ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

法事と火事

2008-10-31 16:54:51 | Weblog
きのう。前住職・7回忌の法事が、無事につとめられました。

この度は、親族だけで。30名近くの参拝者がありました。

下手でも何でも、ひとりで着物を着つけて。

ふたりの母(嫁ぎ先&実家の)と一緒に
お抹茶接待に奮闘しました

お経の後は、移動して
温泉にて食事、宿泊でした。

食事の席では、順番に自己紹介をしたり、
賑やかで、わいわい楽しい時間が流れました

夜も更けた1:30AMすぎ。スヤスヤと眠りの世界へ。


・・・と、そのとき。ものすごい大きなサイレンが!!


『ウーウウーウウーウウーウ
火事です!!火事です!!ウーウ・・・』

お酒も入って、浴衣一丁、熟睡中の3:50AM。
あわてて、飛び起きたものの。
コンタクトを外していて、眼鏡を家に忘れて
視力0,02では、何も見えなぁぁぁい!!

その日は、実家の母・弟と同じ部屋だったのですが。
大パニック&大パニック&大パニック。

わたしは、小さな荷物と私服を抱えて
逃げなきゃ、火事なのかどうか、

他の親族は、どうしているのか??と、ドアを開けて廊下に出た。

そこには、父&母の姿が。
「大丈夫だ!」「どこが火事なのヨ・・・!?」

みんな、大騒ぎ。爆音サイレンはずっと鳴り続け
いま、確認しておりますとか何とか。

でも、泊まっていたのが1階だったので
窓から出ても、すぐ芝生で大丈夫ならしい。

みんなドキドキしながらも、どんと構えている。

もちろん、ビビリーな私は言う。

「そんなもん、火事は、火で焼かれるんじゃなくて
煙に巻かれるんやから!やばいよ、まずいよ。
・・・なんか息苦しいような気がしてきたわぁ

唯一冷静な、弟曰く「乾燥しとるだけやろう、、

しばらく大騒ぎは続き。結果、誤作動だった。

でも。その時間に長短あれど、みんな
「いのちの危機」に直面したのだった。

「約1名」を除いて・・・。

火事を告げる、放送を聞いた瞬間の
「動き」は、個々の性格を、あらわにした。

最年長のおばちゃんは、一番素早くサッと起きて
「わたしは荷物を持って行くわ!」と、たくましかったそうで。

うちの母も、サッと着替えて廊下に出ており。
実家の母は、おろおろ、胸が痛くなったとか。

うちの若院は、2回目の放送でも目が覚めず、
弟に起こされても、何のことかわからず、寝ぼけていた

こっちに歩いて来たと思ったら、は・は・は、と笑った

とてつもない大物だった・・・
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救いとは何か

2008-10-29 15:44:28 | Weblog
いま小休憩で、本坊より戻りました
数時間後には、親戚が来られ始めます

きのう、プロフェッショナル見ました!
みなさんは、見られましたか??

