さっき、夜10時~達人達。
小説家・平野啓一郎さん×アルピニスト・野口健さんの
対談があった。
以前に放送された番組だけど、
わたしは初めて見た。
若院&子供は就寝。
ゆっくり、メモを取りながら見られた。
お二人が「生死」について語っておられ
とても興味深かった。
野口さんの語られた言葉の数々
非常に端的で、うなずけた。
おもしろいなと思ったのが
『匂いは命』
『極限状態で、最期に求めるものは日常』
などなど。
なんだろう、、なぜ山に登るのか。
ひと言では表せないものだけど
わたしは、野口さんを見ていて
「生」を感じる為に、登るのかなと思った。
下山した後は
日常生活が、当たり前になって来る・・・
そしてまた登る、と言っておられたけど
日常が、当たり前ではないと感じる為に
また。普段の生活の中では、
いろんな、雑多なものにかき消されて
わたし達が、なかなか気づけないこと――
『匂いは命』
『汗をかいている=生きている』
『生きている自分を触って確認する』
匂うという事は、そこに生命があるという事
生命には、匂いがあるという事
感覚・五感が、研ぎ澄まされる大自然の中で
気づかされる、
自分がいま「命」であること。
確かに、生かされていること。
野口さんは、そんな「命」を体感することに
魅了されているのではと思いました。
他に興味深かったのが
『失敗と成功って何だろう』という言葉。
大自然の前では、決断して登ったことで失敗に繋がったり
あきらめて下山したことが成功に繋がったりする、、と。
う~ん。。
大自然の前では、人間の考え・価値観は
簡単に覆されてしまうものかなと
わたしは、思います。
その地点で、絶対に良かれと思っても
何が成功で、何が失敗なのか
わからないものだなと、いつも思います、、
平野さんの小説は、恥ずかしながら
まだ読んだことがないので
何冊か読んでみたいなと思いました
来世があるとは思いませんが
人間は死んだら無である
という考え方をもって、果たして
本当の意味で生きて、
本当の意味で死んでゆけるのか
生まれた命は
「無」というゴールに向かうのか。
そうはさせない、
決して、あなたをひとりにはさせないという
あらゆる命を包む光が
あるのではないか、
わたしにはあると思いながら、見ていました。
でも、、生きたい人が
死に吸い込まれるという話が出ていた様に
人間は死んだら無である、という言葉の裏には
それと同じくらいの
死んだら無であって欲しくないという
思いが、隠されているような気もします。