カセレリア! ポーンペイ
またまたミクロネシアである。
目的地はブラックマンタが舞っている(筈の)ポーンペイ(POHNPEI)である。
「カセレリア」は現地語で「こんにちは」と「さようなら」の両方に使える言葉である。
1994年10月2日。22:30(ポーンペイ時間 日本はマイナス2時間)
成田からサイパン経由でグアムへ。トランジット。トラックを経由し既に十時間が経っていた。
いささか疲労が。
高度が下がって来た。気圧が僅かずつ上昇してきた。
軋むような金属音。ランディングギアが胴体から出た音だ。間もなく着陸だ。
高度が更に下がった。機窓を激しく討つ大粒の雨。・・・・・・嫌な予感。
機はタッチダウンせずに再び上昇。
機内アナウンス。早口の英語。『?』理解不能。
リストコンパスの磁針がゆっくりと回転して行く。
降下・・・そして上昇。三度それを繰り返した。
23時を過ぎていた。機は安定飛行をしている。
リストコンパスの磁針はスターボード(右舷)を指したままである。
つまり機首は西を向いているということだ。
嫌な予感が的中したようだ。727はトラックに引き返す心算らしい。
23:40 トラックの空港に着陸。
「あっー、やっと着いた」後ろの方からそう叫ぶ声が聞こえた。
隣の席の男が機窓から外を眺めて首を傾げた。
「・・・・・・?」
「トラックですよ」(正式にはチューク【Chuuk】と言う。
「そうですよね。さっき視た風景と似ているなと思ったんですよ」
「退き返えしました」
「どうなるんでしょうか?」
「さあ・・・?」
機内アナウンス。何か叫んでいるがやはり理解不能。乗客は不安げである。
エアコンが効きすぎている。熱帯の島なのに寒いほどである。
機内はざわついている。立ち上がって機首に向かって移動する者が出てきた。
窓の外。滑走路を歩いている者がいる。
このままでは体調を崩すことは必至である。それらを追うように外に出た。カメラバッグを下げて深夜の滑走路を歩いた。
現地人らしき男が数名、滑走路の端に腰を掛けて煙草を咥えている。
空港ビル(殆ど小屋)。出入国ゲートの手前に狭いロビーがあった。
灯りは点いていない。椅子さえも満足に無かった。アルミ製のカメラバッグに腰掛け、休息。
ロビーには数グループ。およそ二十人ほどがいた。その中のひとつ。リーダーらしき年長の男(私よりも若そうだが)はTシャツの肩に造り物のトカゲがとまっている。
どこかのダイビングサービスのスタッフジャンパーを着た若い男。
その他、女性を含めた六七人グループ。なかなか賑やかである。
トカゲ男がNikon F601を取り出した。
壁の『Chuuk』の文字を入れて記念写真を撮る心算らしい。
「シャッター 押しましょうか?」
「お願いします」
「727をバックに写真を撮ろうよ」とバディ。
バッグからカリブ(防水コンパクトカメラ)を取り出した。
トカゲ男が寄って来た。先ほどの返礼の心算らしい。カリブを渡した。
仰々しいアルミバッグから取り出したのがコンパクトカメラだったのでトカゲ男の顔にやや勝ち誇ったような表情が浮かんだ。
『・・・記念写真用にはこれで充分なのだよ』
・・・・・・
727には新たな動きが全く無い。
昨夜が遅く、今朝が早かったので時折睡魔が襲ってくる。
滑走路の前の草地で横になった。寝心地は悪くない。
周囲を海に囲まれた熱帯の島だと言うのに意外なほどに湿度が低い。
汗をかかないのは非常にありがたい。
空腹。夏の終わりころから始まった胃痛が襲ってきた。
「腹へったな」
「機内食のパンがあるけど食べる?」
「ありがたい、喰おう」
待合室に居た男がタラップを昇り始めた。
『やっと飛ぶのか・・・・・・』
後ろに続いた。
前の席の賑やか過ぎるおやじグループ。トランプ博打にこうじている。テーブルの上に現金が散乱している。
