満天横丁に住まう妖怪のひとり言

満天横丁に住む満天と申します
最近、猫妖怪化してきており更新は不定期ですが…
ひとり言にお付き合い頂ければ幸いです。

キジも鳴かずば…

2010-10-13 | 昔話のハチャメチャ

「5月に行ったゴルフ場に居たキジ…ケンケンとよく鳴いておった」

子供の頃は、近所でキジを飼っている人が大勢居た。
観賞用とかペットとして飼うような鳥ではないので、きっと食っていたのだと思う(笑)
放し飼いにされているキジが多かったので、チャリで轢きそうになった事が何度もあった

私は食べたことがないが、キジ鍋というのは大変美味いらしいの
バー様が「キジ肉は煮れば煮るほど固くなる」っと言いつつも
「キジ肉が食いてぇ~な~」っとボヤいていたところを見ると、クセになる味なのかもな

小学生の頃、我が家の玄関にはナゼかキジの剥製が置いてあった。
ある日、継母が懇意にしていた占い師が「この剥製は危険!」とのたまったので
焼却処分されてしまった。
何が危険なのかは解らんが、良くない「気」を持っているとか言ってたの
毎日出かける前に、キジの羽を触ってはウットリしていた私にとっては
占い師のオバちゃんの方が、よっぽど変な「気」を発していたと思ったがな(笑)

キジで思い出されるのが「キジも鳴かずば撃たれまいに」の話かの~

母ちゃんが洪水で亡くなって、父ちゃんと二人になった千代の家は貧乏じゃった。
ある日、千代が病気になった時に、「あずき飯が食いてぇ~」っと言ったもんで
父ちゃんは庄屋の家から米と小豆を盗みだし、千代に食わした。

あずき飯を食ったせいかどうか、千代はグングンと元気になった。
それはそれで良かったんだが…千代はあずき飯が食えたもんで浮かれポンチになってしもた
よせばエエのに「あずき飯が食えた~」なんぞと外で自作の歌を歌ってしもたもんで
父ちゃんが庄屋の家に盗みに入ったことがバレてしもた

運の悪いことに丁度雨が降り、またも川が氾濫しそうじゃった
だもんで皆は「あずきと米を盗んだ罪人を人柱にするべ」っと
千代の父ちゃんを連れて行ってしもた
私が余計な事を言ったばっかりに、父ちゃんが…っとショックを受けた千代は
以降、誰とも話しをせなんだ

月日が流れある日猟師がキジの鳴き声を聞き、鉄砲で撃った
撃ったキジの側へ行くと、そこに千代がおり「キジも鳴かずば撃たれまいに」っと言って
キジの亡骸を抱きながら山へ去って行った

っというお話しを「日本昔ばなし」で見たことがある

貧乏だとしても子のタメならば親は、危険を犯してまでも何とかしようと感じる。
これが種の保存をDNAに刻まれた生き物の、本来の姿なのだと思う。

だけれども最近は違ってきているらしいの~

親が「子どもが邪魔」「この子さえ居なければ」と思っちまう。

だども、思うだけなら昔の親だって思っておった(笑)
かくいう私の父、血の繋がりのない継母の方じゃなくって
血の繋がりのある父が私に「お前さえ居なければ」と言ったことがあるでの

つい…そう思ってしまって、それをポロっと子供に言ってしまう親も確かに最低だが
それでも、本当にこの世から消してしまう親よりは、なんぼもエエ。

もし、「もうダメ」っと思ってしまったら…お願いがある。
殴る蹴るの暴行をする前に、家にカギをかけて放置する前に、
市役所、病院など何処でもエエ。人通りの多い場所に捨ててくれ。
殺してしまうより、少しは子供に生きる可能性を与えて欲しい。

他所の国の話だが、
地震が起こり奥さんを失った男性が、乳飲み子をボランティア施設へ持って来て
「お願いだ、育てられない。引き取ってくれ」っと訴えている映像を見た。
なのにボランティア職員は「もう一度、家に帰って考えなおせ」と諭していた。
あの後、あの親子はどうしただろう。
どう見ても、あの親に子供を育てる気力があるようには見えなかった

こうして日々子供の虐待を報道で見ている私らは、どんな村人なのだろうの
やってしまった結果だけを見て、人柱にしてしまう村人なんだろうか
もう二度と同じ過ちを起こさないよう、考える村人なんだろうか

先日スーパーでブチキレながら折檻していた母親を見た
親子の側を通ったお婆ちゃんが、「大変ね。言うこと聞かないんでしょう。」っと
母親に一言声を掛け通り過ぎた。
相変わらず子供は泣き続けていたが、母親はフっと肩の力が抜けていた。

千代が病気になって寝込んだ時に、
一言声を掛ける村人が居たら結果は違っていたかもしれん

お節介と紙一重のこの技。なかなか難しいが、親に一言「大変ね」と声を掛けるだけでも
まったく違った結果が生れるかもしれないのなら、やるべきかもしれん

顔をしかめて遠巻きに眺めるだけよりは、エエかもしれん

そんな事くらいしかワシには出来んがの。

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着物TPO

2010-01-26 | 昔話のハチャメチャ
先日の記事、キャピ子ちゃんの着物姿を見て色々と思い出した。

京染さんのサイトで「行事によって着て良い着物の表」ってのがあったので載せておく
コチラ

着物ばかりは、色々なお約束事があって難しいと感じてしまう
「自由に着て楽しんで欲しい」と良く言われるが…
どこまで自由にやって良いのかが…そもそも解らん(笑)

ウチのバー様は、毎日着物を着ておった。
着物知らずの私の目から見ても、可なり、自由に着ておったと思う。
なにせ着付けが早い。5分も掛からずに着てしまう。
また、昔の人なので…パンツを履かない(ハハハハハ)
腰巻一つにパッパと着付けて、帯をシュルっと巻く。

