ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

3時、そして3つのこと

2009-07-17 11:06:57 | Weblog
ゆめの中~


かと思いきや・・・「かゆい暑い


夜中に目が覚める。時計を見ると、まだ3時。

わたしの「おたけび」で、若院まで起こしてしまう。



若院:「わしも刺されたんで、、暑い


生きるため、容赦ない蚊。猛暑。時と所を選ばず。



「まだ3時だ」と、思えば思うほど。

シャキンと目が覚めたりして



「まゆら、脳みそが流れるよ」

「まゆら、トイレに起きなさい」



と、親に起こされていたほど、よく眠るわたし。

睡眠ほど、たいせつなものはない。。。



きのうは例会で、雨の中

近所の年配の方が、7名お参りに来られた☆



わたしは昨日。グズグズモードで

お茶、お花、お仏飯、と準備をすすめながらも

気持ちは、後ろ向きだった。


研修会で燃えていたのは、どこへやら



それでも、みなさんでお参りをして、

若院の法話をお聴聞すると、自然と気持ちはスッとなった



むしろ、本当に良かった、良いご縁をいただいた・・・

と180度、気分が変わった。



若院とは、同じ年だし

ともに机をならべて、勉強した同期生だし



なにより、お念仏仲間で

「同志」という感覚が強い。



世に言う、守ってあげたい&守りたい・・・というんじゃなくて

ふたり前を向いて、肩を組んで、全力疾走。笑。



うんうん、世の女性は。必要あれば

相手のこと、かついで走りまっせ位に思っていた方が

楽しいと思うなぁ~(なんの話やら



それでも、男とか女とか、年齢とか、関係なく。

相手を「敬うこころ」を大事に・・・


ますます話がズレてきたぞ、、




きのうの若院の法話より(一部分)




3つのことを知る。

死ぬこと、いま死ぬこと、死なないこと。



生きる→死ぬ、死と。

死は、生と表裏一体であること。

生死を包み込んだ、おおきな命があること。=仏教でいう命。




谷川俊太郎さんの詩「さよならは仮のことば」を紹介。


夕焼けと別れて
僕は夜に出会う
でも茜空の雲はどこへも行かない
闇に隠れているだけだ

星たちに僕は今晩はとは言わない
彼らはいつも昼の光にひそんでいるから

赤ん坊だった僕は 僕の年輪の中心に今もいる

誰もいなくならないと僕は思う
死んだ祖父は僕の背に生えた翼
時間を超えたどこかへ僕を連れて行く
枯れた花々が残した種子といっしょに

さよならは仮のことば

思い出よりも記憶よりも深く
僕らを結んでいるものがある
それを探さなくてもいい 信じさえすれば



雲も星も、赤ん坊だった自分も、おじいちゃんも

消えてなくなった訳じゃないんだヨという・・・


お話の数々。とても心に響きました。



同志であるように思っているはずが

毎度。若院のお話には参りました、、、となる。



勝ち負けじゃないけれど、白旗を挙げたくなる。



うんうん、やっぱり人生は



白旗を挙げられるものに、出あう方が


安心して生きていかれる・・・ような気がしてきた



追伸:Aちゃん、手作りプリンをありがとう

早速いただきますネ

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます! (まゆら)
2009-07-24 15:43:18
>ひささん
ひささん、こんにちは!
あたたかいコメントをいただき
ありがとうございます

港湾人さん、suwanaganoさんとの
ご縁を繋いで下さったのは、ひささんです
本当にうれしく&ありがたく思います

だんだんと年を重ねて、突っ張ったり
飾ったりする、気力が失せてきたのでしょうか。笑。

でも、心の内を語り合える、お仲間に
めぐり会えたという事は

何より、心の支えとなっていて

安心して、自然体でいられます☆

本音の本音が、琴線に触れて
ご縁の輪こそが、心に響くのでしょうね!

ご縁の輪が、どんどん どんどん
広がってゆくといいなと思います!!

ひささん、みんなの為に願って下さって
本当にありがとうございます

追伸:ひささんブログでも、ご紹介いただき
ありがとうございました!!
返信する
素晴らしい「ご縁」 (ひさ)
2009-07-23 22:40:38
まゆらさん、こんばんは!

