書きの楽譜などはすべて没収され、自分の曲だという証拠はない。
異国の丘 三浦洸一 三田明 橋幸夫
そんな思いでいるときに朗報が届いた
戦友だった一人の手帳が公開されたのだ
「異国の丘」ならぬ「昨日も今日も」の譜面 そのメロディラインは正しくあの「異国の丘」だった
吉田正とある。
もしこれが見つからなくてもきっと吉田正という人は世に出て戦後の歌謡界で活躍されたのだろうが
この発見によってそれが早まり、三浦洸一 フランク永井 松尾和子 マヒナスターズ 橋幸夫 三田明 そして吉永小百合の存在が確固たるものとなったのだろう。
僕自身も恩恵に与った一人と言っておく。
昭和 良き時代。 まさか「異国の丘」でブログ書くことになるなんて思いもしなかった。
乾杯乾杯・・・
中学生だったのかはっきり覚えていませんが「異国の丘」と言う映画をテレビで見ていました。
そのシーンでシベリアで抑留されていた兵士たちが「異国の丘」を歌われていました。
当時はタイトルがなかったようです。
その兵士の中に吉田正さんもいたような気がします。
内容はさっぱり憶えていませんが、子供ながら泣けた映画でした。
歌が巷でヒットし、作曲された方を探していると吉田正さんが名乗られたと言う話を父から聞きました。
吉田正さんが世間から認められた最初の曲ですね。
吉田正さんがテレビに出演されて、吉永小百合さんと「いつでも夢を」歌われるシーンを時たま見ました。
吉田正さんは、恥ずかしそうに歌われていました。
吉永さんは歌の愛弟子だったと思いますが、吉田さんは吉永さんのファンだったのでは?(笑)
探求心ゼロの私は好きな歌があってもその背景を探ることもなく、この年まできてしまいました
かっつんにしてもmasaさんにしてもブログを書かれるときにそういうことをちゃんと考えたり、調べたりされるのがすごいなあと思います
吉田さんの吉永さんへの入れ込みは嫉妬するくらいだったようです。
まぁ普通の男ならしょうがないことでしょうね。
masaやんは 体型が と言われるかもしれませんけど(笑)
橋・吉永コンビは「いつでも夢を」以外にもいくつか歌ってますよね
https://www.youtube.com/watch?v=J6PMXWDzY48
https://www.youtube.com/watch?v=2enjo7B5o8o
とか
https://www.youtube.com/watch?v=enUS5YzODQI
こんなのもよく聴きました。
レコードというよりソノシートだったりして(笑)
ただあの真面目そうな歌声はしっかり憶えていました。
よく「平凡」や「明星」で知識を得てましたね
あの付録の歌本が懐かしいです。
今でも欲しい(笑)
調べるのは楽しいから調べるだけでかずちゃんも自然にやっておられると思います。