手のひらを見つめて、
自分のからだの奥にひそむ
数多くの細胞を想う。
わたしという器の中に
つまっているもの・・・
じゃなかった。
数え切れない人間の
数え切れない人生を
経てきたもの達が、いまここに集う。
そのひとつひとつは
何を見てきたのか
何を味わったのか
語ることもないまま
いろんな思いを胸に
ただ肩を寄せ合い、息をひそめて
ひとつの生き物を動かせる。
わがもの顔で
縦長式住居に住まう人。
よろこだり、怒ったり
悲しんだり、笑ったり
窓から指す、一筋のひかりにも
気づかないままに。
自分のからだの奥にひそむ
数多くの細胞を想う。
わたしという器の中に
つまっているもの・・・
じゃなかった。
数え切れない人間の
数え切れない人生を
経てきたもの達が、いまここに集う。
そのひとつひとつは
何を見てきたのか
何を味わったのか
語ることもないまま
いろんな思いを胸に
ただ肩を寄せ合い、息をひそめて
ひとつの生き物を動かせる。
わがもの顔で
縦長式住居に住まう人。
よろこだり、怒ったり
悲しんだり、笑ったり
窓から指す、一筋のひかりにも
気づかないままに。
ひささん、こんにちは!わたしは、芸術の秋ならぬ「掃除の秋!!」とめずらしく奮闘して、ボロッとしたところです。笑。
やっぱり、何事もためこまずに、ちょっとずつしていれば、こんなことにはならないんですけどねぇ、、☆
映画「真珠の耳飾の少女」観ていただいたとはー!!
ありがとうございます。なんだか嬉しいです♪
実のところ、細かな部分は忘れてしまったのですが、あの映画の全体的な雰囲気が、絵画のように美しく印象的だったのを覚えています。
実際に、フェルメールの絵画も、息を飲むほど美しいですもんね~☆☆人間も、なかなかやるじゃないかぁ!!と思います。
わたしも、ひと通りの用事は済んだので、
ひささんみたいに、これから芸術の時間としたいものです(^▽^)
「脳」という物質で形作られたものが、
「心」を持って人として生きている。
ということをあらためて気づかされます。
いろいろなことに気づきながら、
生きていくことの大切さを想います。
ところで、教えていただいた
「真珠の耳飾りの少女」の映画。
やっとDVDで観ることができました!
絵画「真珠の耳飾りの少女」の持つ
静謐さは映画のような背景があったのかと思うと、
絵の見方というのは、
それぞれに住まう、
それぞれの人にある
それぞれの心で観ているのだなぁと
あらためて思います。
こういう風に思えるのも、
このブログに触れたり、
自分のブログに頂いたコメントのおかげです!
ありがとうございました!