ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

らっきょう漬けたど

2008-06-30 21:32:47 | Weblog
ある日あるご門徒さんが
大量のらっきょう&ビンを持って来て下さった

一瞬ひるんだものの、よろこんでいただき。
抱えてお寺に持って行って、ははに聞いた。

塩でよくまぶしてから→熱湯で洗って
あとは市販のらっきょう酢で漬けたら
1週間もすれば食べられるとか

さっき無事に、やり終わったところです。
むかしは、こんな変な臭いもの、食べられるかぁぁぁ
といった感じでしたが。

めでたく年を取り、大人になりました。
最近、大丈夫みたいです

しかも、体にいいらしい

その、らっきょうを下さった方、
なんと今日は。
昨年に続いて、裏の荒地に畑を作って下さいました。

もちろん相方&わたしは
畑のこと、わかりません

蚊に刺されたと言っては
走りまわって。わめくだけの軟弱者です

さつまいもの収穫の時だけ、突如現れて
園児のように
きゃあきゃあと、掘ってみたりするわけです。

本当に、感謝の念は尽きません
食べ物を口にするまでの過程には

計り知れない、ご苦労があるのだと思います。
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風車の如く

2008-06-28 22:58:43 | Weblog
写真の風車は、キララ多岐という所にあります。
つい最近、うちの近くにも9つの風車が立ちました。

世界最大級で、運ぶのも大変だったそうです。なんでも、
車で運ぶとき人が歩くような速度だったとか

それを夜中、眠らずに見に行かれた方もおられます。
いろんな興味、関心があるもんですなぁ~

わたしは、夜に弱く&朝にも弱い。
できれば1日働いたら、3日は休みたい

なんてね。

しとしと雨の、ゆるやかな時間。
静けさを、味わってみるのもいいかな
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憩いの一時

2008-06-28 07:18:13 | Weblog
島根の今朝は、ポツポツ雨模様です。

庭の花は、よろこぶネ

わたしは何だか、まだ眠い

きのうはお寺の、婦人会の方の会議があって
きょうは運営の中心となる、役員さんの会議があります。

まぁ、わたしはその場にいるだけで
相方もおりますが
父&母が、バリバリ頑張ってくれます

その様子を見ると、勉強になりますなぁ

なんて思いながら、きのうも休憩タイムに出された
大きなプリンを、せっせと食しました

明日はお寺の新聞と、
うちでやる夏祭りのチケットの、印刷をするようです。

月末の例会を経て
7月から1・2日と広島へ、3・4日と京都へ
お遊びじゃなく。ともに少年連盟の研修です。

終わって実家経由→恩師が住職になられる式典があり
そのまま北海道へ。

しばらく放浪の旅人です

ところで昨日は
近所のスーパーが、ポイント10倍の日で走りました。
あぁ、なんて主婦してるんだろう
と自分で感動しつつ。

夜はアジの塩焼き、黒枝豆、おくら納豆、鳥のつみれ汁を。

やっぱり、ボサアッと
何も気にせず、くつろげる我が家はいいですなぁ

写真は、出雲で飲んだラテです。
あんまり可愛かったのでパチリ。

むかし東京にいた時。とあるカフェで見た以来だったので
その頃が思い出され、なつかしく思いました。

とりとめのないコラムでした。
みなさん、楽しい週末を
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太陽と海の光