「バーさま。なんでパンツを履かん?」っと不思議に思った満天少女が聞くと

「これだと、立ったままシッコが出来るでエエだよ」っとケロっと言う。

父親はバーさまの立ちション姿を見たことがあると、唸って言っていた
なぜ、唸って言うのかは解らん(笑)

今なら日々着物を着て生活するなんて…素敵な、お婆さまだったのねってな所だが
実際のところはそうでもない。
つまり…それほど気楽に着て良いものだったんだと思う。

一緒に過ごした3人の継母の一人に、着物が大変好きな人が居た。
その継母さんのお母さんも、日々着物を着ていた人だから「流石親子!」っと言った所か。

とはいえ、世間は着物から洋装主流の時代。好きだからと言って、そう毎日は着れん。
でも…好きだから着たい。その気持ちは、子供にでも良く解った。

っと言うのも…何かっちゅ~と、良く着物を着ていたからだ。
入学・卒業はともかく、参観日にも着物姿で登場していた。

最近も髪を高く結い上げるのが流行っているが、今から40年ほど前にも流行っていた(笑)
人工毛を丸めて髪の中へ入れ、高く盛り上げるのだ
古くはマリー・アントワネット(笑)それからウーマンリブ時代
今は草食男子時代とでも言おうか…
女性は、自身が強くならざるを得ない状況になると、髪を高く結い上げたくなるらしい

高く結い上げた髪型に、着慣れた雰囲気で粋に着物を着るもんだから…
当時の継母さんは、ちょっとお水っぽく見えた。
他のお母さんは地味なのに…一人派手目に登場する継母さんを
私しゃ、少々恥ずかしいと思っておった(笑)

「アレ? 誰のお母さん?」っと小声がざわめく。。。。

先生は、どの子の親が来たのか知っておるし、親が来ている子を名指しして質問を放つ

「満天さん、この問題を前に出てやってみて」の先生の一言に、恐怖を感じたもんである
ま、親がどうあれ「前に出ろ」と先生に言われるのは恐怖じゃったがの(ハハハハハ)

ただし、この継母さんの着物に関しては…もっと凄い状況を経験しておる。

それは、参観日から遡ること…数年前の幼稚園の頃。
親が同行しての一泊旅行「親子遠足」なるものが開催された。

親と子がバスに同乗し山奥の温泉地へ行き、チビっとだけハイキングを堪能し
美味い物食って、温泉に入って帰るというもの。

その企画に、私の継母さんは…
髪を高く結った
着物姿で参加したのである。。。。


まだ生まれて4~5年の人生であったが、
「参ったな・・・」ってな感情をこの時、理解した(笑)

私は幼稚園であったが、すでに彼氏が居た(アハハハハハハ)
その彼氏のM君がソソっと継母の側に駆け寄り
「おばさん、綺麗ですね」っとチャラっと言ったので、なんだか少し嫌いになった
継母に「あの子は何て名前?」と聞かれても、「知らない子」っと言った

その晩に「女湯」に入って来て、ウカレて躍るM君を見て…私はM君と絶交した(笑)

言いたい事を一番言いたい人に言えず、耐えしのんでいる時に
チャラっとしたバカな男を見ると…女はイラ付くってのも、この時学んだ
(ガハハハハハハハハ)

この翌朝撮った写真が残っておる。
スラックスに薄手のセーターを着たM君のお母さんと、バカ笑しているM君
そのM君と無理に手を繋ぎ「チッ」っと顔をしかめている満天と
私の肩に軽く手を置き、ニッコリ笑う髪を高く結った継母
何度見ても笑えるスナップである(ハハハハハハ)

さて…着物にまつわる話はこの辺で終わりにし…
タンスの肥やしになっておる私の可哀相な着物に、風でも通そうかの~~~(ホホホホ)

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盗られたカバン

2009-09-02 | 昔話のハチャメチャ
先日、会社の女子が出社と同時に飛んで来た

「大変なんです!」っと…

いったい何が大変なんじゃ? まぁ、落ち着いて話せや~っと話を聞くと…

どうやら、電車の中で、置き引きにあったらしい。

彼女は、電車の中で寝てしまい
ハっと気が付くとカバンが消えてしまっていたそうな。
彼女は座席に座り、カバンを足と足の間に挟み、床に置いていたという。

そこまで電車で爆睡出来る彼女も凄いが…
足と足の間に挟んだカバンを、他の乗客に気取られず、盗んだ犯人も凄い。
完全なるプロの犯行である。
ま、爆睡と同時に…両足が開いた…とも言えるがの(ガハハハハハ)

数日し、彼女のカバンが某所ゴミ箱から発見されたが
金目のものも、彼女の名前の入ったものも全て抜かれ
携帯電話とカバンのみが見つかったらしい

なかなかもって、怖い事件である。
ただ、彼女に怪我等がなく、その点だけは良かった。



置き引きとは多少違うのだが…私が、高校生の頃の話である。

観光バスのように、全員が進行方向を向いて2列に並んで座るタイプのバスが
昔、札幌市内で市バスとして走っておった(今も走っておるかもしれん)

部活が終わって、友人とそのタイプのバスに乗ると
後ろの方に一つだけ席が空いていた

窓際側に、年のころなら70代前後の、少々くたびれた爺さんが座っており
隣の席が空いていたので、私より遠くで降りる友人を座らせ
私は通路に立った状態で、たわいもない話に興じていた

友人と話初めてスグに、
窓際の爺さんが、やたらとニコニコしながら私の顔を見るのである。
私と友人の話に聞き入っておるような、ブキミな笑顔が気味悪く
私は、その爺さんの顔を見ないように、目をそらしておった。

しばらくすると爺さんが「降りますでの~」っと
ヨタヨタしながら立ち上がるので、友人も席を立ち
危ない足どりの爺さんを、支えながら通路へ出してあげた。

座席が一つ空いたので、友人と私は二人並んで座ったのだが、座ってスグに友人が
「あの爺さん、なんだか私の方にピタって寄ってきて、気持ち悪かったさ」
っと身をすくめるので、私も爺さんがやたらと笑顔で見つめてくるので
嫌な感じがしたと話した