あの番組は、おもしろいですね~
やっぱり「人間」にスポットを当てているからでしょうか。

生き様を見て、いろんなことを考えさせられます。

もう眠ろうというとき。ポツンと若院に尋ねる。
「きょうプロフェッショナル見て、どう思った?」

→まず、ものすごい人だなと。
→でも、どこまで行っても、イタチごっこでもあり。
不老不死に到達できないという事を思った。

だそうです。わたしも、まったく同じことを感じました。


心臓に病を抱えていて、その50%は死んでしまうという
「人々を救う」ことは、本当に尊いことです。

一方、その背景には、改善余地のある人工心臓によって
命を終えてしまう人がいたり。

開発途中で犠牲になる、
豚の心臓=豚の命を奪わなければならなかったり。

手術によって、その一時、延命されても
鞄を提げながらの生活を、余儀なくされたり。

長寿であるのと同時に、
数多くの別れ・苦しみ、悲しみを味わうことにもなったり。

もしかしたら、いま看病してくれている人より長生きをして
孤独な日々を、過ごすことになるかもしれなかったり。


命を救うのは、本当に素晴らしいことです。
もちろん、自分や大切な人にとったら、

1分1秒でも、長く・・・の命なんだけれども。

善の上に悪が成り立ったり、悪の上に善が成り立ったり。

すべては、たった「一点」での判断でしかないんだよなぁ、、。

やっぱり、完全なる善なんて、
存在しないんだよなぁ、、と思ったり。

病の痛みを治して、手を尽くして死から守り
患者に寄り添うのが、お医者さんであるとしたら。

命は終わりゆくものです、と伝える宗教者の目から見て
「救い」とは何であるのか、、。

人間には、不可能な領域があると知らされて
すべてを受け入れて、まかせて、安心する・・・

たとえ、どうあっても、どんな人にも
「願い」が届けられているということを

ともによろこぶ・・・


いや、きっと。宗教でいうところの「救い」は

『いついかなる時も、寄り添って下さる光がある』ことだ。
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おはようございます

2008-10-29 06:18:13 | Weblog
前住職(第17代)七回忌法事が明日お寺であり。
準備でバタバタしています。
前泊の親戚も、今日から来られます。

コメント頂いている、ひささん、しんたいさん、ありがとうございます!!
また改めてお返事させていただきます☆☆
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ナイスガイ☆

2008-10-27 21:44:38 | Weblog
くまちゃんは、本当に幸せいっぱいでした

媒酌人さんが
「○○○君は、~ナイスガイであります

と、新郎を紹介されたのを縁に。

われわれ度々「ナイスガイ
と、野次を飛ばし続けました。笑。

奥さんは、とても可愛い方でした
その横で、何度も涙をぬぐう姿あり。

「何回も結婚式に出ているけれど、
最速の涙だったなぁ・・・」と言う仲間も。

200名の披露宴出席者の内で
久しぶりに集まった同期生は、14名。

途中、暴走する新郎。
お祝いの樽酒を「柄杓で一気飲み」大会。

みんな指名順に、ぐびぐびと。

九州でもお酒弱い人って、いるんだね!
というタイプの新郎は、すでに酔いがまわっていた

みんな、ひやひや。

そんな変わらないぬくもりに、ホッとする

くまちゃんの『人生に一度の瞬間』
を残そうと、わたしはカメラを手に走り回った。

でも、よく考えたら。

どんな日も、どの瞬間も。人生に一度きりなんだよなぁ、、。


翌日の朝。ロビーにて。競争でしゃべり倒す、布教使8名。
布教のルーツは、落語だと言われるように。

爆笑、爆笑、爆笑。
笑いが止まらなかった

尋常じゃなく個性的な、仲間の話。

個が輝けるのは、安心できる集団の中にあってこそ。

いろんな人が集って、許されている。
いろんな人が集って、成り立っている。

誰ひとりもれることない、お念仏の世界。

仲間と別れて帰って来るのが、
楽しくあっただけに、寂しくもありました。

くまちゃん&奥さん、本当におめでとうございます!!

ご夫婦の写真は、どうも???な様子なので
その代わりに。光り輝く、同期生の写真をアップします

ちなみに、同期生は48名中、女性2名だったので。
こんな図になっておりますが、悪しからず。。
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ただいま小倉

2008-10-26 14:38:03 | Weblog
小倉は茂木健一郎さんの、お母さんの故郷だ。

車でトンネルを抜けたら、そこは都会だった。
下関と門司は、一本の小さな橋で繋がっていた。

こんなに近いのかと驚く。日本地図を体感する。

まさに百聞は一見に如かず。

友人の結婚披露宴に、やって参りましたヨー☆

布教の勉強に行ったとき、実演班として、8人ずつ6班ありました。

めでたくお嫁さんをもらう彼、
「くまちゃん」と若院と私は、同じ班でした。

ともに肩を並べて学び、苦しみ、笑って、
緊張して、涙した仲間です。

なんだか夫婦して、とても嬉しく、また緊張しています。

くまちゃんは大丈夫なのか!?笑。

準備で、やつれていないだろうか。

いや、幸せいっぱいなはず!!