2008-06-27 09:44:57 | Weblog
携帯写メには、おさめきれない絶景でした

昨日&一昨日と二日間、出雲大社の向こうにある
親戚のお寺に行って来ました

相方が40分×5回、ご法話をするご縁をいただき。
どうしても、聴聞したかったので
あつかましくも同行してきました。。

わたしのモットーは、人に甘く自分に甘く

まぁ、基本的に人のことも自分のことも
たいして気にならん訳です。自由を好みます。

でも。

自分の「こだわり」は核にあるんです。
それが、昔は「演劇」だったり
今は「お念仏」だったりします。

ココだけは重要だと思う、外してはならん、とか
頑固一徹、そこは厳しくいきます

中途半端にしたくない、まさに乙女のカケラもない
ただの「おっさん」であります。


ところで相方は、ここ数日。
部屋に缶詰、お酒も口にせず(これはスゴイ事なんです
4日間で400字×80枚の原稿を書いた。

いつもボオッと
宇宙と交信しているのか
この人、大丈夫かなといった雰囲気なのに

なかなか骨がありました

わたしも相方の原稿に目を通し

ここは誤解をまねきやすい表現だとか、
この後にもっと説明を加えないと優しくない、とか言って。

いざ本番。

超客観的に。ほんとうに素晴らしいご法話でした

痛く感動しました

言葉というものは大切だけれど、
究極のところ、手段でしかないんだと思います。

例えば、同じ「ありがとう」でも
本当にそう思って言っているのか
そうじゃないのかは、不思議とわかります。

また憎しみをこめて「ありがとう」
と言ったならば、

それは文字が「ありがとう」なだけで
相手を確実に不快にします。

言葉を用いて何を伝えるのか
その奥にあるものが、人に伝わらない限り
意味をなさないと思うんです。

その点、相方は
普段からは想像もつかないほどの
大迫力。「これを伝えるんだ
という熱い思い&深い味わいが、
相方の言葉と表情と体全体から、ビシビシと前に出ていました。

びっくりする程の、表現力でありました。

またとない、ご仏縁をいただきました

Mさん曰くの、のろけ話になっているかもしれませんが

いのち終えるまで、続いてゆくこの日々。
あぁ、昨日はよかった!で終わらせずに

もらった、このエネルギーを受けて。
じゃあ一体、非力ながらも
自分には何ができるのかを、思います。

良い刺激をもらいつつ。
また今日からわたしも、新しく歩み始めたいと思います

追伸:ほんとうに、コメントいただく様に。
いいことも、悪いことも、全部ひっくるめて
いい人生だったなぁ
と味わえるような道を行きたい、自身そう思います
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きのうの悲劇

2008-06-24 22:08:13 | Weblog
きのうは、ご門徒さん45名を引率、
バス1台に乗り込んで→舞台「法然と親鸞」を観に行った。

普段特別な用事がないときは、わたしはボロッとしていて。
とても人様に見せられるような姿じゃなかったりする

でも、お出かけともなれば
シャワーを浴びてお化粧して気分も良い

きのうも、そうだった。

が。そのとき事件は起こった

バスを待っていたら、頭にポタッ

・・・ん

じゃないよね。
嫌な予感。もしや、わたしだけ??

こんな漫画みたいなことが、、、
きれいきれいにした後に、今からお出かけする前に

あっていいのかぁぁぁぁ

それから突如ブルーになり。
ぎゃあぎゃあと一人、ブツクサ言っていた訳であります。

でもバスが来て、みなさんを前に
「こんにちは
顔で笑って、心で泣いていました。

不幸中の幸いというか、フンの方ではなかったので
そこまでの被害にはならず。

鳥さんも、トイレするのは生理現象だから
するなとは言わないけれど。
せめてもうちょっと。

ほんのちょっとでいい、気遣っていただければ
うれしく思います完。
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おはようございます☆

2008-06-24 08:28:14 | Weblog
みなさん、いつもコメントありがとうございます
楽しみに拝見しています
そして、自身いろいろと考えさせられます。

親鸞聖人の、み教えについて、、。
難しくも嬉しい疑問をまた、いただきました

あくまで、宗教のことというのは
デリケートなもので。決して誰かに証明、説得するものではなく
このわたしが、喜んでいただいているだけであります。

その方その方の道がある。
それを大前提に、でも、いただいた疑問について、、。

わたしは未熟で、何の中身もありません代わりに、
以前教えていただいた、滋賀県F先生のお言葉をお借りします。

「よく浄土はあるのかないのか、といった声を耳にしますが。
本願の救いに出あってこそ、浄土が私と関係をもってきます。
本願の教えなしに、浄土は存在し得ないのです」

このお言葉に、わたしは痛く感動しました。
ちょっと、これを引用・応用?してみると

「信心なしに、その人の救いにはならない」

のだと思います。阿弥陀様の願いに出あって、
それをそのまま、いただくのであれば、
それは間違いなく、その方にとっての救いになります。

良い薬があっても、病人がそれを飲まなければ(信心)
効くことはないそうです。

また、生きていることを前提とする世間一般の人生問題と
生死の問題(老病死)は別のものであり(無量寿経・稲城選恵著より)