そこで友人が「あっ!」と声をあげ私へカバンを見せた

友人の布製バックには10cmほどの切ったような穴が開いており、
そこから財布が盗まれていたのであった。

驚いたのなんのって(笑)
あの…ヨボヨボは…芝居だったのかっ!?
あのブキミな笑顔は…盗みのカムフラージュじゃったのかっ!?で、ある。

しかもカバンの切れ込みは、カッターナイフを使ったような切り口だったので
なおさら「ゾ~~~~」とした。

その後、警察で人相を聞かれたのだが…実は二人とも、全然覚えておらんかった

特に私はあのブキミなニヤニヤ顔を正面から見ていたにも関わらず
どうやったって、気味の悪い爺さんの目しか思い出せんかっただ~~

それからである。私が乗り物内で、人をジーっと観察するようになったのは
おかげで寝る暇がない(ガハハハハハハハ)

いつか警察でモンタージュを作成する時に
細かく指示し、正確な犯人の写真を作りあげてやるぞ!っと思っておる。
が…あれから30年以上になるが…未だ役立つ機会を得てはいない。
ま、その方がエエんだけどね(笑)

皆さんも、くれぐれもご注意くだされ。
人は、見かけによらんもんどす(ハハハハハハ)

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黄金道路の幽霊

2009-08-21 | 昔話のハチャメチャ
ちょっと怖いお話しである

絶対に、夜には読まないように。

結構、沢山の幽霊体験をしているもんで…
年に一度は涼しさを皆さんに提供しようという、はた迷惑な企画モノである(笑)

以前の怖いお話しは、第一回目「洗濯」と第二回目「蚊帳の中」コチラからどうぞ~

今回は第三回目か…(フフフフフフフフフフ)

あっ!マジで怖いので…夜中に読んでおる人はスルーしてたもれ~(笑)



私の故郷、北海道にある国道336号線の一部
「えりも町」から「広尾町」までの30キロ程の道路を
地元民たちは「黄金道路」と、呼んでおる。

一見、「エライ景気のエエ~名前」のように感じるが…
その名前には、大変な歴史が秘められておる。



なにせココは、マジで前人未到の地であった。
山あり、断崖絶壁ありの難所で、道路なんぞ作れんじゃろうと言われておった。
地元民たちはヘロヘロになりながら、海岸線をトボトボと歩いて交流しておったが
天気の良い日であっても、危険な場所だったもんで
「やっぱり、道路を作ってくれろ~」という懇願により、昭和2年に着工した。

開通したのは昭和9年である。たった30キロ程の道路を7年かかって作ったのだ。
それだけでも、いかにこの場所が難所であったかが伺える。
現在の金額で60億円以上。この、道路に黄金を敷き詰めたような金額に
当時の人々は畏敬の念をこめて、「黄金道路」と呼んだのである。

昭和も初期の頃の話である。
この工事の、もっとも難所な場所に派遣された労働者たちは、囚人であった。
夏でも涼しいこの場所で、極寒の冬には大勢の者たちが亡くなったと言う。
今でも言う者が居るだろうか?…
この「黄金道路は、屍道路とも言うだ。」と、我が家のバー様が言っておった。
それほど、大勢の人が亡くなった道路なのである。

さて、ココ。実は…
「釣り場のポイント」でもある。

満天家の父は、放蕩・放楽な男であったが、釣り好きでもあった(笑)

その父と釣りの話はコチラ「釣り場にて」  「お前は自分で身を守れ~」
(この2件の話は笑えるんで、安心して読める…笑)

さて、その日は早めに晩飯を食い、夕方5時には就寝
夜の9時ごろに両親に起こされ車に乗り込み
黄金道路の釣りポイントに到着したのは、夜中の1時であった。

釣りを始めるのは明け方が良いんじゃが、それにしたってまだ早い。
そこで、父・母・弟・私の4人は、夜が明けるまで車の中で寝て待つことになった

街灯は…遠くにポツンと一つ見えるだけ
海のうねる音だけが不気味に響く、真っ暗闇であった。

何時もなら、簡単に爆睡する私なのだが、その日に限ってなかなか眠れない
ま、怖い体験の前兆には必ず「その日に限って」ってなフレーズが付くがの(笑)

狭い車内に家族4人が寝ておるもんで、狭いし人いきれで暑いし
私は目を開けて、体制を整えなおそうと上体を起こした。
その瞬間…金縛りにあった。

目は見開いたまま、瞬きすら出来ん。
不自然に起き上がった形のまま、ピクリとも動けんのだ。

私は後部座席に座っておったのだが、多少起き上がったので顔は前方を見ておった
明かりが一つも見えない真っ暗闇を、自分の意思など関係なしに見つめていると…
「ポワ」っと一点、光る明かりが見えた。

もともと私の視力は「1.0」であったが…
バスケの試合中に顔面でボールを受けてしまってから、視力が落ちだし
この頃の私の視力は、多分「0.5」くらいであったろうと思う。

もちろん、眼鏡をかけて寝ていたハズもないので
遠くに「ポワ」っと明かりが灯ったとしても、何も見えるハズはなかった。
なのにこの時、私にはハッキリと見えたのである

薄茶色の制服を着た兵隊が、こちらをジっと見つめて立っているのが…

見えないのに見えたのだ。くたびれた小ぶりな帽子をチョコンとかぶり
悲しそうな目をした細面の男性が、厚手の長袖制服に身を包んで立っているのが

そして、暗闇に吸い込まれるように見えないハズの手や足の部分までも感じた。

両手をダランと垂らしていたのだが、その右手の一指し指と中指は無かった。
足にはゲートルを巻きつけていたが、地下足袋のようなモノを履いていた。
制服の汚れ、ほころびまでも、私には見えていたのだ。

