記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

セクシーな数学

2010年09月19日 13時53分35秒 | Weblog
足立区、葛飾区、江戸川区は教育や文化などで遅れているということのためか、金町駅前に出来た葛飾区立の中央図書館は足立区や江戸川区の住民も自由に閲覧や借出ができるとあって近頃便利に利用しています。
偶々見かけて面白そうだと借りてきた本のひとつに

チャイティン(著) 2002 黒川(訳)2003
  セクシーな数学:ゲーデルから芸術・科学まで 岩波書店
というのがありました。

チャイティンがどんな人かも知りませんでしたが、「知の限界」という著書があって有名らしい(書店で見かけたような気もしますが確かではありません)。
原題は “Conversations with a Mathematician” で、邦題は9章ある中の1章のものでした。

その章では、彼は数学の研究を登山に例えていました。
対談の聞き手が「偉大な数学者になるには、狂気がいるのでしょうか」と問うと、
「狂気がいるとは思いませんが、役には立ちそうですね。正常な人間、健康な人間、・・・、これは素晴らしいことですが、数学には邪魔でしょうね。数学的なアイデアは強迫的です。・・・」と応え、アインシュタインの話を紹介しています。
アインシュタインは2度の結婚を失敗だった考えていたようです。

「まえがき」と「序文」から伺うところでは、チャイティンの研究は「計算量、情報、ランダム性、既約性」に関するものだ、とか。

Mathematicaという、何でそんな事が出来るのか私には不思議なソフトがあります。これを開発したウルフラムと言う人が、その著書「新しい種類の科学」で「人間と万能コンピュータとに本質的な相違はない」と言っている、と言及しています。
昔、購入して棚上げしたまま分厚さに圧倒されて未だに読んでいませんので、「万能」とはどういうことか分かりませんが、フォン・ノイマン流の原理によるものであれば、どんなに高機能なスーパー・コンピュータであれ、人間という情報処理のシステムとの間に本質的相違がないという考え方は既に論外で、将来には可能になるかも知れないコンピュータということではないかと思われます。

その上のこととして、魂とは何かを考えたりしているのでしょう。
「生物学的観点からは、性愛的行動の目的は情報交換にあり、・・・、わたしにとって『情報』とは、明らかにセクシーなテーマであり、・・・、魂を、機械から機械へと移動するソフトウエアと考えることができます」、と。

まだ数ページしか読んでいないのに分かったようなことは言えませんが、「皇帝の心」などを書いたペンローズの考えに通じるところもあるようです。
ペンローズは「心が何であるかは、物理学が究極の原理を解明するまでは、証明できない」というようなことを言ってもいますが、究極の原理とか証明とかの問題として計算機の停止問題を論じています。
チャイティンはこの本の最初の章で、停止問題について述べています。

問題解決のプログラムをコンピュータ上に走らせて、それが停止するまでの時間に限界があるかどうか、という問題です。
この問題は1930年代から知られていたそうです。
限られた時間に停止しないプログラムについて、それが決して停止しないことを決定できるか、が基本的問題です。

あるプログラムが停止するかどうかを問う代わりに、ランダムに選んだプログラムが停止する確率はどうかを尋ねる、というのがチャイティンの研究だったようです。
実際には、自然数を含む方程式を構築して解があるかどうかを問う。
あるいは整数を含む方程式について、それが無限個の解を持つか、それとも有限個の解を持つか(解を持たないのは有限個の場合になる)を問う。
これは完全に予測不能だということを、多分LISPを使って実際に方程式を書き出したりしながらランダム性を目に見える形に示しているようです。


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