
ルーティンについて考えていたのは、
「定年後」について考えていたから。
縁あって、定年後について考える仕事をしている。
自分自身、日本での仕事を辞めてハワイに来て、
「ああ、定年後ってこういう感じなんだな」と実感した。
初めの数ヶ月は決まったことをやらないで済むので、
なんとなくワクワク。
だけど、途中から落ち着かなくなった。
だいたい、知り合いもいなけりゃ、言葉も通じないのだ。
もう、買い物に行くのも嫌になりだしていた。
コレまで、何も考えなくてもどこに何が売ってるか、
欲しいものがどこにあるか自動的に見つけることができた。
ところが、ハワイ移住後、欲しいものがどこにあるか
わからない。使い方の分からない、元気のなさそうな野菜が
並んでいることにがっくりし、スライス肉の厚さにびっくりし、
値段の高さにため息をつく日々。
日本にいるときの感覚で買い物をしていたら破産する。
全てが0から、という生活は、
それこそ肉はここ、野菜はこの店とか、バス用品はここ、洗剤はここ、
というように「いつもの」ができるまで、やたらとエネルギーを使う。
例えば液体の入ったボトルを見て、
シャンプーなのか、台所用なのか、ハンドソープなのか判明するのに、
しばし時間がかかる。
パッと見て「これこれ」っていう感じにならない。
それでもって、買い物に行くだけで、
何をしたというわけでもないのに、
やたらと疲れていた。
多分、定年後、
「いつもの何か」ができるまで、疲れるのだと思う。
「仕事してるわけじゃないのに、なぜ?」と
思うかもしれないが。
仕事に行く必要がなくなった、
という喪失感だけではなく、
次なる生活のルーティンが出来上がるまでの、
心理的エネルギーの消費ということを考えると、
うつ的になってもおかしくないよな、
なんてことに気がついた。
う〜ん、ルーティン学校、奥が深いぞ。
「定年後」について考えていたから。
縁あって、定年後について考える仕事をしている。
自分自身、日本での仕事を辞めてハワイに来て、
「ああ、定年後ってこういう感じなんだな」と実感した。
初めの数ヶ月は決まったことをやらないで済むので、
なんとなくワクワク。
だけど、途中から落ち着かなくなった。
だいたい、知り合いもいなけりゃ、言葉も通じないのだ。
もう、買い物に行くのも嫌になりだしていた。
コレまで、何も考えなくてもどこに何が売ってるか、
欲しいものがどこにあるか自動的に見つけることができた。
ところが、ハワイ移住後、欲しいものがどこにあるか
わからない。使い方の分からない、元気のなさそうな野菜が
並んでいることにがっくりし、スライス肉の厚さにびっくりし、
値段の高さにため息をつく日々。
日本にいるときの感覚で買い物をしていたら破産する。
全てが0から、という生活は、
それこそ肉はここ、野菜はこの店とか、バス用品はここ、洗剤はここ、
というように「いつもの」ができるまで、やたらとエネルギーを使う。
例えば液体の入ったボトルを見て、
シャンプーなのか、台所用なのか、ハンドソープなのか判明するのに、
しばし時間がかかる。
パッと見て「これこれ」っていう感じにならない。
それでもって、買い物に行くだけで、
何をしたというわけでもないのに、
やたらと疲れていた。
多分、定年後、
「いつもの何か」ができるまで、疲れるのだと思う。
「仕事してるわけじゃないのに、なぜ?」と
思うかもしれないが。
仕事に行く必要がなくなった、
という喪失感だけではなく、
次なる生活のルーティンが出来上がるまでの、
心理的エネルギーの消費ということを考えると、
うつ的になってもおかしくないよな、
なんてことに気がついた。
う〜ん、ルーティン学校、奥が深いぞ。