動けない私は、ただ、ただ、見つめているしか術は無かったのだが
しばらくして、その兵隊がコチラへ歩み寄って来たのには、仰け反った
上下運動は感じられず、す~~~~っと滑るように近づいてくる。

声は出ない。身動きも出来ない。

車の前方、フロントガラスの前まできて気が付いたのだが
いつのまにか、兵隊は頭だけが移動して来ていた
頭はガラスを通り抜け、どんどん私に近づいてくる
そうして私と弟の間を通り、止ることなく後方へ去って行ったのである

その物体から、目を離すことが出来なかった私は
すれ違いざまも、目だけでソレを追っていた。
なぜなら、その物体の目も私だけをジっと見つめていたからである。

そこで、初めて私は身動きできるようになったのだが
あとには闇と、打ち寄せる波の音だけが残り、兵隊はどこにも見当たらなかった。

「うんギャ~~~~~~~~!!!」

っと叫んだつもりだったが…「ヒ~~」っと空気の抜けたような声しか出なかった

なんで兵隊さんだったんだろう? 今でもよく解らん。

ひとつ、ハッキリしたのは…
幽霊ってのは直進しか出来ないのかもしれんってことである。
車一台分も迂回できんとは、なんとも不便な移動方法だと思ったが
ま、何でも通り抜けることが出来るようだから、関係ないのかもしれん

今も彼はあの場所にたたずんでおるのだろうか?

北海道へ遊びに行ったら、黄金道路で寝るのは…避けた方が良いかもしれん

どうじゃ~~~。少しはヒンヤリしたかの~~(ブワハハハハハ)

残暑厳しきおり、今夜はグッスリ眠れるかの?
あっ。。。別な意味で眠れんか?(ガハハハハハハハ)

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ポチっとで、作者のヤル気でるかもです(笑)

日食

2009-07-16 | 昔話のハチャメチャ
7月22日(水)に、「日食」がおこる

北日本は少々ショボイ(笑)

  

それに比べて南国は凄い!

  

※詳しくは「プレ天文」コチラをどうぞ~

今回のように日本でダイヤモンドリングが見られることは、非常に珍しい
よって、たいそうな人が奄美大島へ押し寄せるとか?

晴れて、綺麗に見られたらエエね(笑)←私しゃ、仕事で会社を休めない・・・・

ダイヤモンドリングは、この先しばらくは見られないのだが
上の絵のような屋久島でみられる「金環日食」は、今後もけっこうある。

「2012年5月21日京都」と「2030年6月1日北海道」

だが、京都は早朝だし、北海道は夕方におこる。
どちらも太陽が地平線に近い位置だからな~、見られるかの~

北海道出身の私が親に聞いた話によると…

1948年に北海道で「金環日食」が見られたそうだ(夫の生まれた年)
さすがに私しゃ、生まれてないので解らんがの

記憶にある私の日食は「1972年7月11日」
お昼前後にピークを迎えた普通の皆既日食だったがの
小学生の私にとっては、一大イベントであった(笑)

まず…悪友数名と廃屋に忍び込み、ガラス窓を数枚拝借した。

それから、祖母の部屋に忍び込み、ろうそくとマッチを拝借。

その足で近所の公園へ走り、平たい石の上にろうそくを立て火を付け

ろうそくの炎の先にあたるようにガラス板をあぶり、ススを付けた。

っというやり方を1948年に金環日食を見た父親から聞いたのだ。

私の父は偉大であった。(いや…まだ、どこかで生きておるがの…ハハハハ)
遊びに関しては、子供に決してひけをとらない(笑)
仕事は大っ嫌いだし、大ボラ吹きだしで、しょーもない大人ではあったが
何歳になっても新しい事にチャレンジし続ける、いつも真剣な男であった(笑)

そんな何時も真剣な男が、その熱くなりやすい血をひいた子供に
自分の目で見た「金環日食」の話を、そりゃ~熱く語ったのだ
話を聞いた子供が…萌えないハズがない(笑)

既に皆既日食の2週間前には準備を整え、今か、今かと待っておった

ところが皆既日食の1週間ほど前に、
学校の先生が「日食を見るために用意するもの」っというプリントを配ったのだ

それによると…ススを付けたガラス板なんぞの話は、どこにも書いておらず
黒い色の下敷きがあれば見られるっと書いてあった(ガ~~~~ン)

そうなのだ…1948年になかったが、1972年にはあった文房具
それが「黒い下敷き」であった(笑)

せっかく作ったんだからと、ススを付けたガラス板も使って見てみたが…
黒い下敷きの方が、はるかに綺麗に見ることが出来た
が…金持ちの子供がデパートで買ったと言っていた
「日食を見るための板」ってのが一番綺麗に見えた(ハハハハハハ)

それでも、やっぱり日食は小学生の私にとっては凄いイベントに見えた
あの太陽の影の部分は月なんだ!
1972年のこの日食の3年前。1969年7月20日に
アポロ11号が月面着陸し、アームストロング船長が一歩を踏み出した月なんだ!

今回の皆既日食は、どれだけ沢山の子供たちに、どんな衝撃を与えるだろう

あの時の私の父は偉大だった
日食を子供と一緒に見るため…っていうか自分が見たいがために…
仕事を休んでおった。
今、あの時の父と変わらぬ年齢の私は…会社を休めない(ガハハハハハハハ)

父を乗り越えられないの~~~~

※ちなみに…忙しいアナタのために

太陽を直接見ると、紫外線で目を傷めてしまうので、
なんの道具も用意できなかった、忙しいアナタにオススメする観察方法がある
「木漏れ日観察」
ピンホールを通る光は、その光源の形を現す。
小学校の理化で習ったあの原理(笑)
木漏れ日が三日月の形に見える不思議さに酔いしれて欲しい~

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ポチっとで、作者のヤル気でるかもです(笑)

