振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

京都南部、井手町の大正池

2018-08-24 08:47:52 | バイクツーリング
今年の夏の猛暑はホントにキツイ。祇園祭り以降、孫との外泊と2回のゴルフ以外は長時間の外出は避けていた。さすがに猛暑の中でのゴルフも避けたかったが、お付き合いの関係でそうもいかず、家人にはアホ扱いされた。

ただ、エアコンを効かせた部屋にこもっていても楽しくないのでバイクで出掛けてみた。

大正池と言う名前だと上高地にある景勝地を思い出すが、こちらは農林水産省選定のため池百選のひとつ。30年前ころにオフロードバイクで行ったような覚えがあるが、よく思いだせない。自宅からでも40分あれば行けるので、改めて行ってみることにした。

大正池はダムで川をせき止めた灌漑用の池で、水位が少し下がっていた。





京都南部が大水害に襲われた昭和28年、当時の大正池は決壊したために隣接の二ノ谷池と併せて再構築され、完成したのが昭和35年。





その後、平成になって井手町野外活動センターとして周辺の環境整備工事が行われ、大正池グリーンパークとなったようだ。

ダムの下から階段のあるトレッキングロードを登った所に管理棟があった。







管理棟の回りにはバンガローが5軒建っている。エアコンや浴室、キッチン完備で、BBQや燻製器のレンタルツールなどもあるようで、快適なアウトドアライフができそうだ。

キャンプサイトも池の周辺に数か所あるようだが、ちょうど定休日だったようで池を巡る散策路はチェーンで封鎖されていた。仕方ないので池の周辺まで降りるのは止めた。


ところで、大正池まで数百メートル手前の道路脇に石碑が立っていた。







後醍醐天皇御舊蹟とあり、建武の新政を始めた後醍醐天皇ゆかりの地のようだ。調べてみると鎌倉幕府に対する倒幕を企てたもののその計画が幕府に漏れ、京を脱出して笠置山に籠った。しかしそこも幕府軍に襲われて逃避する時にこの地を通り、松の木の下で休んでいる時に衣服を濡らした露を歌に詠んだらしい。

この後で幕府方に捕まり、隠岐に配流されることになるが、そこも脱出して鎌倉幕府を倒して建武の中興を始め、足利尊氏と対立して吉野で南朝を起こしたことまでは歴史の授業で習ったとおり。

これほどダイナミックに動き回った天皇は、歴史上他にはいなかったのではないかと、石碑をきっかけに思った。