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みみかほう

こころの耳をすませて すてきな果報にであいたいとおもいます。

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*香川旅行≪栗林公園と高松城址編≫

2013年05月09日 | ✿おでかけ
うどん発祥の地の福岡から、うどん県の香川におじゃましました。

博多から新幹線で岡山へ。
岡山でマリンライナーに乗り換え瀬戸大橋を渡り、四国上陸です。



赤が香川県


『香川旅行日程』
5月5日(日)金毘羅さん、丸亀城
5月6日(月)栗林公園、高松城、小豆島






レポは、
その1≪こんぴらさんと丸亀城編≫
その2≪栗林公園と高松城≫・・今日です。
その3≪小豆島編≫
その4≪グルメ&お土産編≫
・・へと、続きます。
どうぞおつきあいくださいね~。





この公園を訪れるのも、二度目になります。

“一歩一景”といわれ、変化に富んだ趣ある情景が広がります。
どこから見ても、隙のない、完璧な美です。


2時間かけて、園内を散策しました。
かしゃかしゃかしゃと、写真をたくさん撮ってきましたので
フォトムービーこしらえました。



↑このサムネイルの写真は、≪恋つつじ≫です。
南湖に浮かぶ、ハート形のつつじの植え込みは、今、
ちょっとブームなんですって。


グリーンの文字の説明文は、ネットよりお借りしました。
アップした写真は11枚ですので、
どうぞ、ムービーの写真を、加えながら読み進めてくださいまし。
とても、興味深い説明文です。



≪北湖(ほっこ)≫


今から300年以上前のお庭の雰囲気をそのまま残している南庭と、明治になって公園として整備された北庭、全体として6つの池、13の築山から構成されています。借景となる紫雲山を含めると広さ75haで、東京ドーム16個分、全国199箇所の文化財庭園(平成23年4月1日現在)の中で最大の広さがあります。平庭部だけでも16.2haと日本最大級です。大名庭園の魅力のひとつに、その広大さが挙げられます。芝生でそれを表現したり樹木で表現したりと、築庭者の腕の見せ所ですが、栗林公園では湖や池でその広さを表現しています。



≪西湖(せいこ)≫


栗林公園は、文化財保護法により、「特別名勝」に指定されています。 特別名勝は、史跡名勝天然記念物の中でも特に重要なものに指定される誉れ高いもので、建物や工芸品などの有形文化財でいう国宝に相当することから、私たちは「お庭の国宝」と呼んでいます。 全国で特別名勝庭園は24(平成23年4月1日現在)。そのうち竜安寺、金閣寺、銀閣寺、苔寺など京都の庭園が13。地方では数少なく、四国では栗林公園ただひとつです。また、明治終わりから大正にかけての国定教科書の庭園の項には、栗林公園がいわゆる三名園よりも「木石の雅趣優れり」と記載されています。



≪南湖(なんこ)≫


名は栗林といいながら、公園自体は築庭当初から松で構成されています。栗林公園には、1,400本の松がありますが、そのうち約1,000本が職人が手を加えている手入れ松。「盆栽松」とも呼ばれています。Bonsai は今や世界で通用する言葉になりましたが、実は高松は、松盆栽では全国シェアの約8割を占める一大産地なのです。まさに Big Bonsai と言ってもいい栗林公園の手入れ松。規模だけとっても日本最大であり、見事な樹芸から作り出される造形美は他に例をみません。 伝統的な盆栽技法の極地とも評される箱松や屏風松、もはや芸術作品ともいうべき鶴亀松など、初めてご覧になった方でも一様に立ち止まり、感嘆の声をあげられます。



≪紫雲山≫


江戸時代初期、当時讃岐を治めていた生駒家がお家騒動により出羽へ転封になったあと、水戸徳川家初代頼房の長男(徳川家康の孫)である松平頼重公が、三代将軍家光から12万石を与えられて入封、高松藩が成立しました。これより以降、栗林公園(当時は栗林荘と呼ばれていました)は松平家の別邸として使用され、歴代藩主によって修築が重ねられていきます。 なお、水戸徳川家は頼重の弟で、水戸黄門で知られる光圀が跡を継ぎましたが、光圀はその後継に頼重の子を迎え入れ、代わりに自身の子(頼常)を頼重の養子として高松藩を継がせました。



≪石壁(赤壁せきへき)≫中国の景勝地「赤壁」に見立てて命名されたといわれています。


千利休から始まる茶の湯の流れは、曾孫の代になり三流派(三千家)に分かれます。 松平家初代藩主頼重公は、高松藩初代茶道頭として、千利休の曾孫にあたる初代千宗守(一翁)を京都から招聘。一翁宗匠はここで3年近く茶道の指南役を担い、その後その職を辞して京都の武者小路で開祖したのが、三千家のひとつ武者小路千家です。別名を官休庵というのは、松平家の茶道頭(官職)を辞した後に開いたことに由来します。武者小路千家では、一翁宗匠以降も歴代家元は讃岐高松藩の茶道指南をつとめました。また、茶の湯に関係の深いお庭焼(理平焼)もこの場から生まれました。



