1月22日、月曜から凄い雪。横浜でコレだからホント、びっくり。
しかし、北海道札幌市生まれのわたしゃ、
犬っころのようにこの積雪を歩き回りましたた。
ま、歳が歳なもんで走り回るってな訳にゃ~いきませんでしたがの(アハハハハ)
「古希からの青春ゴルフ奮闘記」さんから毎年いただく「干支ストラップ」
ほんにありがたいプレゼントどす。
「今年も有難うございます」大事に使ってますよん。
今年は「犬」のとし。
「戌年」は結実の年。またホッと一息つく年。次のステップを考える年。
正月に頼んだ「おせち料理」。ん~イマイチだったかな~。
写真で見るとおいしそうに見えるんだけども、味がイマイチ。うっぷんが溜まる。
さてと…実は…
自宅で誰かと一緒に住むのを頑なに拒み、老人ホームなどへの入居も嫌がっておった
義父が昨年12月26日早朝に入院先の病院で永眠した。
「まさか!!???」の事態に急いで飛行機の手配をしたが
年末年始の北海道へのフライトを侮っちゃ~いかん。
飛行機業界の強気な金額の高さと
飛行機も落ちるんじゃないかと思うほどの混雑に…といっても立ってる人は居ないが
通夜に間に合わないんじゃないかと焦った。
夫は一応、長男なので、通夜に間に合わないんじゃ話にならん。
飛行機の中で喪主挨拶なんぞを暗記しつつ札幌へとなんとか旅立った。
年末だし、長男が横浜在住なんだから、「一日くらい通夜を伸ばしてよ」っとか思ったが、なぜか札幌在住の夫の妹が急ぐ。
なので、飯も食わずにあたふたと夕刻に葬儀場へ到着してみたら…
「家族葬にしたから」
「弁当頼んであるから」
「私らは家に帰るから、あとよろしく」
で、あった。。。。。
※通夜とは?
近親者が夜通し付き添って故人を偲び、線香やローソクの番を寝ずにしたことを言います。この夜通しが転じて「通夜」と呼ばれるようになりました。
「えっ? みんな帰るの?」っと思ったのは言うまでもない。
「巻き線香」渦巻き状の線香で10時間くらい燃焼するもの
最近はコレがあるので線香を絶やす心配はないらしいが
故人を偲ぶって所は…夫と私の二人っきりであった。。。
慌ただしく飛行機に飛び乗って文字通り飛んで来たので、体は疲れておったが
葬儀場では寝れん。外は雪。12月の札幌はもう根雪となっている。
隣もその隣も、またまたその隣も、故人を偲び通夜をする家族。
みな、ワイワイと故人の話に花が咲いている様子が伺える。
義父が自分で選んだ遺影写真が笑顔であったのが、救いである。
私も自分の遺影は笑顔の写真にしようと心に誓った。
と、そこへ…葬儀場の担当者の方がお見えになり…なにを言うのかと思えば
グチるグチる…。義妹の振る舞いの何点かが、腹に据えかねたらしい…
が、葬儀担当者よ!
我ら夫婦ですら言えぬこと。
君は明日で義妹とは会わずに済むではないか。頼む。飲み込んでくれ!
っとしか言えんかった。
翌朝、家族での葬儀もエライ早い時間にサッサと済ませ
夫が覚えた喪主の葬儀挨拶なんぞチャラ~っとすっ飛ばし
超特急で火葬場へ~。
年末は亡くなる人が多いのと、前日が友引なので火葬できずに待つ人多し
それ!急げ~っ!ってな話らしいが…つ・疲れる。
到着順は7番目。後ろを振り返れば長蛇の列ではあったが、
後で調べれば火葬炉数30基もある火葬場で、30人も並んではいないような?
