きのう。夜7時~9時半まで。うちのお寺で研修会があった
ご門徒さん40名&僧侶・寺族など、大勢で学びを深める。
テーマは『神を拝むことは日本人の宗教としてよいことだと思いますが』
ご講師の問題提議を元に、3つの班に分かれて話し合い
最後に、まとめの講義を聞くという、流れ。
円座になって、みんなそれぞれの思いを語り合って、耳を傾ける。
とても、むずかしかった・・・
小さい時から、あたりまえのように神様と仏様があって。
深く考えたことすらなく。地域の行事は神道だったりする。
などの意見。
なにしろ、お寺で神様について話をするものだから
神様の悪口を言うのも、拝んでいますと言うのも、気が引ける。
なんとなく、みなさん、どうして良いのやら、、といった雰囲気
また、昔から受け継がれて来たものを、
やめる・断ち切るのが恐く。続けなければと思うのでは、といった意見も。
寺の関係者は、基本的に意見をせずに、
みなさんから意見を出してもらうことになっており。
わたしは自分の疑問として、みなさんに問いかけてみた
「日本人は多宗教で、このみ教えが・・・という信仰心があって
やっているというより、文化的な感じなのかなと思います」
最後の方で、待ってましたとばかり
ある年配の男性が、いちばん聞きたかった意見を言って下さった
『真宗の教えの良さのPR、伝道がまだまだ足らないのではと思います。
教えを知ったら、真宗を信仰する人が増えると思います』と。
そこから、昔は家族みんなで参っていたのが、今は違うとか。
伝わらないと、世代ごとにますます薄くなる、危機感がある。
いろんなご仏縁に、みんな一緒に触れていただくと良い。
都合や便宜さ、文化(神仏混合)中心の生活を追い続けてゆくのか。
発言に広がりが出た。わたしは思わず
「耳が痛くも、うれしくありがたい意見ですね」
そうなんだよなぁ~、、お念仏者が、寺のものが、宗教者が
どんな教えであるか、もっともっと広まる努力をせんとなぁ・・・
そもそも、混乱というのは。情報がありすぎること、なさすぎることから
始まったりして。的確に「要」が伝わっていないところにある、、。
誰がどの宗教を信仰(帰依)しているか、どうこう言う気はない中で。
やっぱり、どれだけ素晴らしい教えがあっても
知らないとか、正確に伝わっていなければ、、、
せっかくの宝に、、、出遇うことはないんだろうなぁ。。
ちなみに、参考までに。ちょっと前に読んだ本には
民族宗教→神道・ユダヤ教などの特徴は
(世界宗教との違いは)
1,開祖がない
2,教義や教典がない
3,教団がない
4,超世間性・世俗を超えた真理がない
とありました。
が。こういった理屈じゃなく。どんな教えかを心で、体感していただくため・・・
の「ご縁」を繋ぐ、ことにもっと力を尽くさねばと。
自身、身が引き締まる思いがした研修会となりました、、、
本当の宗教とは。人間を、単に社会の中の人間としてとらえるのではなく
宇宙の中にある人間としてとらえることにあるんだそうです。
(大峯顕先生の著書『宗教への招待』より)
つまり。この世における、わたしの欲望を満たして下さいと
お願いするのが宗教ではなく。
『いかにして生死を越えてゆくか』その道の探求こそが宗教です。
ちょっと、むずかしいコラムになりました
追伸:映画『おくりびと』が、米国のアカデミー賞にノミネートされました。
陰の原作者は、『納棺夫日記』を書かれた「青木新門さん」というお念仏者です。
お念仏が、全面的に出ている映画ではありませんが
日本特有の、サムライを描いたものでもなく。
生き物である、人間の生死に焦点をあてた映画です。
お念仏者の精神は、海を越えた遠くアメリカでも
確実に通ずるものであること、改めて感ずるばかりです。
ご門徒さん40名&僧侶・寺族など、大勢で学びを深める。
テーマは『神を拝むことは日本人の宗教としてよいことだと思いますが』
ご講師の問題提議を元に、3つの班に分かれて話し合い
最後に、まとめの講義を聞くという、流れ。
円座になって、みんなそれぞれの思いを語り合って、耳を傾ける。
とても、むずかしかった・・・
小さい時から、あたりまえのように神様と仏様があって。
深く考えたことすらなく。地域の行事は神道だったりする。
などの意見。
なにしろ、お寺で神様について話をするものだから
神様の悪口を言うのも、拝んでいますと言うのも、気が引ける。
なんとなく、みなさん、どうして良いのやら、、といった雰囲気
また、昔から受け継がれて来たものを、
やめる・断ち切るのが恐く。続けなければと思うのでは、といった意見も。
寺の関係者は、基本的に意見をせずに、
みなさんから意見を出してもらうことになっており。
わたしは自分の疑問として、みなさんに問いかけてみた
「日本人は多宗教で、このみ教えが・・・という信仰心があって
やっているというより、文化的な感じなのかなと思います」
最後の方で、待ってましたとばかり
ある年配の男性が、いちばん聞きたかった意見を言って下さった
『真宗の教えの良さのPR、伝道がまだまだ足らないのではと思います。
教えを知ったら、真宗を信仰する人が増えると思います』と。
そこから、昔は家族みんなで参っていたのが、今は違うとか。
伝わらないと、世代ごとにますます薄くなる、危機感がある。
いろんなご仏縁に、みんな一緒に触れていただくと良い。
都合や便宜さ、文化(神仏混合)中心の生活を追い続けてゆくのか。
発言に広がりが出た。わたしは思わず
「耳が痛くも、うれしくありがたい意見ですね」
そうなんだよなぁ~、、お念仏者が、寺のものが、宗教者が
どんな教えであるか、もっともっと広まる努力をせんとなぁ・・・
そもそも、混乱というのは。情報がありすぎること、なさすぎることから
始まったりして。的確に「要」が伝わっていないところにある、、。
誰がどの宗教を信仰(帰依)しているか、どうこう言う気はない中で。
やっぱり、どれだけ素晴らしい教えがあっても
知らないとか、正確に伝わっていなければ、、、
せっかくの宝に、、、出遇うことはないんだろうなぁ。。
ちなみに、参考までに。ちょっと前に読んだ本には
民族宗教→神道・ユダヤ教などの特徴は
(世界宗教との違いは)
1,開祖がない
2,教義や教典がない
3,教団がない
4,超世間性・世俗を超えた真理がない
とありました。
が。こういった理屈じゃなく。どんな教えかを心で、体感していただくため・・・
の「ご縁」を繋ぐ、ことにもっと力を尽くさねばと。
自身、身が引き締まる思いがした研修会となりました、、、
本当の宗教とは。人間を、単に社会の中の人間としてとらえるのではなく
宇宙の中にある人間としてとらえることにあるんだそうです。
(大峯顕先生の著書『宗教への招待』より)
つまり。この世における、わたしの欲望を満たして下さいと
お願いするのが宗教ではなく。
『いかにして生死を越えてゆくか』その道の探求こそが宗教です。
ちょっと、むずかしいコラムになりました
追伸:映画『おくりびと』が、米国のアカデミー賞にノミネートされました。
陰の原作者は、『納棺夫日記』を書かれた「青木新門さん」というお念仏者です。
お念仏が、全面的に出ている映画ではありませんが
日本特有の、サムライを描いたものでもなく。
生き物である、人間の生死に焦点をあてた映画です。
お念仏者の精神は、海を越えた遠くアメリカでも
確実に通ずるものであること、改めて感ずるばかりです。
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