咳の止め方

2009-04-13 | 昔話のハチャメチャ
この時期、日本列島の広い範囲に「黄砂」が吹き荒れる
東アジアのタクラマカン砂漠やゴビ砂漠より飛来するのだが
大きい粒子は、途中で落下し
日本なんぞに届くのは、小さい粒子のものがくる

砂漠で巻き上がった黄砂は、中国の工業地帯上空を通り
有害な公害物質を含んだ状態で、日本へ飛来するらしい

私は花粉症ではないのだが、この「黄砂」にはやられる(笑)
もともと、気管支が弱いので例年気を付けてはいたんだが…
ちょいと風の強い日に、つい、マスクをせずに外に出かけ、やられてしまった

ほぼ、花粉症の症状と同じ状態になるのだが
今回は大きく吸い込んでしまったらしく「咳が止らない」
しかし、咳っていうのは何で夜になると出るのかね?
毎晩、咳が出て眠れない日々が続き…辛い(笑)
これに熱がともなうと…結核かっ!?となり病院へ隔離されるのだが…熱は平熱。

咳止めの薬は、体への負担が大きいので出来るだけ飲みたくなかったのだが
寝れないので背に腹は変えられん
喘息で出る咳には使ってはならないのだが
今回のような黄砂が原因の咳なら、市販の咳止め薬が効く
速攻性を重視するのなら、シロップタイプがお奨め
今回久々に飲んで、子供の頃を思い出してしまった(笑)

子供の頃に「咳」が出て飲まされたのが
「咳止めシロップ」
ただし、昔の咳止めシロップは常用性のある成分が入っていたので
親に「飲ませろ~」と言っても、2本飲めたら御の字であった

咳止めシロップの代わりに、飲まされていたのが
「レンコン汁」
レンコンをすりおろした汁を飲まされたのだが…これがめっぽうマズイ
ニガイ。吐きそうになる。

「ニンジン汁」
色はキレイなのだが、その味たるや…最悪である
これを飲まされるくらいなら、咳で死んだ方がマシじゃっと何度も思った

上記のレンコンとニンジンは、手に入りやすかったらしく
よく飲まされた・・・歯をくいしばり飲むのを拒否したが
脇腹をくすぐられ、笑った口に放り込まれるので、むせた。

「大根の蜂蜜漬け」
これは他に比べたら天国の味じゃった。しかし…当時蜂蜜は値段が高く
めったに手に入らないので、記憶をたどっても1回しか経験がない(笑)

あとは塩をフライパンで炒って熱くしたものを
ガーゼでくるんで首に巻いておった
「白いマフラーみたい~」と、自分では思っていた記憶があるが
当時の写真を見ると…えらいみっともない。。。

コレを首に巻いて、「サイボーグ009ごっこ」なんぞをやっていて
ガーゼが切れて、塩が部屋中に飛び散り…大変、強く怒られた記憶がある(笑)

この…塩。本当に咳に効くのだろうか?
大人になって色んな人に聞いてみたのだが…塩を炒って首に巻いたのは
私だけのようだ

北海道では花梨も南天も手に入らなかったもんで…
苦肉の策でレンコン搾ったり、ニンジン搾ったりしてたんだろうか?
どちらにしても
出るものを薬品で止める場合は、体に負担がくる
今でも「大根の蜂蜜漬け」なら役にたつのではないかな

「龍角散」
咳の出ていないときでも普段は、この「龍角散」を
添付の小さいサジで、一杯飲まされていた

これ…粉だぞ(笑)小さいとは言えノドの奥へ入れないとニガイ
ノドの奥へ行き過ぎるとムセルしな(笑)
これを親の目の前で飲まないと、学校へは行けなかった
何度か飲んだフリをチャレンジしたため、飲んでから飲み込む前に
口を大きく開けて白い粉が口に入っているか、親が確認しないかぎり
飲みこんではいけないルールが出来てしまい、大変、苦しい思いをしていた

「ズルをすると、もっと大変なことになる」
という格言が、この時、私の中に生まれた(笑)
今は便利になって、ノドスプレーを使っておる

どちらにしても…黄砂よ。お願いだから飛んでこないでくれんかの~

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最悪の芝居

2008-10-23 | 昔話のハチャメチャ
昨日の記事はゴルフの話から思い出話となってしまったが…
思い出ついでに、もうひとつ(笑)

台本のタイトルは忘れたのだが…ヨーロッパの芝居の一つだったと思う

とある田舎町に、
子供の頃の病気が元で、声が出ない若者が住んでいた
話すことが出来ない彼は、人とのコミュニケーションに臆病となり
人と接するのが嫌になり、家に引きこもるようになって行く

息子のことが心配な母親は
「足の悪い私のために、病院へ行き、薬を取って来て欲しい」っと息子に頼み
週に一度だが、息子を外へ出すことに成功する

最初は嫌々通っていた息子だが、
回を重ねるごとに嬉しそうに病院へ出かけていくようになっていった

実は病院で出会う美しい少女に恋をしてしまったのである

どうしても彼女に、自分の恋心を伝えたい若者であったが
なにせ声が出ない。
思い悩んだ彼は、毎日熱心に教会へ通い神に祈ることにした

春が来て、夏が過ぎ、やがて町が色付き始めたころ、病院からの帰り道に
彼の目の前に黒い帽子を被り、黒い服を着た男が現れた
「毎日熱心に神に祈りを捧げているじゃないか」
「彼女に愛を告白したいんだろう」
「私なら君の悩みを解決してあげられるんだがね~」
「1分間だけなら、君に声をプレゼントしてあげられるよ」
っといって、黒い丸薬を差し出した

「神の使い」か「悪魔の使い」かは知らないが、若者は喜んで黒い丸薬を受け取り
今来た道を病院へと取って返した

病院へ着く手前、線路脇の道で若者は少女と出会った

若者は一気に黒い丸薬を飲み、話かけようと口を開いた
その時、二人の側の線路を貨物列車が爆音を響かせて通る
丸太を積んだ貨物列車の車列は長い。
1分という時間が過ぎようとした時に、それでも若者は大声で言う

