ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

神様。仏様。

2009-01-23 10:16:40 | Weblog
きのう。夜7時~9時半まで。うちのお寺で研修会があった
ご門徒さん40名&僧侶・寺族など、大勢で学びを深める。

テーマは『神を拝むことは日本人の宗教としてよいことだと思いますが』

ご講師の問題提議を元に、3つの班に分かれて話し合い
最後に、まとめの講義を聞くという、流れ。

円座になって、みんなそれぞれの思いを語り合って、耳を傾ける。


とても、むずかしかった・・・


小さい時から、あたりまえのように神様と仏様があって。
深く考えたことすらなく。地域の行事は神道だったりする。

などの意見。

なにしろ、お寺で神様について話をするものだから
神様の悪口を言うのも、拝んでいますと言うのも、気が引ける。

なんとなく、みなさん、どうして良いのやら、、といった雰囲気


また、昔から受け継がれて来たものを、
やめる・断ち切るのが恐く。続けなければと思うのでは、といった意見も。


寺の関係者は、基本的に意見をせずに、
みなさんから意見を出してもらうことになっており。

わたしは自分の疑問として、みなさんに問いかけてみた

「日本人は多宗教で、このみ教えが・・・という信仰心があって
やっているというより、文化的な感じなのかなと思います」


最後の方で、待ってましたとばかり
ある年配の男性が、いちばん聞きたかった意見を言って下さった


『真宗の教えの良さのPR、伝道がまだまだ足らないのではと思います。
教えを知ったら、真宗を信仰する人が増えると思います』と。


そこから、昔は家族みんなで参っていたのが、今は違うとか。
伝わらないと、世代ごとにますます薄くなる、危機感がある。
いろんなご仏縁に、みんな一緒に触れていただくと良い。

都合や便宜さ、文化(神仏混合)中心の生活を追い続けてゆくのか。

発言に広がりが出た。わたしは思わず

「耳が痛くも、うれしくありがたい意見ですね


そうなんだよなぁ~、、お念仏者が、寺のものが、宗教者が
どんな教えであるか、もっともっと広まる努力をせんとなぁ・・・


そもそも、混乱というのは。情報がありすぎること、なさすぎることから
始まったりして。的確に「要」が伝わっていないところにある、、。


誰がどの宗教を信仰(帰依)しているか、どうこう言う気はない中で。


やっぱり、どれだけ素晴らしい教えがあっても
知らないとか、正確に伝わっていなければ、、、

せっかくの宝に、、、出遇うことはないんだろうなぁ。。


ちなみに、参考までに。ちょっと前に読んだ本には

民族宗教→神道・ユダヤ教などの特徴は
(世界宗教との違いは)

1,開祖がない
2,教義や教典がない
3,教団がない
4,超世間性・世俗を超えた真理がない

とありました。

が。こういった理屈じゃなく。どんな教えかを心で、体感していただくため・・・

の「ご縁」を繋ぐ、ことにもっと力を尽くさねばと。

自身、身が引き締まる思いがした研修会となりました、、、


本当の宗教とは。人間を、単に社会の中の人間としてとらえるのではなく
宇宙の中にある人間としてとらえることにあるんだそうです。
(大峯顕先生の著書『宗教への招待』より)


つまり。この世における、わたしの欲望を満たして下さいと
お願いするのが宗教ではなく。

『いかにして生死を越えてゆくか』その道の探求こそが宗教です。
ちょっと、むずかしいコラムになりました

追伸:映画『おくりびと』が、米国のアカデミー賞にノミネートされました。
陰の原作者は、『納棺夫日記』を書かれた「青木新門さん」というお念仏者です。

お念仏が、全面的に出ている映画ではありませんが
日本特有の、サムライを描いたものでもなく。

生き物である、人間の生死に焦点をあてた映画です。

お念仏者の精神は、海を越えた遠くアメリカでも
確実に通ずるものであること、改めて感ずるばかりです。
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