ちと…本書の紹介画像が大きかったか?(笑)
右目の斜視にコンプレックスを抱く20歳の京子が
就職を機に引越した先で、変わりものの78歳万寿子さんと出会う。
始め、万寿子さんから様々なイヤガラセを受け、信じられない状況となるのだが
負けじと万寿子さんと対峙しているうちに、二人の間に年齢という枠を超えた友情が芽生える
「思いやり」とか、「都会で暮らす淋しい二人」とか
そんな関係でない所に、とても好感が持てた。
昔からそうなのだが、少々年配のご婦人に向かって若者は「お母さん」と呼ぶことが多い。
まったくの他人なのに、話すキッカケを作るための愛想の良い表現で使うこの言葉は
意外と年配のご婦人には嫌われている言葉なのだ。
他にも「お父さん」だの「おばあちゃん」だの「おじいちゃん」だの。
「私には、ちゃんとした名前があるの!」
「私はアナタの
お母さんでもおばあちゃんでもないの!」
そう心の中で思っている紳士淑女は、若い人が思っている数より相当多い。
かくいう私も20歳ころ、50歳前後の方に「お母さん」っと言い、とても怒られた経験がある。
その後、そういう呼称で呼ぶことを辞め、
そして私も50代となったが、今なら私を怒った彼女の気持ちが良く解る。
ただ年齢を重ねただけで、個人ではなく呼称で呼ばれるのは確かに我慢ならん(笑)
でも結局はそんな事も、諦めて受け入れていってしまうのだろうと思っていたのだが
本書の万寿子さんは、78歳となってもハッキリと嫌なモノは嫌!っと言える女性であった。
だから自分より周りが、見かけだけで「おばあちゃん」っと呼ぶのも我慢ならないし
手助けなんかもしてほしくない。
まだまだ自分の事は自分で出来るのだから、放っておいて欲しいと思っていたのだ。
そんな時に20歳の京子が現れる。
他の人と同じく年寄り扱いしていたが、ズケズケと本当の事を言ってやったら
なんと同等の立場で反目してきた(笑)
これが万寿子さんにとって、どれだけ嬉しく、そして楽しい出来事だったか
私も既にそんな淋しい気持ちを経験している。
10歳か20歳かしか違わないのに、タメ口で話してくれるような人が居なくなってきた
ま、そりゃ~そうか。とも思うが…少々淋しい(笑)
もともと私自身が傍若無人な怖いもの知らずな性格だったもので
10歳や20歳違ったからといって、一線を引いたりせずに年上との交流を保っていた
月日が流れ私が歳を取り、逆の立場になった時に
そういう傍若無人な後輩が、最近は少なくなってきているのがなんとも悲しい(笑)
そうやって考えてみれば、私は年上には可なり好かれていたな~っと思う。
ある意味、貴重種だったのかもしれん(アハハハハハ)
よく「異業種交流」は楽しいし勉強になると聞くが
「異年代」ってのも同じく楽しいし勉強になるんだがの~~(笑)
さてこの物語は最後には、ちょっと重たい介護の話へと発展する。
ただ家族が親を介護したり、介護士がお金を貰って介護するのとも違う
友情から端を発した介護の姿が見られる。
それが良いとか悪いとかではなく、そうしたいから自然とそうなった介護。
ほとんどの人が「無理」と思ってしまうだろうと思うのだが
なぜか気持ちが解る。そうは出来ないけれど、とても気持ちが解る。
万寿子さん、幸せだな~
京子ちゃんも、幸せだ。
作者の黒野さん、私と同じ歳の男性だ。どうしてこういう話が書けたんだろう
読み始めたら止まらない。機会があれば是非、一読あれ~
ポチっとで、作者のヤル気でるかもです(笑)
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