「ずっと前から、あなたのことが好きでした」

貨物列車が通り過ぎ、あたりは急に静かになる

少女はおもむろに口を開き「えっ?今、なんとおっしゃったの?」

で、暗転。

っという内容の芝居であった
短い芝居だったので、他にも同じように短い芝居が4本上演された

手紙で伝えればいいじゃん。とか、筆談でもいいじゃん。とか
知らない人から貰った薬を飲むかね? なんぞの突っ込みは無視
「純粋」で「純愛」な、お芝居なのである(ガハハハハハ)

この時、男性の役者が少なかったという理由で
私がこの若い純粋男を演じることになった(笑)

前回お話した「ノラ犬」のメッカチ役は
「渡る世間は鬼ばかり」並みにセリフが多く、覚えるのにも一苦労したが
今回のセリフは一言。主役とはいえ気楽なもんである(笑)

が…私はこの時…役者として、
一番やってはいけないミスを犯してしまったのである

「体調管理を怠ってしまったのだ」

相当ヒドイ風邪をこじらせてしまい、
役柄の若者と同じように声が出なくなってしまったのである

「へん。」も「な。」も「お。」も「じさん。」もでない(笑)

芝居前日まで病院へ通い、
何とか当日にはハスキーな低い声は出せるようになったので
「どうせ、若い男の役だから問題はないべさ」っと言われ、舞台へ出た
粛々と芝居は続き、なんとか無事に終わりそうな予感がしたラスト10分

黒い服の人がニヤニヤしながら渡してくれた「黒い丸薬」を受け取り
口に含んだ瞬間。黒服の正体が解った……筋金入りの「悪魔」であった
それはなぜかと言うと…
普段の練習時には麦チョコだった黒い丸薬が
本番時には「正露丸」になっていたからである

「ギョ」っとしたが芝居は続いているのである

少女と向き合い列車の爆音が響きだし、セリフを言おうと息を吸い込んだとき
正露丸も息に引っ張られたのか、腫れたノドにへばりついてきた
「ブウェゲホゲ~~~」ってな咳が出てしまい…言葉が出ない。
しかも…声が出なくなる1分を過ぎても咳が止まらんのだ
苦しくって出た涙すら正露丸の匂いがした
最悪である…(ハハハハハハハ)

それでも芝居は続き、少女の一言で幕とならねばならん

少女はチョイと小首をかしげ「大丈夫?」っと言ってくれた。
機転の利いた一言である
そこで無事に暗転となった…が…暗いなか咳だけが響いた…客には大変ウケたがの

軽いジョークのつもりで麦チョコが正露丸になったらしい

このお話を書いた作者も、黒い丸薬が正露丸だったとは知らなかったであろう

この芝居の教訓は

正露丸は飲む薬であって、吸う薬ではない。
何かを口に入れるときは、匂いを嗅ぐべし。
これから寒くなる。風邪には気をつけよう。
で、ある(笑)

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先生の資質

2008-09-05 | 昔話のハチャメチャ
何時も遊んでもらっておるfukaさんのブログで
少女マンがでみる二人の未来ジェネレーター
ってなのをやっておった。
fukaさんは飼い猫の「ガチャ」とやってみて…
見事に鼻毛が出ていることを指摘されておった(ガハハハハハハ)
そこで私も真似をして色々な人とやってみた
お相手は「ジョニー・デップさま」

ジョニー・デップと満天の運命の一瞬
満天
ジョニー・デップ


永遠の生徒!私とジョニーの関係はそんなんだったのね~~~~(笑)

ところで最近、生徒を立たすと親が学校に乗り込んでくるとかで
生徒を立たすなんてことは出来ないとか…?

昔は宿題を忘れたり、先生が「静かに!」っと言っているのに騒いだりしたら
「廊下に立っとれ~!」っと雷が落ちたもんである
もっと昔は廊下に立ちながら、水の入ったバケツを両手に持たされたそうだが
私の頃は、何も持たずに廊下にポツンと立っていた
ほぼ99%は男子が立たされていたが…例外的にだが時々女子もいた
かくいう私も立たされたことがある(笑)

立たされてしまった元は…漫画である(ハハハハハハハ)

当時、漫画は親から目の仇にされておった
まず、殆どの親は買ってなぞくれん
が…たま~にモノ解りの良い親を持った子がクラスにおって
しかも、たいがいそういう子は親切だったので
親から買ってもらった漫画本をクラスで回し読みさせてくれた

それを授業中に読んでいて…クスクス笑ってしまい…見つかってしまったのだ

大河ドラマ篤姫で井伊直弼を演じていた中村梅雀にソックリな
そりゃ~もう、怖~い先生である

実はこの先生とは、未だに年賀状の交流がある(笑)
小学校の1年~3年までの
たった3年間だけクラスの担任だった先生なのにで、ある(笑)

この先生の得意技は、
こめかみの少ない髪の毛を、ク~っと引っ張り上げることであった
痛いの痛くないのって…そりゃ~ベラボウに痛い(笑)
今どきやったら父兄に訴えられるようなスゴ技であった

4年生になりクラス替えがあったので「ホッ」っとした覚えがあるほどである

ところが私が6年生になり卒業式の当日
この中村梅雀先生から担任を通してお手紙が届いた
中には「卒業おめでとう!」の一言と
私が小学校一年生になって書かされた
「おおきくなったらなりたいもの」っというタイトルの作文が入っていた

書いてすぐ子供達に渡しても、何処かへやってしまうだろうから
中村梅雀先生は6年間の長きに渡り、大切に保管してくれていたらしい
9クラスあった担任で、こんなことをしてくれたのは
この先生だけであった。

