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石碑の道路を挟んだ反対側に「心眼寺」があります。
元和8年(1622)4月、白牟(はくむ)和尚が、真田丸跡に、幸村・大助父子の冥福を祈るために堂舎を創建。
それが心眼寺(しんがんじ)だそうであります。
寺の定紋は真田家の六文銭。山号は真田山です。
当時、大坂は江戸幕府の直轄地であったため、豊臣方の武将であった幸村の墓をつくることは許されず、
大坂冬の陣から400年目にあたる2014年、信繁四百回忌に、住職の長年の願いが叶い、墓碑が建立されたそうです。
ちなみに幸村が亡くなったのは「心眼寺」から直線距離で3kmほど離れた「安居天満宮」だそうです。
2010の春に訪れたことがあります。