今から50年以上も前の話です。
浜の漁港から岩和田に向かって砂浜を歩いて行くと....。鉄筋コンクリート製の小さな二階家が砂丘の上に見えました。(当時の御宿海岸は木造の建物だけでホテル・マンションなど一棟も無い時代でした。)白く塗られたそれは子供だった私にはモダンそのものでした。外人の別荘と言う説がありましたがたぶん思い込みかと。
1980年代にはまだ存在しておりました。その時のオーナー(日本 . . . 本文を読む
1970年発売の RB67です。Pentax6×7が35mmSLRを巨大化したタイプでしたがこれはブロニカ・ローライ・ハッセルと同様なオーソドックスな形状です。
ピント合わせは左右にあるノブを回して合焦するラック&ピニオン式。蛇腹を採用しているので近接撮影にかなり強かった。
ピントフードはワンタッチ式になりました。
レンズは127mmが標準 レンズシャッター内蔵 ワイドから望 . . . 本文を読む
本日は御宿の海開きだったようです。天候によることもありましょうがパッといたしません。
海水浴が夏のメインイベントだったのはすでに過去のことです。写真は「ウォーリーを探せ」ではありません。1970年代(昭和50年前後)の御宿の海水浴場です。僅か2kmの砂浜にこれだけの人が犇めきあっておりました。...潮騒や 昭和は遠く なりにけり (ぱくりです。)
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昭和58年(1983) 撮影の二又海岸への折口です。
今は見ることのできない雀島がかろうじて残っております。
海女小屋もまだ姿を留めております。上は6/3の記事に使用した同地を海側から見上げたところ。 . . . 本文を読む
1969年発売されたユニバーサルプレス ブラックバージョンです。マミヤプレスの最後のモデルです。スーパー23からアオリ機構を除いたものと考えれば宜しいかと。マウントは初代プレスト異なりスピゴットマウントになってます。
右側のパーツを交換することにより各種のマガジン(ブロニカの流れでマガジンと記してますがマミヤのこれはフィルムパックと言う名称です。)が使用できます。
カ . . . 本文を読む
後部にアオリ機能のある初代モデルかと思うのですが...?。1960年 半世紀以上前のカメラです。レンズはMAMIYA-SEKOR 90mm F3.5
取り外しのできるフィルムマガジン 巻き上げはノブ式 背面にある小窓は120フィルムの裏紙に記してある駒数を直接読み取るもの。 ただしこのマガジンは6×9専用 内側に折り畳みのフレームサイズ変更板のようなものがあるかと思ったが見当たら . . . 本文を読む
ブロニカが好評だったので.....。
義父の形見(生前贈与) MAMIYA FLEX C プロフェッショナル です。レンズ交換ができる二眼レフの最初のモデルです。このあとC2 C3 最終モデルは C330だったと思います。初代モデルは1956年発売 ピント合わせ用のノブが右手用しかありませんので容易に見分けがつきます。
レンズは上下一緒に外れます。
当然、ウエストレベルファインダーです。 . . . 本文を読む
シャッターが切れるかどうか試してみます。
→ のレバーを固定して → のクランクを回せば シャッターがチャージされて落とせるのですが...。クランクを回すと→ が小さすぎて指ではとても固定できません。と言ってペンチの様な道具を使うと傷がつきそうです。S2はセルフコッキングのカメラですからフィルムを入れて巻き上げればシャッターがチャージされます。フィルム.. . . . 本文を読む
ファインダーを覗くとスクリーンに黒い点が多数。無水アルコールで+シルボン紙で拭うが変化無し。レンズを取り外しミラーボックス内から焦点面を拭うがこれも同様。スクリーンを外す。フレネルレンズと摺りガラスを金具で押さえている。この金具にモルトプレーン(発泡ゴム)が緩衝材として貼り付けてある。それが50年と言う経年変化でボロボロ。モルトプレーンの入手は後にしてフレネルレンズと摺りガラスを清掃。だいぶ良くな . . . 本文を読む