遅まきながら怖いだけではない、先生の愛情を深く感じて泣けた

泣けたのだが…

当時の…古い表現で申し訳ないが…オールドミスの担任がエラク感動したとかで
ぜひ、読んでみて下さいとかぬかしおった

たくよ~。
どうしても書いた記憶が思い出せない作文ぞ
右と左がやっと解った程度の小学1年生が書いた作文ぞ
小学6年が卒業式でクラスの皆の前で読める文章であるハズがなかろう

ミミズがのたくったって、もっと真面目に字になるだろうってな作文を
シドロモドロで読まされて…爆笑をかった記憶がある

わたしは おおきくなったら 2ねんせいになりたいです
2ねんせいになったら くじらのベーコンを たべます


たいして大きくならんでも、翌年には2年生になったであろうに…
2年生にならんでも、くじらのベーコンくらいは食っておっただろうに…

このあとダラダラと訳の解らん御託を並べ、意味不明のまま作文は終わっておった

先生っていうのはハタで思うよりも大変な職業だと思う
特に今の子や親はクレームを言うのを生きがいにしておるようなのも沢山いるので
そりゃ~もう、心労は計り知れないと思う。

毎年、同じ内容を違った子達に教えるのだから高度な学力保持よりも
どれだけ子供達に愛情を持って接することが出来るかが一番大切だと思う

高い学力テストに合格し教師になっても
盗撮したり幼児虐待などをするような先生も世の中には沢山いる

大分県の教員汚職問題は膿が出た良い機会であると思う
子供達にも良い教育が出来るチャンスである
学校内だけではなく、世の中には汚職は必ず付いて回る問題である
ウヤムヤにせずに子供や親を交えてしっかりと話しあうことが必要であろう

悪いことだけれども、やってしまう心の弱さを学ぶには
こんなに良い機会はないと思うのだが…

怖い先生。優しい先生。悪い先生。良い先生。
色んな教師と出会って子供は小さな頭で考えながら成長するのだと思う
優しく怒らない良い先生ばかりと接していると
社会に出てから上司に大声で怒鳴られても…対処出来ない人になると思うのだが
どうでしょう(笑)

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クマの子見ていた北海道

2008-06-11 | 昔話のハチャメチャ
 「'M/Y/D/S ペット&動物図鑑・イラスト集」より 

イラストはアメリカ北東部に生息する「グリズリー」なんだども…
北海道に生息しておるのは「ヒグマ」(笑)
同じ種類なんで許して欲しい(ハハハハハハハ)←相変わらず笑って誤魔化す

私が子供の頃に住んでおったのは、札幌市でも山の際だったもんで
時々、山菜採りに出かけた人が「ヒグマ」に出会ってしまい
「誰かがやられた~」ってな話になると
猟銃を持ったオジサン達が山へ向うのも珍しいことではなかった

昭和40年代頃まではチョクチョク出没していたが
山の奥深くまで人が住むようになって、だんだん里までは降りてこなくなった
ヒグマの絶対数も可なり減ってしまったと聞いている

子供の頃はヒグマを「山親爺(やまおやじ)」っと呼んでいたので
あの怖いものの羅列「地震・雷・火事・親爺」の親爺はクマの事だと思っておった

小学校に入ってヒグマってクマは、日本では北海道にしか居ないっと知り
ミョ~な優越感に浸り…ナゼか誇らしく思ったりした(笑)

この頃、山で親爺に出会った時の対処法として
「死んだフリ」が一番じゃ~ってなウワサが広まり
誰が一番「死んだフリ」が上手か競ったものである
が…子供は動くのが商売なもんで「死んだフリ」は難しかったし
「死んだフリ」をしているうちに、寝てしまう子が後をたたなかった(笑)

そんなアホな子供を見かねて、バー様がクマの話をしてくれた
明治の頃にクマ穴を狙ったマタギ(猟師)がクマを仕留めるのに失敗してしまい
怒ったクマが札幌市内を駆け回り、炭火小屋の戸を蹴破り家族を襲い
ガツンと一発で子供と父親を殺してから、ゆっくり食ってしまったらしい
「死んだって食われるんだぞ、死んだフリなんぞ何の役にもたたん」っと
教えてくれた。大きくなってから知ったのだが…本当にあった話らしい…。

1976年公開の映画「グリズリー」でも
死んだように気を失った男が目覚めるまで、クマはジッと側で待機しており
やおら男が気が付いた時に襲い掛かっていた映像があった
バー様の話はあながちウソではないと思う

防衛対策として山へ入る時は腰に鈴を付けたり歌を歌ったりして
「オラはココに居るど~」っとクマにアピールするのが効果的なのだが
いきなり出会うこともある
遠くに見えた時は背中を見せないように後ずさり逃げる
コチラに攻撃をしかけて来た時は…
近場の岩などの上に登り「君より僕はデカイ」っとアピールしながら
大声で喚く(笑)
それでも襲って来た時は…
ある意味、覚悟をしながら腹を下にして丸くなる
背中にリュックを背負っておって助かった人も居る

ただしリュックが「アダ」になってしまった話も聞いた事がある
登山中の学生さんが山中でクマに出会ってしまいリュックを放り投げて逃げた
クマはリュックに気を取られたので、その場は助かったのだが…
リュックの中に缶詰以外の食べ物が入っていた為に
「人間を追いかけるとエサが食える」っと思ったクマは
学生が下山するまでズーっと追いかけ回し何人かは死んでしまった事件があった

北海道でキャンプをする時は、テント内に食べ物は絶対に置かない事
食べ物はあえてテントよりも100m以上離れた所に埋める
さもないと夜、寝ている時にテントごと襲われる可能性が高い
食べ物を持ち歩く時は、ニオイが漏れないように完全密封する事をオススメする

小学生の時に一度だけクマと接近遭遇したことがある
私が住んでいた地域は山の裾野で、山際にはリンゴ園が広がっておった
時々、子供等はリンゴを盗みにリンゴ園へ入っていたのだが…
そこで同じくリンゴを盗みに入っていたクマと泥棒同士出会ったのである