席に着くと窓際に見知らぬオバサンが・・・?。
そのオバサンが「もう一度ポンペイまで飛んで、もし又着陸できないならばそのままグアムまで飛ぶそうです」と言う。
しかし、いつまで経ってもいっこうに飛ぶ気配は無い。
立ち上がった。タラップに居たスチュワートに訊ねた。
「ポンペイに行くのか、グアムへ行くのか、それともここで夜明かしをするのか?」
「アクシデント・・・飛ベナイ」
スチュワートの指先。エンジンの下にバケツが置いてある。オイルが垂れている。
『いったいどうなるのだ 我々は!?』
02:15 「バディが寒いから外にいる」と言って機から降りた。
窓際のオバサンもいつのまにかいない。
三人分のシートを占領して、しばし仮眠。
・・・・・・
バディが私を揺り起こした。
「・・・・・・・?」
「滑走路の隅で膝を抱えて眠ってたらビップルームを開けてくれるって」
「・・・・・・?」
ビップルーム?。名ばかりの部屋であった。壁はコンクリートブロック。僅かにソファが数脚あるだけだ。Chuukは国際空港。
日本だったらどんな僻地の空港でもこんな部屋にはお目にかかれないだろう。
先客は白人の男が二人。
空いているソファに脚を投げ出した。飛行機のシートよりも寝心地は良さそうである。
・・・・・
揺り動かされて目がさめた。
「なに・・・?」
「ホテルへ送るって」部屋の中に残っているのは我々二人だけだった。
空港職員か、それともコンチネンタルの職員かは判らないがチューク人らしき男が立っていた。
腕時計を視た。午前三時である。
「ほかの人はどうしたんだろう?」
「もう、先に行っちゃったんじゃない」
空港の中は閑散としていた。
『入国手続きは要らないのかな?』などと考えながら案内の男に続いた。
灯り一つ無い深夜の空港を出て車に乗りこんだ。
五分も走らないうちにホテルへ到着した。
フロントでサイン。すぐに階段を昇った。
とりあえずシャワー。想ったとおり温水は出なかった。しかし、熱帯故にさほど問題は無い。
着替えが無いことに気づいた。殆どすべての荷物がプロテックスの中であった。
『・・・・・・裸で眠るか』
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・・
寝ぼけ眼で腕時計を視た。八時四十分。
確か九時出発と聴いていた。慌ててバディを叩き起こした。
「急げ!。九時になるぞ」
階段を駆け下りてフロントへ。
慌てる必要は無かったようだ。フロントマンに促されるままに朝食を摂ることとなった。
レストランへはいったん外へ出なければならなかった。
明るくなって建物をあらためて視るとホテルは体育館ほどの大きさの右端の一角だけであった。
中央は伽藍としていて倉庫・あるいは市場・、そんな感じであった。
その右端にレストランがあった。
可も無く不可も無い?ありきたりの朝食を摂って再びフロントへ。
ホテルマン達は相変わらず悠長に構えている。
727の尾翼が屋根越しに見えていたから取り残されたと言うことは無いのだが他の乗客に一人も会わないのはやはり不安である。
・・・・・・・!トラック時間はポンペイとは異なりグアム時間と一緒だった。
九時を過ぎたと思ったらまだ八時を廻った頃であった。
・・・・・・
空港には日本人は我々だけだった。他の客は?。727を視ても窓に人影は無し。
私達を送迎した男が新しいボーディングパスを持ってきた。
いつになるか分からないがとにかく飛行機には乗れるらしい。
・・・・・・
ぞろぞろと一団がやって来た。急に空港の中が騒がしくなった。
見覚えのある男がいた。
「何処へ行ってたんですか?」
「コンチネンタルホテルで朝食です」
「夕べは?・・・」
「機内で夜明かしです」
ホテルに宿泊したのは我々だけであったようだ。
ビップルームで眠っていたのでファーストクラスと間違えられたのか?