「わたしの力」が及ばないとき、
果たして人間は、よりどころなしにいられるのか、、。

「2000年前の科学者と哲学者がバッタリ出会ったら
科学者はすごい進歩だと喜び、哲学者はなんだ何も変わっていない
と嘆くそうです。人間の本質は変わらないということです」(F先生)

時代が変われど、科学が進めど、
おぎゃあと生まれた者は、命を終える日が来る。


阿弥陀様の願いは、そんなわたしの救いであるなぁと思います。

また、お釈迦様は
「この真理は、むさぼりといかりのとりこになっている
世の人々には、理解できないだろう」
と、伝道するのをためらわれますが、梵天の説得を受けて
仏法を説く決心をされたのです。

いまの世に、救いを必要としている人がいるのか
→自分が迷っていることにさえ気づかずに
老病死の苦海で泳いでいる人が、大半であると思います。

これはでも、本当に、受け手の(世間の人の)問題ではなく。
われわれ僧侶が、命がけで念仏相続してきた先人達の思いを
受け継いでいかれるのか。発信側の問題であるとわたしは思います。

阿弥陀様から願われた命が、自分の命を超えて
他の命、次の命を願ってゆく、願い合ってゆける世界は

なにものにも変えられない、尊いものであります。

『歎異抄』という書物の第二条にもありますが、、

わたしも、例えだまされたとしても、何の損もありません。
むしろ、わが人生に光をいただいたことに感謝あるのみです。

お念仏者は命を終え仏となり、浄土からすぐこの世に戻り
あらゆる命、わたし達を願っておって下さいます。

今ここ、わたしの周りにも、無数の諸仏がおられます。

父は尋常じゃないほど厳しく、わたしを育てました。
ズボンの上からお尻を叩かれても、
もみじマークが(手形)くっきり残るほどでした。

確かに、短い時間の中で、最短で育ててくれたのだと思います。
あたたかいコメントをありがとうございました

父はまた、わたしにお念仏をのこしてくれました



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あたまグルグル

2008-06-22 08:07:59 | Weblog
大阪のK先生は67歳で、
お母さんは90歳になられるとか。

いつも、夜8時には眠られるお母さん。
先生が家に戻っておられないと

夜10時を過ぎても、眠らずに待っておられるそうです

先生は、ありがとうと言うどころか
お母さんの体が心配のあまり

「早く寝たらいいじゃない、
もう67歳なんだから、ちゃんと帰って来るよ」と。

この年になっても、親に反抗している私、、、


といったお話を、最近聞くご縁がありました。

いくつになっても、年齢じゃなくて
どこまでいっても、親は親、子は子なんだと思います。

親の思いは、これまた大きくて。
子である私には、なかなかわからないものの。

思ってくれる、親があればこそ。
素直になれない自分を、感じられるんだと思います

親から注意=大人になれない自分がいる、じゃなくて
親から注意=自分を思ってくれる親がいる、んだと思います。

なぁ~んて、いざ私事となると、
親の前では、めちゃくちゃわがままいっぱいデス

ちなみに
前のコラムに大人、子ども、と書きましたが

世間でいう20歳は、あくまで便宜上で。
基準は、あってない様な気がします

いつか大人になりたいと思う気持ちも素敵だし、
ずっと子どもなのも面白い
(→だからって、人を殺してもいいとかじゃなくて

「諸行無常」は
あらゆる現象(諸行)が常に変化しているの意味で。
成長も後退もあって、良くも悪くもずっと同じじゃないよ、
という事なのかなと、わたしは受け止めています。