ドキドキ。くまちゃんご夫婦の許可が出れば、
幸せな二人の写真をアップして報告しますね~♪♪
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不思議の世界に遊ぶ

2008-10-25 13:18:20 | Weblog
『いわゆる宗教学者は宗教というものの最後は「聖」であると言う。
これは分別の世界には真理、倫理の世界には善、芸術の方は美、
宗教の方にはもうひとつ聖の世界というものがあると言う人がある。
ところが本当の仏教的体験からすると聖というものはない。

その実は聖も真も善も美もない。
そういうことを言うのはまだ相対の世界に滞っているのだ。
滞らないところに飛び出ると、事々無碍なるところ、
遊戯自在で、無限の創造が可能の世界にはいることができるのである。』
(「無心ということ」鈴木大拙著・角川ソフィア文庫より)

むかし、本を平行して読むことは考えられなかったけれど
最近いろんな本を、同時進行で読むところがある。

ちらり、と読みかけている本の一節。

なんだか、おもしろいなと思って
抜粋してみました。

こういう文章を目にすると、思う。

たぶん、いや絶対的な、自分の小ささを。

もっと達観した、大きな人になりたい。

いや、いっそのこと、人じゃなくてもいい。
何ものであっても、構わない。

わたしは、宮澤賢治について卒論を書いた。
(専攻は英米語学科だったけれど。笑。)

宮澤賢治は言う。

そういうひとに、わたしはなりたいと。

無限の創造者になれたら、どれほど素敵なことだろう。
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旅人は飛ぶ

2008-10-24 02:17:20 | Weblog
外を降っているはずの雨が
心の内まで、水びたしにする。

人間には、どうにもならないことがある。

風になって、どこか遠くへ
飛んで行ってしまえたら。

どんなに楽だろう。

どうにもならないものを置いたまま

宇宙の果てまで、旅に出たい。

わたしという殻を脱ぎ捨てて。

もっとずっと、見えないところまで。
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三年寝太郎

2008-10-22 17:58:04 | Weblog
いつもは夕方なんだけれど。

雨が降って、歩けなくなる前に
今日はめずらしく、午前中に歩いてみた。

「コン・・・」おおきなグランドに、響きわたる音。
おじさんがひとり、ゲートボールの練習をしていた。

わたしは黙々と、歩く

運動は苦手でも、歩くのが好きだ。
(運動オンチはもちろん、勝ち負けに燃えない・・・)

歩くのは、ものすごく面白い。

どう見ても、広々としたグランドでは浮く感じの
運動しなさそうな人達が、突然やって来た。

歩いているわたしに、宗教の勧誘。

なにより、何かに集中しているとき、止められるのが嫌いだ。
笑顔で会釈、拒絶の意を表す。

大変だゲートボールのおじさんは、どうなる??
『おじさんの邪魔するなやぁ~』心の声

遠くに視線をやると、やっぱり断って練習を続けていた。

ガランとした大グランドにいる、たった二人を
ターゲットに。ある意味すごいな、たいしたものだな、、。

なんて思いながら、帰宅。
昼食の肉じゃがを食して、眠りにつく・・・

生きてきた全部の時間から、これまで眠ってきた時間を引いてみると

実質、活動時間は、どのくらいなんだろう??

でも、きのうのプロフェッショナルでもやっていた様に。
眠っている間も、人は考える生き物だから、、。

眠っている時間も「動いている時間」なんだなぁ。

若院も以前、言っていたなぁ。

一切の放棄をして眠る自分なのに、
休む間もなく、動き続けてくれる「この命」の話を。

ふぅむ。なかなか偉いもんだなぁ~。

自分であって、自分じゃないような。
生かされているんだなぁ・・・。
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本よみ人

2008-10-21 18:55:28 | Weblog
こんな時間の「たけのこの里」
チョコには、目がないですなぁ~

きょうは朝から、お寺で(本坊)仏具のおみがきがあり。
ご門徒さんが18名、来て下さった

わたしは、お茶&コーヒーをお出ししたり

お母さんが、ご門徒さんの昼食にと

炊き込みご飯(栗、しめじ、人参、おあげ入り
きゅうり&はるさめの酢の物、大根のお漬物、りんご、
を作っていたので、そのお手伝いをした


お父さんが、吉本隆明さんが書かれた
親鸞聖人の本を3冊、手にしていた

なんでも、とある人の大推薦で。

いろんな宗教が自然淘汰されても、浄土真宗は残る
他に二つとない、宇宙の宗教だから、、だそうです。

「・・・読み終わったら、貸してください!」
すかさず、お願いしておく。

読書家のお母さんからも、いま3冊の本をお借りしている

先日初めて、アマゾンとやらで取り寄せた
小林秀雄さんの本が、3冊。
(『モオツァルト・無常という事』『人生について』『人生の鍛錬』)

きのう買った『茂木健一郎さんの 脳科学講義』

むむ読むぞーーー
これは、読むしかない!!

