想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

新しい手帳を買う。

2012-11-24 16:37:42 | 日記
消耗品を買いに上田の街に出た。
ロフトで、娘にクリスマスプレゼントの代わりに、
色々買った。
食品サンプルのストラップ。
タイヤキとカッパ巻きの。リアルだ。
それと年賀状。
イラスト付きなのでベラ高くついた。
30枚も書くのか。凄いなあ。私は三枚あてがあるのみ。
足りなかったらコンビニで済ませよう。と想う。

新しい手帳でテンションがあがる。
今年は埼玉帰省が絶望的なので、
年末のイベント沢山写真撮って、
アルバム作っておかーさんに送る計画。
それで、来年はちゃんとイベントあるたび写真撮ってアルバムを作る。

来年、どんな年になるんだろう。
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気がゆるむ…

2012-11-23 19:59:35 | 日記

ダンナサマの呼び出しベルには素早く反応するのに、
今朝は目覚ましにも気づかず、
起きたら9時半。
自分だけ支度すればいいので、
出勤には間に合った。

小雨のなか、カメラの現場。
終えて家に帰れば、
子供たちがコタツでくつろいでいた。
私も自分の食事を済ませ、
少し本を読んで、
そのままコタツで眠ってしまう。

ダンナサマに眠りを中断されることもなく、
この先のお世話もない。
夜のベッド移動だけで、どれだけ神経をすり減らしていたか判る。
このまま、こうしていたいと想った。
ダンナサマには生きていて欲しいけど、


…なんか、疲れた。

入院していれば、一日テレビ代100円だけの、
ダンナサマの生活。
私たちは何もせずに、自分の生活を送れる。
家にいれば、
はんぱない灯油代。電気代。
食事、排泄、マッサージ、体位交換…
ダンナサマの気持ちに変えられるものはないのだけど。
なんかお金かけて苦労しているってなんなの、と想ってしまう。
ダンナサマが怒鳴り散らせばなおのこと、
モチベーションが下がってしまう。

辛い。

子供たちが、ため息をつくのを見るのも辛い。
想うようにでかけられないのも辛い。
今年の忘年会、妹はまた泊りがけで行くというので、
少し云いあいになった。
なにも泊まりで行くことないじゃない?
子供もダンナサマも丸投げで。
去年は良かったかも知れないけど、
今年はダンナサマの容態も大分違うのだし。
でも、そこは譲らないらしく、妹は話題を断ち切った。
私の忘年会とバッテイングしたらどうするの?
と聞いても、無言。
まあ、好きにすればいい。
私が自分の忘年会を断ればいいだけのこと。
別に行かなければクビになるわけでもあるまいし、
家の事情なんだから仕方ない。
あの重いダンナサマも、
最近は夜になると体力も尽きて、
いつ車椅子からひっくりかえるか判らない。
子供たちには重荷だろう。
私は、見て見ぬふりはできない。
損な性格かもしれないが仕方ない。


とりあえず。
ダンナサマ不在の時は、
精一杯、子供たちのことをしてあげよう。
今日の夕飯は、
あんかけやきそば。
ぎょうざ。
トマトのサラダ。
ゴマ豆腐。

生協が来たんでいろんな食材がある。
嗚呼このめばちまぐろは、ダンナサマの好物で買ったんだっけ、とか、
つい、ここにいない主を想ってしまう。

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終の場所。

2012-11-22 19:44:58 | 日記

お昼前、保健所から役人がくる。
ダンナサマの介護度の見直し。
介護度はこれ以上あがらないでしょうに。
淡々と問診して帰って行った。

昼、介護タクシーと共に妹が帰宅し、
ダンナサマを乗せて一路K病院へ。
主治医には連絡がいっていて、
泌尿器科と、神経内科で受診後、
今月いっぱい過ごす東病棟へ。
前回のリハビリ入院時の病棟は南。
雰囲気が違った。
活気がない。
雑然としている。
この落ち着きのなさはなに?と想ったら、
とりあえず急患を悪化させず落ち着かせる部屋らしいことがわかった。
空き部屋がでたら、それぞれの適所へ移動らしい。
難病患者の病棟は4階と聞いて、
空き時間にひとりで行ってみた。

そこはまた別の空間だった。
活気はないが、音もない。
音を立てているものといえば、
心音機、呼吸器、そんな類の機械音。
病人は、口を大きく開けて目をあけたまま横たわっているひと。
呼吸器をぶくぶくさせているひと。
動けるひとは見えなかった。
みんな静かに寝ており、
会話も聞こえない。

ここで、ダンナサマは終わるのか。

心が黙り込んだ。
数日したら、ダンナサマはここに来る。
そしてこれを見るのだ。


入院相談や手続きで、帰りは五時過ぎ。
すっかり夜になっていた。

明日から主のいない家になる。
その家に帰る。




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静かな夜が、

2012-11-21 10:48:03 | 日記

修羅場と化しました。


平日は子供たちの起床時間も考慮して、
ダンナサマには申し訳ないが9時、
9時にベッドに移ってもらう習慣を作っていました。
私と子供たちのどちらかが協力してくれたら、
結構スムーズに事が運ぶのですが、
ミズタンがイライラして、ボイコットする日が続き、
私はもう、変に人をあてにはすまい、
その方が自分も穏やかでいられると想っていたんです。