親鸞聖人は、想像も及ばないほど
頭のいい方ですよね、、。知識といい智慧といい。

我々凡人には、すんなりとはいきませんが。

でも「お念仏」ひとつで
あらゆる命を救って下さる阿弥陀様がいますよと、

教えて下さった。そのお心がとにかく
あたたかく、深いものであることだけは
感じられるように思います
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雨の音

2008-06-21 08:13:58 | Weblog
いやはや、久方ぶりのコラムであります
ちょっと数日、お寺の関係で
京都に行っておりました

梅雨なのに、1滴も降らないなぁ・・・と
思っていたら、しっかり降り始めましたネ

むかし。雨の日は狩りに出かけず
一所に留まっていたから

わたし達の体も何か、オフモードになるとか
ならないとか

誰かが言ってたような。遠い記憶

きょうは、わたしの実家の父の誕生日だ
41才で、亡くなっているけど。
生きてたら、61才かな??

自分から見て、完璧なまでに「大人」だった父。
いま思えば、ずいぶん若い。

今のわたしと、そんなに年も変わらない。

むかし。

世界は完璧に回っていて

周囲の大人は「子ども」と違った
生き物に見えた。

でも。今。

世界はぜんぜん完璧なんかじゃなく。

いつも、ぎりぎりのところで揺らいでいて。

大人も本当は、大変で。
四苦八苦しているように思う。

大人になったのに
完璧とは程遠い、わたしがここにいる。

でも、わたしは子どもみたいに。

未完成のまま、楽しんで歩いていきたい

追伸:プチさんコメントありがとう!!
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絶対的な理解者

2008-06-16 00:09:37 | Weblog
すぐそばに、自分を理解して
しっかりと受けとめてくれる人がいたら。

もっている100パーセント以上の
未知の力が、引き出されたりする。

存在まるごとを、ゆだねられる安心感。
前へと、生かされる力。

たぶん阿弥陀様って、そんな感じ。

わたしの、絶対的な理解者。

阿弥陀様の胸の中。
生かされる力が、最大限に引き出される。
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いま

2008-06-15 01:50:59 | Weblog
広島より帰りました
家族4人で、またソナムさんに会いに行って来ました。
この度日本で会えるのは、今日が最後かな、、。悲。

海鳥会議長さん、mtさん、
いつもコメントをいただき、ありがとうございます

読みながら、わたしもまた
いろんなことを考えさせられます

みんな何かしらの
苦しみを抱えていて。

自分の目に、どんなに素晴らしく映る人でも、
その人なりの悩みがあって。
例えいま順風でも、壁にあたる時がやって来る。

逆に、いま壁にぶつかっていても、
ある日突然、乗り越えられたりする。

人間だから、いろんな時があって。
良くも悪くも、ずっと「いま」のままじゃない。

1つの「点」で終わらない。

そんな中で。

自分がまず、
自分自身を受け入れてあげる。

それは、自分にしかできない
大切なことだと思う。

強いところも、弱いところも。
いいところも、ダメなところも。

解決できなくても、受け入れる。

そこで少し楽になれる。

人間臭い人、わたしは好きだ。
飾ったり、隠したりしないところに
抜群の魅力がある。

山あり谷ありだと「揺れる」人は
涼しげに生きている人より、断然かっこいい。

生きていること
生かされていることに、
鈍くないから。

元気じゃないときは、ゆっくり休む。

ちょっと元気なときは
「いただいているもの」に感謝する。

ほんとうは、いま命があるだけで奇跡。

自分にとって嫌なこと悪いこと、
もちろんあると
めいいっぱい
凹んで腹を立てて悲しんでいい。

でもそこで終わらずに

奇跡のいのち、
1チャンスを
いかに生きるか。

いただいでいるもの、
じっくり味わってみたい

ほんとうに、悪いニュースだけじゃ
もったいない、わが人生

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