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パラオ共和国(ベラウ共和国) 1993年  その9

2021-08-09 12:24:44 | 写真 海

   続 ブルーコーナー

 ・・・・・・不安。

 まずは落ち着くことを自分に言い聞かせた。

 残圧チェック。充分とは言えない。

 ガイドと女性三名はすでに20m先にいた。
 水中故に音声による伝達は不可能だ。
 急いで追いつき知らせることも考えたが、それでは私が辰也を、そして辰也が我々を見つけることは絶望的だろう。

 一行を見失しわない程度の距離を保ちつつ出来るだけ現場近くに留まることを選択した。
 残圧計を左手に持ち残りのエアを常時チェックしながら、ただひたすらに辰也の姿を捜した。

 一行の進行が停止した。浮上予定地に達したのだろう。
 初めてガイドが振り返った。指さし確認を始めた。
 一人足りないことに漸く気づいたようだ。
 だが、このガイドは何も行動を起こそうとはしなかった。
 中性浮力を保ったまま減圧停止をしている。
 ただテラスの方を視ているだけだった。

 残圧チェック。針は10を指していた。何があるか分からないので少量のエアを残して浮上。

 海上は僅かな波。視界を妨げられるほどでは無かった。だが浮上してボートを待つダイバーの数が多すぎる。
 驚異の視力(当時は倍の測定距離で2.0が余裕で視えた)を誇る私でも辰也の姿は容易には捜し出せそうもない。

 再び水中に目をやる。テラスの方向に眼をこらす。
 だが水中にもその姿は見出せない。

 息が続かない。シュノーケルをポケットから取り出した。
 マスクに再び装着するのは面倒なので片手で持ったまま使用。

 最悪の事態を想像した。
 何処かに浮上していれば良いがブラックアウトの状態でドロップオフへ。
 それこそ奈落の底に沈んで行ったならばもはや生存の可能性は皆無である。
 それこそ遺体の回収さえもおぼつかない。
 ・・・・・・
 辰也の家族の顔が次々に脳裏を過った。
 ・・・・・・
 パラオでその家族の到着を待つ姿をも想像した。
 ・・・・・・
 何度も、何度も海上と水中戸を凝視した。
  

 減圧停止を終えて一行が浮上してきた。
 ・・・・・・
 すでに辰也の残圧はゼロのはずだ。
 ガイドは何も言葉を発しない。

 私はブルーのBCジャケットを目安にただひたすら辰也の姿を捜した。

 ・・・・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 居た。・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・

 ウェーブのかかった見覚えのある頭が七八十メートル先に浮いていた。
 「辰也!」と叫んだ。
 「辰也!」と何度も叫んだ。
 漸く私の声に気づいたようだ。こちらに顔を向けた。
 「ここだ。早く来い」
 「ここまで泳いで来てください」ガイドが私に続いて叫んだ。
 辰也が合流した。
 「阿保」
 「すみません」
 「どんなに皆に迷惑をかけたか分かっているのですか」ガイドが語気を荒げて言った。

 ガイドがオクトパス(予備のレギュレター)から水中でエアを放出。海面を泡立たせた。ボートを呼ぶ合図だ。
 ピグモン2号が必死に脚をあおっている。
 「どうしました?」
 「BCが膨らまない」エアを使い果たしてしまったのだ。残圧チェックを怠っているから子言う結果になる。
 ガイドの怠慢だ。ビギナーズダイバーには気配りは必要だ。
 インフレーターホースから息を吹き込む元気は無さそうだ。
 『面倒をみてやるか・・・』
 「これに掴まってください」ガイドが自分のBCを脱いでピグモン2号に渡した。『気づくのが遅い』

 艇が近寄って来た。先に乗艇していたオバサン軍団の一人にニコノスを委ねた。
 ピンクとSASが乗艇。ピグモン2号がフィンを外せなくて苦労している。
 近づいて梯子に掴まらせた。脚を掴んでフィンを曳き剥がした。ピグモン2号乗艇。
 辰也乗艇。
 最後に私。全員無事・・・・・・帰還。

 ※行方不明前の辰也

 

