仕事中にラッキーマンが来た
材木屋なのだが85歳の今も一匹狼の材木屋だ
と言っても自分では半分退職してる
知ってる人に頼まれた時だけ材木市に出て買い付けをして製材所に送り寸法の指示をする
この前朴とブナを買ってもらって製材所で丸太を板にしてもらった
その中で欲しい厚さの物があったから取りに行きたかったがちょっと量が多いので
運送屋さんに頼んでおいたら昨日届けてくれた
その結果を見に来たわけだ
運賃は払っておいたよ と言ったらそれでOK
「わしの方から請求しなかんか聞きに来た」 というものの
ちょいと暇だったから遊びに来た風(笑)
昔と今の違いをまた自然に話し出す
リンク先では彼の幸運度を書いたのだがここでもちょっと書いとくと
毎月200万くらいの材料を同じ家具屋が買ってくれてたがそれを乾燥させる場所として
名古屋の中心地で借りていた
ところがその土地の持ち主の会社がどうしてもそこが必要となって返してくれという
そこで名古屋の北にある小牧市に280坪700万の土地を苦労して手に入れた
10数年後その土地を小牧市が売ってくれと言ってきて4500万で手放した
その時は材木業もピークを過ぎお客の材くらいは製材所で預かってくれるようになったから
4500万これは小牧市に売ったから税金はほとんど免除状態
すぐ使う予定もない
世はバブル直前の高金利時代だ
彼は銀行の定期に入れずに郵便局の定額貯金にした
これだと10年間金利は変わらない 当時は7~8%あったはず
そうすると10年後に倍になる
当時はただ預けておくだけでこういう結果だった
結局息子と娘の住宅資金にその4500万は使ったのだとか
今では考えられない結果だ
実際僕らも定期が倍になったと思ったものだがせいぜい10万が20万になったと喜ぶくらいで
4500万が9000万になるとは考えたこともなかった
土地を返してくれと言われなかったら280坪の土地を無理して買うこともなかった
あの時は苦労したけど巡り巡って大金が転がり込む結果になる
人間には曲がり角があるんだよ
本当に迷って迷って決断することもあるだろうし、分かれ道で自然に導かれて行く道もある
そういえば僕もここで何回か書いたことがあるが、マンション建設を視野に入れつつ結局仕事場付き二世帯住宅にしようと決断した時
建築中に一時仕事場を借りたくて当時廃業を決めた今の仕事場のオーナーさんのところへ
「半年ほど貸してくれませんか?」とお願いに行ったら
「半年くらいだったら、気が進まんなぁ ずっと借りてくれんか?」 と言われて
急転直下マンション建設の方に舵きりした経緯があった
もし、「半年?いいよ」 って言われてたら今頃木工所だけでは破たんしてたかな?・・
そこが僕の大きな?小さな?天下分け目の合戦だったのかもしれない と思うわけです。
材木屋なのだが85歳の今も一匹狼の材木屋だ
と言っても自分では半分退職してる
知ってる人に頼まれた時だけ材木市に出て買い付けをして製材所に送り寸法の指示をする
この前朴とブナを買ってもらって製材所で丸太を板にしてもらった
その中で欲しい厚さの物があったから取りに行きたかったがちょっと量が多いので
運送屋さんに頼んでおいたら昨日届けてくれた
その結果を見に来たわけだ
運賃は払っておいたよ と言ったらそれでOK
「わしの方から請求しなかんか聞きに来た」 というものの
ちょいと暇だったから遊びに来た風(笑)
昔と今の違いをまた自然に話し出す
リンク先では彼の幸運度を書いたのだがここでもちょっと書いとくと
毎月200万くらいの材料を同じ家具屋が買ってくれてたがそれを乾燥させる場所として
名古屋の中心地で借りていた
ところがその土地の持ち主の会社がどうしてもそこが必要となって返してくれという
そこで名古屋の北にある小牧市に280坪700万の土地を苦労して手に入れた
10数年後その土地を小牧市が売ってくれと言ってきて4500万で手放した
その時は材木業もピークを過ぎお客の材くらいは製材所で預かってくれるようになったから
4500万これは小牧市に売ったから税金はほとんど免除状態
すぐ使う予定もない
世はバブル直前の高金利時代だ
彼は銀行の定期に入れずに郵便局の定額貯金にした
これだと10年間金利は変わらない 当時は7~8%あったはず
そうすると10年後に倍になる
当時はただ預けておくだけでこういう結果だった
結局息子と娘の住宅資金にその4500万は使ったのだとか
今では考えられない結果だ
実際僕らも定期が倍になったと思ったものだがせいぜい10万が20万になったと喜ぶくらいで
4500万が9000万になるとは考えたこともなかった
土地を返してくれと言われなかったら280坪の土地を無理して買うこともなかった
あの時は苦労したけど巡り巡って大金が転がり込む結果になる
人間には曲がり角があるんだよ
本当に迷って迷って決断することもあるだろうし、分かれ道で自然に導かれて行く道もある
そういえば僕もここで何回か書いたことがあるが、マンション建設を視野に入れつつ結局仕事場付き二世帯住宅にしようと決断した時
建築中に一時仕事場を借りたくて当時廃業を決めた今の仕事場のオーナーさんのところへ
「半年ほど貸してくれませんか?」とお願いに行ったら
「半年くらいだったら、気が進まんなぁ ずっと借りてくれんか?」 と言われて
急転直下マンション建設の方に舵きりした経緯があった
もし、「半年?いいよ」 って言われてたら今頃木工所だけでは破たんしてたかな?・・
そこが僕の大きな?小さな?天下分け目の合戦だったのかもしれない と思うわけです。
物価だけでは勿論ダメ
それ以上に普通は給料が上がります
そう言う物のはず
今は一番大事な昇給
一部の大きな会社だけになったような気がします
あっそれと公務員
この記事のラッキーマンは最初営林署に勤めたんだそうです
そうするともう20代の前半で自分の将来のすべての収入が計算出来て
こりゃやってられんわ と思ったようです
インフレの時代は役人より一般人が正解です
会社員より自営業 ってこともあったかもしれません
幸せを感じる心
いいですねぇ
日本人自体が不感症になってるんじゃないでしょうか
https://atnd.org/events/13639
色んな分岐点を通過して何処に行くんでしょうか
こういう存在を全く知りませんでした
最近何やってるのかと言えばリズちゃん達の相手か多肉ちゃんと戯れるか
そんなイメージだったけど福祉のボランティアやってんだ
えらいねぇ
主に宴会係ってこともないんでしょ?
