三代目桂三木助の噺、「ざこ八」(ざこはち。別名;先の仏)によると。
歳の頃三十二、三のいい男で道中の陽焼け跡がくっきりと見え、振り分け荷物と笠を持ったその足で、升屋新兵衛宅を尋ねた。
前の眼鏡屋の弟・鶴吉だと言う。
十年ぶりに江戸に戻って来たが、兄貴の家が無いが、表通りに出て繁盛していると聞かされ一安心。
近所のざこ八は見る影もないがと聞くと、ざこ八は潰れたと言う。
百万長者の大店でどんなことしても潰れるような店ではないのに、何かあったのですか。
「潰したのは、アンタ鶴さんだよ。アンタという人は悪い人だよね。ま、最後まで聞いて、それでもと言うなら喧嘩買うよ。
当時、この町内きっての今小町、ざこ八のお絹さん、といい男の鶴さんを婿にしたら一対のおひな様になる。
お絹さんに聞いたら顔を赤くして、よろしくという。
で、ざこ八に言ったらおねがいします。
兄貴に言ったら同じ返事。
お前に言ったら両手をついて『百万長者で今小町のお絹さんですからお願いします』と言ったじゃないか。
それが、婚礼の日にお前は居なくなってしまったじゃないか。
仲に入った私は、ざこ八に謝り、親類にも頭を下げたが、収まらないのはお絹さんだよ。
初めての養子さんに逃げられ、井戸に飛び込むところを助けたが、翌日から病の床についてしまった。
たまたま気晴らしに出た先、上野の山下でおワイヤさんで鶴さんに似ているからと、小僧に付けさせてみると葛西の先から来ていた、次男坊のお百姓さん、莫大な支度金で養子に来てもらった。
最初の内は大人しかったが、その内茶屋酒を覚え、遊びだした。
それを見たざこ八は養子に失敗したと床についたが、そのまま逝ってしまった。
後を追うように奥様も逝ってしまった。
小言の言い手が居なくなったので、夜泊まり日泊まり、このドラ養子が博打に手を出してすってんてん。
なにも財産はなくなったが、遊びは止まず、安い女を買って病をもらい、夫婦とも髪の毛はなくなり、顔はズルズル。
養子は死んでしまったが、お絹さんは誰が面倒見るんだ。
私がざこ八を買った人にお願いして物置を借りたが、寒さに震えながら乞食以下の暮らしをしていた。
鶴さん、他の人は養子が潰したと言うが、私は鶴さんが潰したと言うね。
それほどイヤな話だったらその時に断ってくれればいいじゃないか。鶴さんそうだろ」。
「分かりました。私が悪うございました。この婚礼、嬉しくて心待ちにしていました。ところが友達がやってきて『小糠(こぬか)三合持ったら養子になるなと言うが、お絹さんに惚れたのか財産に惚れたのか、どっちにしても男一匹意気地がないな』。と言われて、シャクにさわり、本心をおじさんに打ち明けようとしたが、話す間もなく婚礼の日になってしまった。しょうがないので逃げるようにして江戸を飛び出してしまった。すいませんでした。
おじさん、改めてお絹さんのところに養子に入りたいのですが、仲に入っていただけませんか。いかがでしょうか」。
「鶴さん。頭はツルツルで、顔はバリバリで、昔のお絹さんではないのだぞ」。
その話はトントンと進んで、養子になった。
10年掛かって貯めた二百両はおじさんに預け、よく働いた。
小金を貯めてお米屋を始めた。
近所の評判も良く繁盛した。
預けた二百両で米相場を張ると大儲け、瞬く間に大金持ちになってしまった。
その金で、人手に渡っていたざこ八を買い戻し、手を入れて米搗きの臼を88個鉤の手に並べ、表に大きく「三代目ざこ八」と大書きした暖簾を上げて繁盛した。
お絹さんには出来る限りの治療を施し、毒が抜け始めると、元より綺麗になってより美人になった。
頭髪もポヤポヤと生えてきたが、見る間に絹糸草のように生えて、元より麗しい髪になった。
そうすると、出入りの商人も競争で来るようになった。
ある日、魚屋の魚勝が生きの良い鯛を持ち込んだ。
気に入ったので、裏で三枚に下ろしておくように頼んだ。
魚勝が奥に持って行くと「今日は大事な先(せん)の仏の精進日だから・・・」ダメだと言う。
とって返すと旦那は「私は精進日でないから」造っておいてと頼まれた。
裏に行くとまたダメだと言う。
表に行けば裏に行け、裏に行けばダメ。
ついに主人同道して裏に来たが、魚は生きを無くしてここで買ってもらうよりしょうがない状態に。
「お前は大事な仏の精進日と言うが仏は誰なんだ。お父さんか、それともお母さんか、違うだろ。葛西から来たドラ養子のことか」と問いつめると、
「私は貴方に頼んで養子に来てもらった訳ではなく、貴方は酔狂で・・・」、これには旦那の鶴吉が怒った。
中に入った魚勝は「どっちの肩を持つ訳ではないが、奥様が悪い。さっきから聞いていれば『先の仏、先の仏』とばかり言っているから、今の仏が怒ってしまう」。