想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

あと何回別れを学んだら、この課題を終えられるのだろう。

2017-03-10 18:54:25 | 日記

心療内科の日でした

今日も 精神状態が不安定で

30分も前に バス停に着いてしまった

なにやってるのかなあ …

なんか 頭 停止

病院行くのヤダ ヤダ ヤダ …

コンビニで 350mlの缶チューハイ買って

家屋の隅に隠れて 飲んだ

当然美味しい訳がなく 何度もうえっとなりながら

涙が ポロポロ

でも しばらくすると 「行くか」という気持ちになる

どうせ 今日は 主治医に酒がやめられないと 告白するわけだし

で 待合室で待っている間に

変な汗が拭きだして 呼ばれたころには 限界

それでも なんとか現状を伝え

もう じいの介護は限界だと 伝えた

断酒が 途切れたのも  じいの退院時で

恐怖や不安 疲れを吹っ切るのに

アルコールを 使ってしまった

もう身体は拒絶しているのに 飲まずにはいられない

それで 過食 過呼吸を起こす回数が増えて来て

朝は 倦怠感が半端なく 動けない

で また アルコール

先生と話しているうちに 猛烈な嘔吐感が襲ってきたので

「もう限界 吐く」

というと 一度吐いて 点滴受けて帰る? と 云ってもらえました

だけど 今月は診断書書いて貰って 役場に提出する時期で

診断書にいくらかかるかわからないので 丁重に辞退した

診断書は3000円超えた 痛い …

月末の循環器ではまた検査で 5000円くらい 吹っ飛ぶ

酒なんか 飲んでる場合じゃない!

家に帰って 2時間 爆睡し

吐き気で目覚めて やっと嘔吐できた

本日の夕餉は せり鍋

癖になるほど 美味しい鍋だった

セリが こんなに美味しいなんて!

ササミと イワシのつみれ 油揚げ 豆腐で 美味しく戴きました

嘔吐の後は とにかく 胸と 耳の下が痛くなります …。









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私が愚かで、清か風が代わりに泣いて、怒りを鎮めてくれたのです。

2017-03-06 21:24:22 | 日記

何回目の 崩壊の危機だろう

娘が 卒業式の代休で良かった 

右の鎖骨の下が痛くてたまらず

ほぼ一日 横になったまま

愛しいと想っていたひとの 言葉を

ぽろり ぽろり と 思い出しては

嘘だらけの幸せだった日々を それでも 取り返したいと願った


次の地を もう 探すことはできない

もう 手遅れになってしまったんだよ



そらが 独りになっても困らないように

エンディングノートを 書きはじめた

2年前に買ったノート しばらくしまったままだった

自分の人生年表なんて 必要だろうか

伝えたい味も 旅した記録も

そらが生きるのに 必要な記録だろうか

ペンが なかなか進まない

心配なのは 私が残せる僅かなものすら

父親面した あの男が近づいてきて 奪われやしないかってことで

誰が 娘を 護ってくれるんだろう

自己防衛ができればいいんだけど

パパ大好きっ子だからなあ

まあ 私は どんな存在になっても 全力で護るけどね

憑りついて 殺してやる

共に 地獄に 堕ちてやる

いや もう 地獄行き決定だから そう想える

もう

手遅れなんだよ

ざまーみろ

ひとの念の恐ろしさを 思い知らせてやる。


でも まだチャンスが残されているなら

もう一回 優しい人間に なりたいな。






 


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山々が霞み天が泣きだしても、それは哀しみとは限らない。

2017-03-05 11:29:56 | 日記

善光寺さんに行った日

本当は祈祷をしてもらいたかったんだけど

場所が判らず

一回行った場所なのに 思い出せず

気力を失った

普通にお参りして 駅に戻り

夕飯のおかずでも買おうとしたけれど

思考が停止していた

忙しく行き交う人をよけながら歩き

次第にイライラしてきた

全てのものに対して

いきなり 幼い頃 酷いイジメにあっていた事を 思い出したり

受験のとき 軽いノイローゼ状態で

自傷行為をしたり ストレスで歯に激痛が走り

何日もろくに眠れなかった事

明らかに 神経がおかしくなった

保育園時代から

度々 情緒不安定になっても

親は助けてくれなかったこと

世間に知られぬよう 隠されたこと

初めて心を赦した男には 最初から嘘しか云われてなかったこと

初めて死を 願ったこと

初めて ひとを 恨んだこと

怒涛のごとく 激しい感情が襲ってきて

立ち止まり 動けなくなった

長野駅の片隅で 発狂しそうになった

もうこの先 私は笑うことはないだろうと思った

役立たず

誰かの スペア

社会のゴミ



腹立たしいほどに 気付いてしまった。



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哀しみに囚われ命の水を絞りとられても、時は歩みを緩めてくれない。

2017-03-03 20:52:11 | 日記

神頼みに 善光寺さんに行ってきた

じいの苦痛が 少しでも和らぐように

帰りの電車で 体調がおかしくなった

発熱。





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父のALSは、固い螺旋を徐々に締め上げるように、緩和な拷問のように進行している。

2017-03-02 16:49:52 | 日記

じいは 悪化の道を 辿っている

そして 介護者は また 重篤な アルコール中毒に 身を委ねた



SWさんとの 面談

自宅での 介護の難しさを 訴える

主治医も その 難度について考えている ということを知って

少し 安堵する

今は 4月の一時退院について

結論を出すのは難しい

まだ その 必要性もないも ないことを

つまり あと 1か月 様子見

今日 結論は 出す必要なないって

病室に行くと 父は風呂の時間だった

しばらく待っていると 

風呂から戻って じいの顔を見れた

風呂上がりの一杯の水すら もう 赦されない じい

さぞ 辛かろう

私は 

じいの腕や手をさすりながら

今まで じいの期待を裏切ってばかりいた 自分を 謝罪をした

ごめんなさい

親孝行もできないで 私は じいの 期待を裏切ってばかりいた

親孝行できる今になって何も出来ない

すまない

ごめんなさい

赦して下さい …

母の最期を 見届ける時に 同じ気持ちでいた

親の期待に応えられない 娘

ごめんなさい

何が いけなかったんだろう …



じいは 父は

「まだ 自分より重い状態の人もいる 俺は まだ 大丈夫だ」

と 云った

敗北感と 共に 家に戻った


そうだ 

こんな時は 善光寺さんに 行くしかない。

 



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