数年前、大学生の学力低下を問題としてTVが京都の私立大学の対策を紹介していたことがある。予備校の先生を招いて物理学科の新入生に中学まで遡るような数学の補習授業を受けさせ、並行して通常の物理学の講義をしていたのである。
物理学の授業では先生が黒板にシュレーディンガーの方程式を書いて説明していた。その落差に、いくら補習をしても無理があることは歴然だと思ったが、TVはそれを批判しているわけではなかった。今はどうしていることか。
それより前、数学の先生との雑談で偶々シュレーディンガーの方程式が文科系の人間には取っ付き難くてならないと言ったら、微分を勉強した理科系の学生なら、これが固有値問題だと直ぐ分かり、それが分かれば理解は難しくないと応えられた。
これがどうして固有値問題なのか、後でゆっくり勉強しようと思って、つい30有余年になる。
最近は、微分を勉強しない心理学の学生でも固有値問題ならデータ解析で習う。心理テストやアンケート調査で卒論を書こうというなら、パソコンが計算してくれるから誰でも平気で因子分析ぐらいは試みる。パソコンは相関行列を算出し、固有値を好きなだけ求め、因子負荷だといって固有ベクトルを計算する。
微分は全く使わない。レポートや卒論に数式を書くこともない。グラフと一緒にベクトルを図解することはあるかもしれない。
理科系とは問題が違うかも知れないが、複雑な様相をした沢山のデータの山を前にしたら、それを圧縮し単純化して理解しようとするのは一緒である。領域が異なるどんな問題でも、固有値問題として捉えてみようという試みはしばしば有効である。
データ解析法の授業では、記号を使って相関行列をR、固有値をv、固有ベクトルをxなどとし、
Rx=vx
といった式を書き、これが固有値問題だと教えたりする。これがシュレーディンガー方程式と同じだと理解するのは文科系の人間には難しいし、必要ないかも知れない。
しかし、固有値という言葉に馴染めない学生には子供のときに絵本で読んだ一休さんの頓知話を思い出してもらえばよい。重い釣鐘を指でグラリグラリ振動させた話である。黒板や机をノックすれば、それぞれ違った音がする。入力と出力を持つシステムは、素粒子であれ、人の心であれ、全て固有の振動特性を持っていることは容易に理解できる。
シュレーディンガーは心理テストのデータ分析など考えたことも無いだろう。しかし、彼の色覚理論は今日の感覚心理学にとって最も意義あるモデルのひとつである。
物理学ではシュレーディンガーの猫が示唆に富む議論の源泉となっており、今では多宇宙の説明のために猫がいっぱいいるとして想像力を駆り立てているのは周知の通りである。
生きているかどうかと言うことであれば、「生命とは何か」を差し置いた議論は意味が無い。岩波新書に邦訳の定番がある。数式が全く用いられていないのは、生命があまりに複雑だからだとし、巨大なシステムの成り立ちには特別な構造があることを示している。
染色体を非周期性の結晶だとし分子生物学の先駆けとなった研究であるが、複雑系の議論の嚆矢でもある。原子がどれくらい小さいかを示すために、コップ一杯の水の分子に色を着けることができたとし、海に流して十分かき混ぜてから再び一杯を汲むと、その色の着いた分子が100個前後入っているだろう、という話を紹介している。
われわれの周りには複雑系だとすべきものが沢山ある。そのひとつとして、人の心は生命のサブシステムであるが、生命と同じ程度に複雑なシステムであるために、心理学は生物学や物理学に還元できないのではなかろうか。
物理学の授業では先生が黒板にシュレーディンガーの方程式を書いて説明していた。その落差に、いくら補習をしても無理があることは歴然だと思ったが、TVはそれを批判しているわけではなかった。今はどうしていることか。
それより前、数学の先生との雑談で偶々シュレーディンガーの方程式が文科系の人間には取っ付き難くてならないと言ったら、微分を勉強した理科系の学生なら、これが固有値問題だと直ぐ分かり、それが分かれば理解は難しくないと応えられた。
これがどうして固有値問題なのか、後でゆっくり勉強しようと思って、つい30有余年になる。
最近は、微分を勉強しない心理学の学生でも固有値問題ならデータ解析で習う。心理テストやアンケート調査で卒論を書こうというなら、パソコンが計算してくれるから誰でも平気で因子分析ぐらいは試みる。パソコンは相関行列を算出し、固有値を好きなだけ求め、因子負荷だといって固有ベクトルを計算する。
微分は全く使わない。レポートや卒論に数式を書くこともない。グラフと一緒にベクトルを図解することはあるかもしれない。
理科系とは問題が違うかも知れないが、複雑な様相をした沢山のデータの山を前にしたら、それを圧縮し単純化して理解しようとするのは一緒である。領域が異なるどんな問題でも、固有値問題として捉えてみようという試みはしばしば有効である。
データ解析法の授業では、記号を使って相関行列をR、固有値をv、固有ベクトルをxなどとし、
Rx=vx
といった式を書き、これが固有値問題だと教えたりする。これがシュレーディンガー方程式と同じだと理解するのは文科系の人間には難しいし、必要ないかも知れない。
しかし、固有値という言葉に馴染めない学生には子供のときに絵本で読んだ一休さんの頓知話を思い出してもらえばよい。重い釣鐘を指でグラリグラリ振動させた話である。黒板や机をノックすれば、それぞれ違った音がする。入力と出力を持つシステムは、素粒子であれ、人の心であれ、全て固有の振動特性を持っていることは容易に理解できる。
シュレーディンガーは心理テストのデータ分析など考えたことも無いだろう。しかし、彼の色覚理論は今日の感覚心理学にとって最も意義あるモデルのひとつである。
物理学ではシュレーディンガーの猫が示唆に富む議論の源泉となっており、今では多宇宙の説明のために猫がいっぱいいるとして想像力を駆り立てているのは周知の通りである。
生きているかどうかと言うことであれば、「生命とは何か」を差し置いた議論は意味が無い。岩波新書に邦訳の定番がある。数式が全く用いられていないのは、生命があまりに複雑だからだとし、巨大なシステムの成り立ちには特別な構造があることを示している。
染色体を非周期性の結晶だとし分子生物学の先駆けとなった研究であるが、複雑系の議論の嚆矢でもある。原子がどれくらい小さいかを示すために、コップ一杯の水の分子に色を着けることができたとし、海に流して十分かき混ぜてから再び一杯を汲むと、その色の着いた分子が100個前後入っているだろう、という話を紹介している。
われわれの周りには複雑系だとすべきものが沢山ある。そのひとつとして、人の心は生命のサブシステムであるが、生命と同じ程度に複雑なシステムであるために、心理学は生物学や物理学に還元できないのではなかろうか。
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