アップされて約1週間経つブログ記事に、
素晴らしいコメントが並んでいるのを拝見して、
思わずコメントさせて頂きました。

港湾人さん、suwanaganoさん、
そして、返信コメントを寄せられたまゆらさん。
とても素晴らしい「ご縁」ですね!!
しかも、書いておられることの1つ1つが、
飾らない、とても素朴な心の声。
ただ単なる傍観者では居られない気持ちに包まれました。

心の琴線に触れるというのは、
こういうことを言うのかもしれません。
素晴らしい「ご縁」が、
素晴らしい「ハーモニー」になって、
自分の心に響いています。

まゆらさんが、意図して池に石を投げ、
水の波が広がっていくように、
ますます素敵な「ご縁」が、「つながり」となって
ますます広がっていきますように…
返信する
おはようございます (まゆら)
2009-07-20 11:02:51
>suwanaganoさん
ご縁って、不思議ですね・・・☆

同じ地球で、同じ人間として
同じ時代に・・・この命ある間に

接点のある「ご縁のある方」というのは
びっくりする位に、ごくわずかだと思います。

わたしも、suwanaganoさんとの「ご縁」で
いろんな事を、考えさせていただきます。


繋がっているのだなと思います。

ご縁がある中で、自分が生かされている
ご縁、大好きな言葉です。


昨日は、お父様の月命日だったのですね。


お母様とsuwanaganoさんに
手を合わせる「ご縁」を下さったのは
お父様だと思います。


わたし達は、亡くなった方を通して
わが命を考えたり、感謝したりする「ご縁」を
いただいているのだと思います。


書くことでスッキリするところがあって、
ただのストレス発散で、始めたブログですが


結果、たくさんの方との出会いと
考える時間をいただいて

思いがけなかった喜びを、感じています。


忘れかけているもの、、ありますね。


得るものが多いのと同時に、
失っているものが多いことに


なかなか気づくことができません、、。


それに気づくという事は、
もう、とても大きな事なのだと思います。


そこには、むなしく終わることのない
人生が開けてくるのだと思います。


痛みは、つらいものですね。


生きるということは、痛みをともなうという
ことなのかもしれませんが


できれば避けたいものです。笑。


それでも、悩み苦しみは
形を変えながら続いてゆく。


それが、
生かされている証拠なのだと思います。


安心して、楽しく、生きたい。


それには、切り捨てごめんの
世の常識を、よりどころにするのではなく


自分が「ご縁」の中にあると
知らされることだと思います・・・☆


餓鬼っ子ぷりでは、負けませんヨ~笑。
わたしも、相当な「あらまあ」です。。

こちらこそ、お知り合いになれて
このようなお話をさせていただいて


感謝、感謝であります!!


心に響くお言葉の数々を
本当に、ありがとうございました!!


大雨はちょっと止んだようです。


暑い夏は苦手ですが、おかげさまで
がんばれそうです

返信する
こんばんは (suwanagano)
2009-07-19 22:07:10
ご縁って、不思議で、そして貴重ですね
たまたま自分のブログにコメントいただき、それからこのようなコメントを月のひかりsanのブログに書くことになり、真剣に考えそして話す事ができること、ご縁を大切にしたいなとしみじみ思いました そしてですね
今日は父の月命日の日、ひさしぶりに父のお墓参りに行きまして、母の手を合わす姿をぼんやり見ておりました
このようなブログをお寺の方とか、書いていただくこと、よいことですね
その昔は、寺小屋という言葉があった時代
何をどの宗教を心のよりどころにするかは
本人にゆだねるべきものですが、仏教の教えにも、その昔は当たり前であった、礼、儀、節、などがあり、それは人として生きている現代人に忘れかけている大切なものでもあると思います
そして、また、人の痛みって、自分が経験するほどに他人の痛みもわかるものだなと、しみじみ思いました 若くしてお父様を亡くされた月のひかりさんだからこそ、他人へ優しくなるのでしょう
自分は餓鬼っ子きわまりない者ですので、かなりあらまあ、とも思われると思いますが
それでも、このように知り合うことができたご縁に感謝ばかりです
とても嬉しいコメントありがとうございました

雨はいかがですか?

暑い夏ですが、がんばりましょう
がんばってくださいね
返信する
ありがとうございます! (まゆら)
2009-07-19 14:23:37
>suwanaganoさん
たいへん貴重なコメントをいただき
ありがとうございます!

