プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
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「みるなのくら」読みました

2019-09-02 09:09:30 | 読んだ本
絵に惹かれたこのお話も昔話。
「みるなのくら」
山で道に迷った若者がたどり着いた家で、
1から11までの蔵は見てもいいけど、
12番目はダメだからね、と言われたのに、
開けて見てしまう、という話。

見ないでって言ったのに!
というストーリーもたくさんある。

「鶴の恩返し」しかり、
「イザナミ、イザナギ」のお話しかり。
そっくりな神話のオルフェウスも。

子どものころ、この理不尽な展開に
なんとかならないのか! と。
やるせない、スッキリしない読後感を
抱きつつ、どういうわけか、
また読んでしまうという無限ループ。
わがネガティブケイパビリティの一部は
このスッキリしない展開で養われたに違いない。

「見るー見られる」という関係について、
すっごく意識したのは高校生ごろからか。
自分がどう見られるか、を意識しないように
がんばり始めたのがその頃。
見られることにビクビクしている状態を
腹立たしく思っている頃に電車に乗って、
「見る」側にも立てることにふと、気づき、
なんだか「見る側」って有利だなぁ、なんて思った
記憶がある。

「見る」ってパワーだよね。
見ることはとっても権力を持ってる。
どう「見せる」かってことに、
これだけのお金と関心が向くのも当然っちゃ、当然か。

ネット経由で昔、音だけ聞いてたアメリカンポップスでも、
昔、見せてもらえなかったドラマや歌謡曲番組でも、
きっとその年代ではタブーだよね、と思われる内容の投稿でも、
何でもかんでも、今、ここで見れてしまう現代。
ネガティブケイパビリティ、いまどきはどこで育っているのかな。

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