しかし727にファーストクラスらしきシートは???。
理由はどうあれベッドの上で眠れたのは幸運だった。
あてもなく滑走路を眺めていた。
空港職員らしき男達が機内に置いた手荷物を運びだしている。
私の布製のバッグもタラップの下に並べられた。
だが成田で預けた荷物を降ろす様子は無い。・・・?。
金属音ジェット機が高度を下げて近づいて来る。
着陸。だがコンチネンタル機では無い。
「あれに乗り換えるんだ」誰かがほっとしたような声で言った。
「違うでしょう。貨物機ですよ。窓がありませんから」と私。
「では荷物をあれに載せて人は小さな飛行機で行くのかな?」
あり得る話。だが、数十人の乗客を乗せられる機はどこにも見当たらない。
その貨物機のジェット噴射で並べられた荷物が滑走路を転がって行く。
職員が慌てて追いかける。
私のバッグの中は靴と上着のみで壊れるものは無い。実害は無いだろう。
・・・・・・大方の希望と予想を裏切り貨物機には我々の荷を積み込む様子は無かった。
そのまま空のかなたに飛び立って行った。『嗚呼』
・・・・・・
午前十一時。待ちに待った救援機?が到着した。
出国手続きが始まった。と。いっても簡単な手荷物検査のみである。
そもそも入国手続きはしなかった。
ボーディングパスを見せて次々に滑走路へ向かい始めた。
・・・・・・どうも様子がおかしい。私の数人前から待機させられるものが出てきた。
・・・・・・?。
私もパスを見せた。ストップサイン。
どうやら当日のチケットを持った者が優先であるらしい。
つまり昨夜の乗客は本日の空席分しか乗れないと言うことだ。
白人の男が喚きだした。ポンペイから乗り継いでまだ先に行くらしい。
押し問答の末、その男は出国ゲートを通された。
乗りそこなった我々は名ばかりのビップルームに案内された。
ここまで来るとみんな度胸が据わって来たのか不安げな顔も見せなくなっていた。
「先に行っても同じですよ。荷物はあの機の中ですから」とトカゲ男。
機が動き出した。ジェット噴射。また荷物が飛んでて行く。
「あっ!」血相を変えたのはトカゲ男グループの一人。
「カメラが入っているんだ」
機が飛び去って滑走路に走り出した。
私も大した物は入っていないがバッグを持ち帰った。
「壊れてたら絶対請求するからな」とトカゲ男グループ。
「カメラは手から離さない方がいいですよ、私は少々重くても常に持ち歩き、傍に置いてます」」
それから話は水中撮影となった。だがいままで撮った写真を見せあうと言うことは事実上できない。
結局、機材・感剤が話の中心となる。
請われて カメラバッグを開いた。二つのギアをレンズに装着した F4とNIKONOS。
「・・・・・・!」トカゲ男
バディはどこかの御婦人(お姐さんと呼ぶほど若くは無い。オバサンと呼ぶのは少々可哀そうな杉浦夫人)と話が盛り上がっている。
・・・・・・
コンチネンタル職員と思しき男が入って来た。昼食だった。
腕時計を視ると一時。ポンペイ時間にしたままだったからここでは正午である。
その男について二十人ほどが空港小屋を出る。
皆、疲れ果てて足取りは難民風。
レストランは空港と道路を挟んで徒歩一分。
いくつかの店舗が繋がった長屋である。端が土産物屋。ガラス越に覗くと一昔前のデザインらしきTシャツ。南国にありがちな民芸品。大したものは無い。
レストランは天井にファンさえなければ日本の田舎食堂。電気事情が悪いのか?何故か薄暗い。他に客はいなかった。
ど真ん中の大テーブルにトカゲ男グループが陣取った。
その隣の中テーブルにバディと私。杉浦夫人が二十歳くらいの女性とウロウロしている。
「一緒にいかがですか?」と声をかけた。
さて、なにを喰うか。ウエイトレスが持ってきたメニューブックを広げた。
日本人経営と思えないがメニューはやはり日本の田舎食堂のそれ。戦争の名残なのかもしれない。
「ラーメンでいいや」(『ラーメンがいい』ではない)
南国時間である。すべてがゆっくりであった。注文の品が出てくるまでにだいぶ時間が掛かりそうである。
杉浦夫人と二十歳くらいの娘はバディでは無かった。お互いに連れが先に飛んで取り残された同士だそうだ。
杉浦夫人、早口でよくしゃべる。賑やかこの上ない。
ラーメンはジンジャーがたっぷり効いていて想像していたよりも美味であった。
・・・・・・
漸く機の中へ。しかしこの機は昨日飛べなかった故障機である。
設備の整わないローカル空港(チューク空港は国際空港なのだが)で、完璧に修理ができたのか疑わしい。
「本当に大丈夫なんだろうな。帰りだったら多少のあきらめはつくのだがまだ潜って無いのだぞ」
・・・・・・無事離陸。トラックラグーンを機窓から眺めた。大小の島が点在している。
機内はガラガラだ。客の数は二十名ほどである。この場面だけ視れば贅沢フライト。
リフレッシュメント。昼食を摂ったばかりだが、この先また何があるか分らないのでサンドイッチを詰め込んだ。
スチュワーデスが周って来たきた。書類を手渡された。住所・氏名をサイン。員数確認なのだろう。
・・・・・・
高度が下がって来た。機窓の外は快晴であった。『一日ずれればなー』
着陸。ランディングギアが滑走路を捉えた。逆噴射。拍手が起こった。
『まだ早い、まだ早い」
午後四時。無事?到着。機窓から先発隊が手を振っているのが視えた。
※この時 Nikonカリブで撮影したネガカラーがまだ見つかりません。
トラックとポナペの空港・街中の画は見つかり次第追加掲載いたします。
画像が無いと淋しいのでとりあえず水中写真を貼り付けておきます。
つ づ く
※掲載順位がランダムなのでダイビング記事の目次を作りました。
年代順となってます。
ダイビング編目次