で。昨日の夜。
ダンナサマがまだトイレも済ましておらず、
「疲れたので早く眠りたい」と申し上げたら、
妹が帰ってくるまで待っているから、
もう先に寝ていいよという。
でも妹は何時になるかわからないし、
日付が変わったらどうするの?
途中で起こされるのは勘弁して欲しかった。
妹にメールするも返ってこないし、
ダンナサマに連絡もとれないひとを待っていても、
自分がしんどうだけよ、と云っても、
「早く帰ってくるから待っている」と聞かない。
だーかーらー。何を根拠に云ってるの?って感じ。
そうこうしてる間に、ミズタンがベッドへの移動を始めた。
私はダンナサマが承諾したのだと思い、
移動の体勢に入ったら、
ミズタンが「ちょっと待ってて」とその場を離れてしまったので、
もう安直に、あてにしないほうがいいと独断で、
一人で移動を始めたのだが。

もうすっかりぐにゃぐにゃのダンナサマの全体重を支えることができず、
ベッドの手前に落としてしまったのだ。
そこへミズタンが飛んできて「なんで待っていないの?」と云うので、
「いつ戻ってくるかも判らないひとを、私は待っていられない」
と答えたら、ダンナサマが、

もう俺のことは放っておいてくれ!!

と大声を出し、

ミズタンは泣きそうになりながら、私の手を払い、
「あっちへ行って!」だし、
ミオッチは後から飛んできて二人でベッドの上に引き上げた。
わたしはもういたたまれない気持ちになって、
介護部屋を離れた。

明日からリハビリ入院だというのに、
このテイタラクだ。
また、入院できませんとなったら、
どうしたらいいのだろう。
ものすごい気まずい雰囲気になってしまった。

私の覚悟が中途半端だから、
こういう事態になったんだと想う。




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気持ちが勝手なことをするんです。

2012-11-20 17:17:01 | 日記

長い間連載されていた話が終わるとき、
私は非常に不安定になる…。

いやだ、行かないで。
私をおいていかないで。
何故、こんなに虚しいの?
バッドエンドでも、ハッピーエンドでも、
胸の痛みは変わらない。
同じ気持ちが、うずくまる。

そして、また同じ出会いを求めて、
本を手にするんだけど。

違う。こんなんじゃない。
こんなはずじゃ、なかったのに。
また、終わってしまう。あなたとの日常が。



ダンナサマを看ていて、時々どうしようもなく、不安定になる。
何かをきっかけに、というなら心配はないのだけど、
理由もなく、不安定なとき。
心臓が戦慄くとき。
大声を上げたくなったり。

ダンナサマの頭を、鈍器で殴りたくなるのは…問題だ。

この心の震えが、どこからくる感情なのか、
きっと知らないでいたらいいんだろう。
でも、今日、ダンナサマのわがままに付き合っていたら、
思わず叫びそうになった。


「お母さんは、痛くても最期まで働かされたんだよ!
動けなくなるまで、働かされたんだ、アンタに!!」


人は記憶違いをしたり、
大事なことでも忘れたりするが、
ダンナサマは、母に関する都合の悪いことは全て忘れてしまっている。

「こんなになっても働かされるなんて、思ってもいなかった」と泣いた母と、
「仕事だけはするなと云ったのに」と後になって語った父。

「お母さんが痛がっている。今の先生は何も検査もしてくれない。
他の病院に移った方がいいよ。再発していたらどうするの」
という私に、ダンナサマは、
「医者に任せておけばいいんだ。子供は黙ってろ」としか云わない。
私は、母の写真を撮って、
写真を見ただけで、そのひとの病気が判るというひとのところへ行き、
絶望的なことを云われた。
「貴女のお母さんはもう手遅れの癌です。
すみません、どんな手を尽くしても治るものじゃない。
ちゃんと医者に診てもらって、苦痛を取り除いてあげたほうがいいです」

その話を父に話しても信じるわけがなかったし、
母が亡くなってから、どういう記憶違いか、
母の隣にいた末期癌のひとの家族が、
写真で末期だって云われたらしいが、そんなものに大金払って馬鹿みたいだ」
と、私に云ってきたのだ。
なにをどう聞けば、そういう勘違いをするのか判らない。
でも、ダンナサマというひとは、そういう類の勘違いをする人だった。
もしかしたら、都合のいいように記憶を封印してしまうひとなのかも知れない。
思い出すと辛いから、
自分の落ち度にいちいち落ち込んでいられないから、
記憶を変えてしまうのかな。
その隣りで、私は困惑するばかりだったが…。
困惑して、怒りを持続させる人間だ。
母を診たヤブ医者よりも、
母の声に耳を貸さない父を恨んだ。

恨んでいた。
ずっと、恨んでいたから、
忘れなきゃ、介護なんて、できやしないのだ。

なのに、今日は思い出してしまった。
胸の戦慄きが、怒りと哀しみによるものだと、

自分を、疑ってしまった。
この痛みは紛れもない、殺意であり、
母を失った哀しみ。
自分への憎しみ。
自分殺しは何度も試みたが、
ダンナサマには、手をあげたことはない。

違う。こんなんじゃない。
こんなはずじゃ、なかったのに。
大丈夫、これからも、続けられる。
でも、何故、苦しむだけなのに、思い出した?
身体の軸が弱くなってきたダンナサマが私の腕にもたれてくるとき、
ゾクリと突きあがってくる感情が、
その後の疲労感が、
あの過去からの怨恨だと知ると…

もう、私は。





私も、記憶の改ざんをしたい。
みんな、辛いこと、こうすればよかったとか、
こんなこともできたのにとか、
ダンナサマに怒りを向けるだけではなく、
自分ができたであろうことを、
いつまでもくよくよとせず、

きれいに忘れて、
美しい記憶だけ残して生きれば、
痛むこともないのに。

そうして、愚かに私は、
恐ろしいものを召喚するのだ。
自分をもっと痛みつけるために。


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