そういう意味も含めて人の心の窓の開け方は上手そうだよ
それなりのリタイアの仕方 これも分岐点での決断だったんでしょう
後悔はしてない? よね(笑)
ボランティア頑張ってください
うちは最初は5.81だったのですがそれでも今から見ればすごい金利でした
それでも昔は右肩上がりの経済成長してましたから
収入は上がる一方でしたもんね
だから借金した方が勝ちでした
そう言えば定額貯金には限度額があったんでしょうか
確かマル優ってのがあって利息に税金がかからないの300万でしたかねぇ
銀行郵便局別々だったような気がしますが
それに簡易保険もあったような・・・
徳重の山とはそりゃまぁ豪勢な
時々行きますが、にぎやかです(笑)
勝ち組とは言いませんが木工一本に絞ってたらかなり厳しい結果になったと思っています
業界はそういう環境なんです
でもまだ終わったわけではありませんから
これから逆転ホームランが打てないとも限りません(あり得ないか(笑))
昔は嫁入りとなると相当なこしらえをするものでしたね
僕の妹なんかも家具、着物、車など何百万か持って行きましたもん
確かにそれが良い時の定額貯金だったらどんだけすごいことか
もう二度とあの利率にはならないでしょう
政府の借金が膨大ですから金利は上げられません
日本全体が縁の無い人ばかりにならないようにしてゆきたいものです
今のところ正解だったんじゃないかと思う程度です
というのはあれから仕事の環境が悪くなりましたからね
数のあるものは全部中国行きでもうこなせなくなりましたから
勿論それでも儲けるところは儲けるでしょう
うちはそこまでは無理でした
だから同業者も減る一方です
>私は残念ながら金銭面では良い選択をしなかったようです
masaやんの選択もまだ終わったわけではありません
これからも分かれ道が来るはずです
株で起死回生の銘柄を手にするとか、宝くじが当たるとか
これからこれから
物価も上がったけど、そういう時代でした。
物がこれだけ豊富になったけど、
幸福度が低いのは、残念な結果です。
私は、けちけち生活してるので、
美味しいもの食べたりすると、
かなり幸福度を感じられます。
これは、いいことなのかなって思うことにしてます(笑)
その時あなたは・・・どうする。
災害カードゲームがあるんですよ。
YESかNOで答えるゲーム
凄く奥が深い答えが出てきます。
災害の場所に出向いて、大きなことはできませんが、自分の地域で福祉関係のボランティアをしています。
ブログには書いていませんけど、4年目に入ります。
人の心の窓を、開けるのは、難しいよね。
私の分岐点は、仕事をやめ、リズを飼ったことにより、お金を得る仕事はほぼできなくなりました。
それによって自分の住んでいる町に、目がいき、ボランティア活動、できる範囲だけどね。
多分、業突張りな性格を、どうにかせってことかな~~~。
S,56年の時代の郵便局の利子は確か8,68
の定額貯金10年も預けておけば利子も利子
が付いて倍以上になりました。
私の家は、52年から10年間は家のローンを
払っていたんですが変動金利で9,10の時も
ありましたよ、
H,03年に6,86の時も良かったですが限度額
がありましたが56年の時は無い時代でした
でしょうか。それからはもう金利で夢なんか
持てなくなってしまいましたね。
私の友達の旦那さんは天白区の山を買って
いたので今は地下鉄徳重駅が出来て。凄い
発展地になりました。
あの郵便局の定額預金、年利8%
なぜあの時すべてそこに投入しなかったのか今でも悔やまれます
嫁入り道具だった着物を買わずに現金で持ってきて投入していたら、今頃相当な資産が(笑)
でもそうだったら、そうだったで、きっとあれこれ使うことがでてきて、結果はおなじだったような気もしますが・・・(笑)
でもお金というものは縁のある人にはあるし、ない人にはないんですね
つくづくそう思います(涙)
世の中、運を持っている人と運を持っていない人といますね。
その分かれ道の選択が後々影響するんですね。
かっつんとラッキーマンさんは、良い選択をされたようですね。
運が選択する時に味方したように思います。
私は残念ながら金銭面では良い選択をしなかったようです。
何が分かれ道だったかも把握していません。(苦笑)