わたし自身、とても考えさせられました。

お寺に生まれ育つと、どっぷりで
逆に、見えないことがいっぱいあります。

suwanaganoさんが思っておられたように

仏教を恐いと思うのは、自然な感情で
また世間では、大多数なのかもしれません。


宗教も政治も心も、

誰もが「わたし」に合ったものと一緒に
自然に、歩まれることになると思います。

そんな中で、
suwanaganoさんが書いておられるように

わたし自身

おやつと同じ(笑)物質としての命を生きて、
終わっていく人生を送るのか、否か。

また、それにひとり耐えてゆけるのか、否か。

やっぱり、そこがポイントとなってくる様な
気がします、、。

お父様を亡くされて
お母様も、suwanaganoさんも、
本当に悲しまれたことだと思います。

わたしも11歳の時、父親を亡くしているので
身内を亡くす悲しみを想います。

人が亡くなること以外ならば、
なんだって耐えられると思いました。

それから紆余曲折ありましたが
(今も紆余曲折ですが。笑)
仏教は、亡くなった人の為のものではなく

いま、ここに生かされている
わたしを、根底から支えてくれるものです。

2500年前から届けられている
「本当に生きよ」という仏様の願いです。

なんの貢献もできてはいませんが、、、

「仏語を聞くこと」と、

「わたしに届けられた、いただきものを
次へ送ること」

その2つの為に
この命尽くせたらいいなと思います。

なんだか説教臭くなりましたが(笑)

suwanaganoさんから、
このようなコメントをいただいて
わたしは今、とても嬉しく思っています。

うまく表現できませんが、、、

ありがとうございます!!


ちなみに、お陰様で虫さされは治り、
そしてまた刺され、日々繰り返しています。
暑い日が続きますので、
suwanaganoさんも、くれぐれもお体お大事に
してくださいませ☆☆


返信する
こんばんわ (suwanagano)
2009-07-19 00:57:29
自分は特定の宗教にも特定の政党にも属さず自分のその時思い共感する事に賛同なり支持なり共感しようという無党派層でございますが
父が亡くなったとき、同じ地区の父が生きていた時からご縁のあったお寺でお葬式をあげていただきました それから1年間月命日に家にきていただきお経をあげていただきましたが、精神的に母の大きな心の支えになったような気がします 私もそれまでなんとなく恐かった仏教とかがすんなり心に受け入れられるようになりました 自分は死はそれでも無、だと思います
でもそれは物質的な話、おやつも食べれば無として消えますし(笑)
でも、精神的な世界、悟り、心のよりどころ、いましめ、などなどは、人間が生きていく上で大切であり貴重なものだと思います それがあるから自分にも他人にも慈悲深く、気遣い、節制することにつながるのでしょう
すばらしい詩、そして社会貢献する月のひかりさんはじめ若院san、こんな不安定な世界情勢でもある中で、人としてただしくあるべき事がなんなのか、親がいて自分がいることを、人類はずっと歴史と共に後世につながっていくことをより多くの方々にお話されること、大切なことと思います ステキな記事を拝見させていただきました
ありがとうございます
ちなみに、蚊さんにくわれてしまった所はもうかゆみとれましたか? 夏ならでは、ですね
おいそがしい時期になります ご自身の御身体もご自愛されながら、がんばってください!
返信する
心に触れるもの (まゆら)
2009-07-18 17:19:55
>港湾人さん
港湾人さん、こんにちは!
毎日暑いですね~
これからまた雨だそうですが!?

お聞きした素敵なことを、、

また、次の人へ送ることができたら・・・
これまた、ステキだなと思うので

そのように言っていただけて、
本当に嬉しく思います

世の中、いろんなものがありますが。


何かが、心に触れること

そして、それが

人から人へと、伝わっていくこと


この喜びは、宝だなと思います☆☆

こちらこそ、本当にありがとうございました!!

返信する
勉強になりました (港湾人)
2009-07-18 00:36:09
 まゆらさん、こんばんは。大変貴重なお話を読ませていただきました。胸ににジーンとくるものがありました。
 『さよならは仮のことば』、これは本当に心に響くことばですね。灰になったから無になるわけではない。見えないからといって無だということでもない。つまり、信じることによって、大切な人、コト、モノが自分を取り囲んでくれるのだと思いました。
 素晴らしい内容の記事、ありがとうございました。
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