≪掬月亭(きくげつてい)≫四方正面の数寄屋造りで、回遊式大名庭園の中心的な建物です。漢詩の一句「水を掬すれば月手にあり」から命名されました。


栗林公園は、室町の手法を残す石組みの地をもとに、江戸時代1600年代初め、生駒時代に築庭が開始されました。その後、高松松平家に引き継がれ、1745年、5代藩主松平頼恭公の時に、園内六十景命名をもって完成しました。築庭年数を比べると、水戸偕楽園は9年、岡山後楽園は13年ですが、栗林公園では、松平家の時代だけでも110年以上の月日を要しています。この間、生活に困窮した民衆を、庭園の修築工事につかせたり、園内で使用する珍しい形の石や木を集めさせ、米などと交換したと伝えられており、今でいう雇用対策事業の側面もあったようです。



≪楓岸(ふうがん)≫


明治末期から大正にかけて、栗林公園には多くの皇族関係の方が来園されています。中でも大正天皇は皇太子の時に掬月亭で4連泊されており、その際お手植えになった松が掬月亭の南側にあります。また、商工奨励館西側には、秩父宮殿下や高松宮殿下など皇族方のお手植え松が4本と、英国エドワード皇太子(後の英国王エドワード8世)のお手植え松があります。その一番右側には、昭和天皇が皇太子時代にお手植えになった松がありましたが、平成16年、落雷により枯死と診断され、伐採されました。



≪涵翠池(かんすいち)≫


北庭の群鴨池は、歴代藩主が鴨猟をするための鴨場でした。明治から大正にかけての北庭改修工事で当時の鴨場施設はなくなりましたが、1993年遺構をもとに鴨引き堀を復元しました。 現代では、鴨引き場が残る鴨場は、全国で5箇所しか残っていませんが、復元された鴨引き堀は、幅、長さとも現存する鴨場の中で最大です。鴨猟は鴨の習性を利用したもので、鷹匠も参加する大掛かりなものだったようです。



≪偃月橋(えんげつきょう)≫弓張り月が湖面に影を映す姿から名づけられました。園で一番大きな橋です。


2009年3月に、フランスの旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」(仏語版、英語版)において栗林公園は、「わざわざ旅行する価値がある」として最高評価の三つ星★★★ に選ばれました。三つ星観光地は全国で111箇所、四国では栗林公園と道後温泉本館の2箇所です(2011年発行第2版)。 また2012年には、米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の「2011年日本庭園ランキング」で、足立美術館(島根県)、桂離宮(京都府)に続く3位を獲得しました。



≪湾曲に≫


この公園は明治8年に県立公園「栗林公園」となりましたが、一般に「公園 Park」という言葉から受ける印象とは異なり、ここはまさしく「庭園 Garden」さらにいうなら「茶庭=露地」なのです。 庭園空間は、その造形美と時間の美(エイジングの美)を楽しむ場といわれ、侘びさびの「さび」にあたる時間の美こそがこの空間の最大の魅力です。また、能に始まる目に見えるもの以外にも美しさを求める「幽玄」や、利休の枯淡の境地を示す「わび」も、ここ栗林公園において、堪能することができます。



≪飛来蜂(ひらいほう)より≫園内随一のビューポイント。飛来蜂は富士山にらなって作られた築山です。



園内、なんだか不思議な鳴き声が充満しています。
「じゅ~わ~じゅ~わ~じゅ~わ~」
なんだろ・・・?セミ・・・?

鳴き声の主は「春蝉」でした。
春になく蝉。めずらしいわあ。
別名「松蝉」。松の多い栗林公園ならではの鳴き声なんですね。
ネット画像 youtubeお借りします春蝉の鳴き声
声のみで、姿を見つけることは出来ませんでした。
この蝉は、絶滅危惧種なんだそうです。




≪玉藻公園(史跡高松城跡)≫

・・・ 高松城は、天正15年に生駒親正によって築かれた。 親正は、讃岐一国173,000石を豊臣秀吉から賜り、播磨赤穂から入封、瀬戸内海の水軍の要として、この地に海に浮かぶ高松城を築いた。 生駒氏は4代高俊の時、生駒騒動のために出羽矢島1万石に左遷される。
寛永11年、水戸城主徳川光圀の兄松平頼重が常陸下館より東讃岐12万石で入封した。 頼重は、生駒氏時代の高松城を更に拡張し、2代頼常(光圀の子、頼重養子)まで工事は続いた。
高松松平氏による拡張は、北の丸・東の丸・新曲輪等が増築された。 この時、『南蛮造り』の三層五階の天守が完成した。
高松松平氏(水戸支流)は、初代頼重から最後の城主11代頼聡まで、代々西国大名の監視と瀬戸内海の要としての役目を担っていた。



≪モチツツジ≫


栗林公園の詳しい説明は、こちらをどうぞ。栗林公園見どころマップ





明日は金曜日で陶芸作品紹介の日ですので、
≪小豆島編≫は、5月13日(月)へと続きます。
よろしくお願いします。




香川県5月5~6日訪問




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日はこの辺で
コメント (22)
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