 船上

 「すみませんでした」辰也がガイドに頭を下げた。
 「Cカードを取り上げますよ」ガイドがヒステリックに叫んだ。
 一介のガイドにその権限があるはずもない。
 仮にあったとしてもこのガイドにそれを言う資格は無い。
 確かに辰也は責められても仕方がない。
 だが初心者である。それはピグモンにパラオ到着時に告げてあった。充分承知しているはずだ。
 少なくても日本人相手のダイビングサービスではガイドは只の案内人ではなく、多くの場合レスキューを含めたサポートをするのが建前である。
 パーティの中に初心者がいれば必要以上にその動向に気を使うのが一般的である。
 それがどうだ。このガイドは員数の確認さえも怠っていた。

※ バディシステム。ダイビングには必須のスキルであるバディシステムと言うものがあります。
  バディシステムとは、仲間(buddy)と共に潜ることです。2人でペアを組んで潜ることで数々の利点を得ることができます。
  安全面だけに関して言えば、安全かどうかを互いにチェックしあうことや、緊急時に助け合うことでができます。
  水中でバディの体調・残圧・水深などを確認しあったり、空気がなくなった際にバディから空気を供給してもらったりすることが出来る場合があります。
  フリー潜行の場合は必須です。・・・私が辰也から目を離すことが無かったらこの事件は起きなかったでしょうが。
  ファンダイブの場合は殆どのサービスが客の管理をしてます。残圧チェック。常に員数確認。
  そして多くの場合パーティの後方に補助ガイドが付きます。やむを得ず一人でガイドをする場合は四六時中客から目を離すことはありません。
  僅か数か国ですが私が行った外国のサービスでも殆どこのスタイルです。最も多く訪れた沖縄もこのスタイルでした。



 「いったいどうしたんだ?」
 「ナポレオンを視ていたんです」
 「・・・・・・」
 「ジャイアンそっくりな人がいて間違えてその後を追ってしまったんですね」
 「お前、何も視て無いのか。ジャイアンはオバチャン達と一緒に先にエキジットしていたんだ。昨日もな」
 「ガイドを視てください」また莫迦なガキがヒステリックに叫んだ。
 『テメエこそ客をちゃんと視てろよ』

 弁当ビーチにボートが付いた。 
 最大干潮までにはまだだいぶ時間があった。
 砂浜が非常に狭くなっていた。人口密度が高い。昨日以上にダイバーが犇めきあっている。
 ジャイアンが弁当を担いで先に降りた。
 ミネラルウォーターとロングピースを持って続いて降りた。
 ガイドが艇を掴んでいた。頼りないガイドであった。
 だが、顔を潰したら可哀そうだと思った。叱責することよりも大人でいることを選択した。
 「悪かったね。今夜よく言い聞かせるから」と声を掛けた。
 当然『自分も大きな声を出して申し訳ありませんでした』と言うくらいの言葉が帰ってくるかと思った。
 しかし、ガイドの吐いた言葉は「あなたも勝手に浮上しないでください」だった。
 「私も捜していたんだよ」怒りを抑えて本当に静かに言った。
 「二重遭難の虞がありますから」
 『テメェにそれをとやかく言われたくないよ』

 辰也が傍に来た。
 「どうもすみません。僕の所為で不愉快な思いをさせて」
 「もういい」
 「もう一度謝って来よう」
 「行かなくていい」
 「エッ、でも」
 「奴にはガイドをするだけの技量は無い。それにあまりにも礼儀を知らなさすぎる。本来ならお前を責める前に自分の怠慢を。客を見失った自分を責めるべきなんだ」

 昼食。代り映えのしない不味い弁当である。ミネラルウォーターで強引に胃の中に流し込んだ。
 辰也は流石に食欲が無かった。弁当を開いたものの、ほんの少量を口に運んだだけで蓋を閉じた。
 それをゴミ回収のジャイアンのところへ持って行った。私もそれに続いた。
 ・・・・・・
 「そんな場合は浮上しましょう」ジャイアンがにこやかに言った。
 「そうだぞ、はぐれたら減圧をして浮上。それが鉄則だ。エアはもしもの場合のために残しておくべきだ」
 「そうですよねェ。言われてみれば講習の時にそう習いました」

 つ づ く

 

 

 

 

 

 



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