とはいえやっぱり火葬場の人も急いでいるらしく、まだ熱々の状態で骨壺へ
「低温火傷にご注意ください」なんぞと言われながらも箸を動かしたのは初めてで
なんとも忙しく慌ただしい状況であった。
さてと…その夜…
義父があれほど「帰りたい」っと訴えていた家に、我ら夫婦のみ泊まることとなる。
骨壺は義妹の家に保管され、亡くなっても、遺骨になっても、家には帰れなかった。
家族葬なら家でやってあげれば良かっただろうに…なんぞとしみじみ思う。
義父は一か月ほど入院していたので、家に火を入れるのは久しぶりである。
外は根雪の札幌市。実に寒い。寒い。寒い。
で、急に冷えた家に火を入れたので…家が鳴る。
あっちでも、こっちでも「ミシ」「バキ」「ガサ」。
ここから少しホラー話となるので、気の弱い方はご遠慮いただきたい。
本当に夫婦ともに疲れておったので、今夜はグッスリ眠れるじゃろうと思ったが
古い2階屋は外の寒さと内の暖房に軋むにいいだけ軋んでおった。
夫婦二人で居間に布団を並べて寝ることにしたが
部屋はなかなか温まらず、なかなか眠られない。
が、いつしか体の疲れに負けて寝入ってしまっていたようで…
家の軋み音とは別の「ミシ ミシ ミシ」という音が聞こえておるのに気付いた
どうにも誰かが歩いている音にしか聞こえん。
義父の家はしばらく留守であったゆえ、「泥棒かっ!?」と夫の方を見れば
布団はもぬけの空。
「なんだ、夫はトイレへ行ったのか~」脅かすなよ!っと思い寝入ろうとしたらば
突然、私の耳元で
「ああ~」と老人の大きな溜息としか思えん声が聞こえたのだ!!!
思いっきり右から聞こえた溜息だが…
左に寝ている夫の溜息が壁を反響して右から聞こえたのかもと思い左をみれば…
そうだ。夫はトイレへ行ったのではなかったかっっ!?
では、この老人っぽい思いっきりな溜息は……???
っという訳で。私の寝ぼけた勘違いでなければ…義父は家に帰ってきたらしい。
さてと…先日…
ブログを更新する気にもなれず、無事、先日義父の四十九日を終えた。
香典袋もご霊前からご仏前に替わる四十九日。
霊から仏となり義父は何処へ行ったのであろうか?
亡くなると人は21gほど体が軽くなるらしい。それが霊の重さか?
雪の北海道から帰ってきても雪の横浜であった。
雪が解けたら納骨をしにまた北海道へ帰る。
北海道は雪の時期は墓地も閉鎖されているからだ。
今回はいろいろと考えさせられた。
北海道は冬になると雪に閉ざされ、義父は外へ出なくなる。
やはり歩くということはとても大切なことなのかもしれん。
足が弱り何度もトイレへ行くのが億劫となった義父は
水分を控えだした。
年よりが水分を控えれば色々な弊害が出てくる。
よってまず血液がドロドロとなり血栓がアチコチに出来
心拍数が上がり病院へ行くこととなった。
97歳一人暮らし。医者もホイソレとは家に帰さない。
回りは心配し、一緒に暮らそうと提案するが
気ままな一人暮らしは捨てきれん。
老人ホームなんぞはテレビのニュースで人殺しが居ると信じている。
「まだ自分は一人で何でも出来る」
「ポックリ逝っても自宅なら本望!」
とか言っているうちに…病院でポックリ逝ってしもうた。
病院は、そもそも人手が足りない。
なもんで、自力で食べない時は迷わず点滴に切り替える。
口から栄養をとらない老人は何故か弱っていく。
我らも介護療養型医療施設(療養病床)に義父を転移させる準備をし
今年1月には転院させる予定を組んでおったが…間に合わなかった。
また家族葬もエエんじゃか?悪いんじゃか?
核家族が増えている昨今、仕事をリタイヤした人の葬儀は家族葬が増えているとか
我ら夫婦は子供も居ないし、自分たちの時はいったいどうなるんじゃろうと不安を感じた。家族葬と言っても身近な友人くらいは呼んでも良いような…
なにせ色々と考えさせられる葬儀であった。
ま、つまりは、自分たちの順番が近づき、他人事とは思えないから思い悩むのだろうがの。
一円玉が1g。それが21枚で21g。
いったい魂は本当に何処へ行くんじゃろうか?
それにしても…こんなに軽いのに、こんなに重いものは世の中には無いの。
遅ればせながら、今年も皆さん、よろしくお願いいたします。
それでは、また~。
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