記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

メルトダウンへの道

2016年03月25日 05時42分56秒 | Weblog
3.11から5年目の春はメディアにいろいろな特集が組まれましたが、その先駆けに大津地裁による長浜原発の再稼働を差し止める仮処分のニュースがありました。
東工大の教授が、裁判官は原子力の素人であって、司法はこのような判決で関与すべきでないと批判していたのには驚かされました。
原子力平和利用の掛け声で日本に原発を率先して導入したのは科学にも技術にも無知の政治家でした。
3.11の地震から88時間の間に福島原発で何があったのか。直後のニュースにはいつも肝心なことが誤魔化されている印象を拭えませんでしたし、いろいろな立場から公開された報告書はどれも国民が知りたい本当のことを隠している感じがありました。
5年経って文庫本になった「メルトダウンへの道」を読んで、日本が研究炉を導入した当時からの動向をよく理解していなかったことを改めて知りました。

「原子力政策研究会 100時間の極秘音源:メルトダウンへの道
NHK RTV取材班著 新潮文庫2016年3月

2011年9月にETVで放送されたシリーズ「原発事故への道程」:
 前編 置き去りにされた慎重論
 後編 そして“安全神話”は生まれた
と、2012年6月に続編として放送された「“不滅”のプロジェクト」:
 核燃料サイクルの道程
の取材記です。
2013年11月に新潮社から「原発メルトダウンへの道」として刊行されましたが、
改題して2016年3月に新潮文庫として刊行されました。

改題される前の本を既にお読みになった人も多いかと思いますが、まだの方にはお勧めです。
ようやく読み終わった時、東海村のプルトニウムが搬出されアメリカへ出港するというニュースがあり、現在の日本の原子力政策の本質が顕現したと知りました。

北朝鮮が国連決議に従わず、核実験を行い、水爆を開発したと主張し、核弾頭を付けたロケットを発射する準備ができたと公言しています。
これに対し、韓国の一部に自分たちも核兵器を保有すべきだと要求する動きが出てきました。
日本ではそのような主張は表立っていませんが、朝鮮戦争が始まったばかりの頃、アメリカの一部に核兵器を日本に持たせろと言う意見があったと聞いたことが有ります。
実際には、日本がそのようになることをアメリカは常に恐れていたのかも知れません。
日本の中の動向としては、いつでも核兵器を作れるだけの準備がある状態でなければならないとする勢力が見え隠れしてきたというに留まるでしょうか。
そう考える人々がいつも国政の中枢にあり続けたのではないかと思えないでありませんが、疑いの当否を問うても意味ないかもしれません。

日本では研究者が自分たちでシステムを一から開発して実用化しようとしても、途中で外国から出来合いの技術を購入し利用しようという動きに負けてしまうと言う説があります。
新しい技術の開発と実用化のために費用も人員も期間もアメリカは日本の10倍を投じているので、輸入する方が安くつくのだ、と。
その最初の例が原子力発電だったようです。
導入してみると、日本のいろいろな実情に合わないこともあったりし、トラブル続きになる。
しかし、その多くは一般に知られることがなく、知られたときはリスクを過小評価するのが普通だったようです。

原子力の平和利用は冷戦下の米ソ核兵器開発競争の激化があったからこそで、アイゼンハウアーは国連で呼びかけ、原子力技術を積極的に各国に提供する用意があると訴えた。
1955年に日米原子力協定が結ばれ、東海村に日本原子力研究所を設置。
日本が商業炉として導入した最初の軽水炉は原子力潜水艦ノーチラス号の動力として開発されたものを発電用に転用したものだった。

「原子力政策研究会」は旧通産省や旧科学技術庁の官僚だった人や電力会社やメーカーの重鎮たちがメンバーで、日本への原発の導入と運営を第一線で担ってきて現職を退いた人々。
そこで行われた議論の録音テープは、かなりの部分が「核燃料サイクル」を巡るものだった、と。
年表によれば、1956年に原子力委員会が発足し、「原子力開発利用長期基本計画」で「増殖型動力炉がわが国の国情に最も適合する」とし、核燃料サイクルへの方向性を定めている。
原発の使用済み核燃料には強い放射能が残っており、再処理してプルトニウムを取り出して再び燃料として使用するシステム。
「高速増殖炉」を使って核燃料を燃やすと、使用前より多くのプルトニウムを生み出すことになる。このプルトニウムを再処理工場で再び核燃料に加工し、高速増殖炉の燃料として使っていく。
このサイクルが成立すれば日本はエネルギー問題から解放される、と。

実現には技術的にもコスト的にも困難があり、非常にリスクが大きい。
核燃料サイクルの要として福井県に造られた高速増殖炉「もんじゅ」は試運転でトラブルを起こしていたい一度も本格稼働していない。
また青森県六ケ所村の再処理工場もトラブルが続き本格運転が出来ていない。

電力会社は次々に軽水炉の原発を建設してきたが、その使用済み燃料に含まれている少量のプルトニウムを将来高速増殖炉が出来たときのために備え、捨てられず、長期計画は迷走。
1988年に日米原子力協定が結ばれ日本の核燃料サイクル計画を進められるようになったが、協定には30年の有効期限が有り、2018年に切れる。
原子力委員会の発表では現在わが国が当面使用する予定なく保有しているプルトニウムは47トン。国内に10トン、海外に37トン。
核燃料サイクルのプロジェクトを何故か捨てられないために、内外からの疑惑が深まっている
あるいは、東海村からの搬出は核燃料リサイクルの放棄を決定したことの現れだろうか。


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