出会った距離数百メートル。
向こうは既に私等に気が付いていた
木の幹に手を掛け立ち上がった姿でコチラをジッと見据えるクマが居た
自衛隊官舎に住んでいたガキ大将が「静かに!止れ!」っと小声で言ったのだが
誰一人、動くことも声を出すことも出来なかった
その場に居たクマも子供も凍りついたように動けなかった

やはりガキ大将が「走るなよ」っと言いながら一歩一歩後退していくのを見て
全員がマネをしながら一歩、また一歩と後退した

ある程度の距離を置くと、クマは手を掛けていた木の幹から離れ
ノソリっと山へ向って帰っていった

皆で相談した結果、リンゴ園のオジサンへ正直に告白することになり
その後二度とリンゴ泥棒は出来なくなった
夏にリンゴ園の隣の畑からスイカを盗んだのも我等だとバレたしの…(笑)
クマがどうなったのかは不思議と覚えていない
あまりに色々な罪状で叱られたので前後の記憶が消去されておる(ハハハハハ)

しかし、クマへの対処法をバー様に聞いていて良かった
でなければ全員で死んだフリなんぞしてクマに襲われていたかもしれん(笑)

それから5年も経たないうちにリンゴ園は消えて、畑も消えた
人の波が押し寄せ今では住宅地になっておる

北海道の先住民族でる「アイヌ民族」はヒグマを神と崇めておった
肉や毛皮を採ったあとはイオマンテ(クマの魂を神の国へ送る)という儀式を行う
アイヌの人々はクマとの共存を目指しておった

最近は人間が捨てたゴミなどを漁り人間の作り出したモノの味を覚えたクマが
あえて自分から人間に近づいてくるという現象が起きている

どうか山へ入ったらゴミを密封して家に持ち帰って欲しい
山に捨てたりはしないで欲しい
自然は我等人間のモノだけではない
地球に住む生き物全てで大事にしなければ
何れ人間も地球に追い出されるかもしれん
そうなった時に泣いたり謝ったり死んだフリをしても
誰も助けてはくれないのだから(笑)

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マッチになった金魚

2008-05-21 | 昔話のハチャメチャ
昨日の「犬話」で色々な思い出が蘇ったので、今日は始めて飼った生き物の話をしよう

私の記憶の中で「飼ったゾ」ってな思い出で一番古いのは
3歳頃にお祭りの夜店でもらった金魚である

(フリーイラスト使用)

両親にお祭りの夜店に連れて行ってもらい生まれて初めての「金魚すくい」をした
「ポイ」(金魚すくい)を使ってバシャバシャやったが
赤子に等しいガキに百戦錬磨の金魚が捕まるはずが~ない(笑)
そこで、我が親父殿が…あろうことか「ポイ」で捕まえた金魚を入れる御椀を使い
金魚屋のオヤジがよそ見をしているスキに一匹の金魚をゲットしたのである

「ズル」は決して子供の見ている前でやってはいけない
赤子に等しいとは言え、多少毛が生えた人間になっておった子供は
少々気恥ずかしい気持ちで一杯になりながら金魚を手にしたからである

家に帰りタライに水道の水を張り「レモン汁」と「塩を少々まぶして」から
金魚を水の入った袋ごと投入した

袋ごと投入するのは、袋の中の水温とタライの水温を同じにするためであり
ビタミンCを入れ時間を置くことで水道のカルキを抜き
水に塩をまぶすことで、金魚についている虫を殺すらしいが…
なにせあのテキトーが服を着ておるような親父殿が言ったこと…
本当に正しいのかどうかは解らん
っと言うのも、それから一週間ほどで金魚は死んでしまったからである

私とバー様がタライの金魚を見ていると
金魚が水面に顔を出し口をパクパクとしておるので
「バー様、なんで金魚は口をパクパクしておるんか?」っと私が聞くと
「空気が少ないんで苦しいんじゃろうね~」っとバー様が答えた
「そうなのか~」っとその時はミョ~に納得して終わった

赤子同然とはいえ、人間としては多少の毛も生えて来ておったが
脳みそにシワが一本生まれたかどうかのお年頃の私は
な~んとなく金魚の横を一人で通りかかった時に「ハッ」っと閃いてしまった
たまたま数日前に連れて行ってもらったプールで
水に潜ると苦しかったことを思い出し
「水の中におったら、そりゃ~苦しいじゃろう」っと金魚と自分を一緒に考え
ほいで、金魚を外に出してあげたのである

ほどなくして家族がワイワイと金魚の側に集まっておった
どうかしたのかの?っと思い覗いてみると、金魚が死んでおる
私以外の家族の推理によると
「金魚がタライから自分で外へ飛び出した」ってな結論に達しておった

「死ぬ」って事がいまいち「ピン」っとこなかった私は
金魚がマッチ箱に入れられ庭の一角に埋められるのをジーっと見ておった

そばにおったバー様に「金魚は死んだらどうなるんだ?」っと聞くと
テキトーが服を着て歩いているような親父殿を生み育てたバー様は
「マッチになる」っと言いはなった
「テキトーなウソ」を子供に決して言ってはならない
それからしばらく、満天少女は家族一同に
「じゃ~猫が死んだらどうなる?」「犬は?」「鳥は?」っと聞きまくった

おかげで「自分が殺したかも?」ってな思いは何処かに飛んでしまったが
も少し大きくなった時に「フッ」っとこの出来事を思い出して
自分の犯した罪にビミョウ~な落ち込みを経験した

しかし…金魚が死ぬと「マッチ」になり
犬が死ぬと「団扇」になって
猫が死ぬと「茶碗」になり
鳥が死ぬと「ラーメン」になると
聞かれた時に目の前にあったモノの名前を言いつらねた我が家族一同
それを友達に自慢げに言いふらした自分も含め
テキト~ってのは遺伝するのかの~~~(笑)

お詫び:「マッチ」で「近藤さん」っと勘違い検索されて来た方々
    誠に申し訳ない~~

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