と言っても。小林秀雄さんの本も、

簡単に書かれていない場合の、茂木健一郎さんの本も、
(茂木さんは→意識的にわかりやすく書いて下さっていることが
よくわかります)

わたしには、むずかしい・・・

なぜなら、わたしは、気合い&直感だけで、
31年も生きて来てしまった、奇跡の人物だからだ、、

あまりに不勉強。勉強嫌いの、なまけもの。飽き症はなはだしく。

たぶん、レベルは幼稚園児と思っていただければ
ちょうど良い感じ、、情けないことに。

でも、なんだかおもしろそうなので、
わかっても、わからなくても、読んだるぞぉーー!!

と、思う今日この頃であります。笑。

そうだ!!きょうの夜はNHKで『プロフェッショナル』
があるんだった!!茂木さんの、脳スペシャルの日だ!!

とてもとても、楽しみぃ~
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無数の屍の上にある私

2008-10-20 17:45:59 | Weblog
ちょうど、光善寺の眞諦さんが
亡くなられたご門徒さんについて、書いておられる今日。

今朝、わたしの携帯が鳴る。

東京にいたときからの友人で、

舞台で使う映像など、いろいろ創ってもらっていた
俊さんからのメールだった。

その昔。わたしは、小さな劇団の座長をしていた。

4回目の公演『舞え舞えかたつむり』で
美術を担当していただいた、
Nさんが亡くなられたとのことだった。

俊さんの紹介で、Nさんと出会う。

Nさんは、映画『極道の妻達』や
2時間ドラマ、また京都の太秦で
美術をされていた、プロだった。

わたしの親世代で、その道のプロだったNさん。

素人に等しい、わたしの率いる劇団の舞台に
全力を尽くして下さった。

もちろん、お金なんかあるはずもなく。
ノーギャラ、あるのは「夢」だけだった。

Nさんは自宅に、わたしたち役者の卵を呼んで
手づくりの、鍋料理を食べさせてくれた。

確か、味噌と牛乳と・・・
作りかたを教えてくれたけど、忘れてしまった。

とにかく美味しくて、食べるのに必死だった。


わたしの劇団は、たった4回の公演で終了。
小学生からの夢も、そこで幕を閉じる。

やりつくした感と、夢を追う情熱が失せた、挫折。

25までに成功しなかったら
帰郷するという、母との約束も破って

27までいた。成功とは何であるか、わからなくなった。

いちばんの問題は、食べられないことよりも、

『―自分の表現したいものが、どこにあるのか?―』

だった。見えない。

むなしさこそが、わたしの挫折だった。

生きたいように、生きていても。
自分の中に、表現できる「真実真理」が、なかった。

「ない」ことに気づく。



照明や音楽は、イメージやタイミングを伝えて
何回も、打ち合わせ&稽古を重ねつつ

信頼できる大切な仲間に、おまかせした。

製作・出演・演出・脚本・舞台美術にいたるまで
ひとり、好き勝手に手がけていたけれど、

4回目の、最後の舞台だけ

Nさんの創る、本格的な舞台セットでの公演となった。

映像畑のNさんにとって、最初の舞台。
夢を追い続けたわたしの、最後の舞台。

記憶が断片的に、思い出される。

Nさんの言葉の数々。

「衣装の襟を紙で作ろうと思うけど、どうだ?」

「映画を1本創りたいんだ。脚本を書いてくれないか?」

「まゆらはピカソが好きだから、創造と破壊が好きなんだな」

どれも首を縦にふらなかった、わたし。
お世話ばかりかけた。

芸術家だったNさんの願いを、何ひとつ叶えられなかった。

Nさんは、映画を舞台をお酒を、愛した人だった。

身体的な死だけではなくて、
精神的な死も含めて―

わたしは、たくさんの人を犠牲にして来て
今なお、犠牲にし続けている。

数え切れない屍の上に、涼しげな顔で立っている。

いつか、北野武さんの映画にもあった。
タクシーで、ごとんごとん、無数の屍の上を走る場面が。

あれは、他の誰でもない、、。
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