ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

あるひとつの詩

2008-10-16 20:48:14 | Weblog
病んで光よりも早いものを知った

病んで金剛石よりも固いものを知った

病んで花よりも美しいものを知った

病んで海よりも遠い過去を知った

病んでまたその海よりも遠い未来を知った

病は金剛石よりも十倍も固い金剛石なのだ

病は花よりも百倍も華麗な花なのだ

病は光よりも千倍も早い光なのだ

病はおそらく一千億光年以上の

ひとつの宇宙なのだ




きょう。若院が法話で、ひとつの詩を読んでくれた。

『観無量寿経を読む―霊山勝海・著』より
結核を患った方の、詩だそうだ。


病や苦しみは消えないが、

わたしのそばを決して離れないものに
出あっておられると、若院は言う。


わたしは思う。この詩の作者は、

苦であるはずの病から
人生の素晴らしさを、知らされている。

そしてこの詩は、教えてくれる。

無駄なものは、何ひとつ存在しないことを。
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5 コメント

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無駄なものは、何ひとつない (ひさ)
2008-10-16 21:13:31
こんばんは。

とても素晴らしい詩ですね。

その詩を選んで朗読し、
その詩から大切なことを伝えようとする若院さん。
その詩を聴いて、
その詩が知らせようとするものを考えるまゆらさん。
そのおふたりもとても素晴らしい!

「無駄なものは、何ひとつ存在しない」
まさにそう思います。
病気をはじめ、辛いこと、苦しいことは
人を苦しめます。
でも、まゆらさんが書かれたように、
「苦であるはずの病から
人生の素晴らしさを、知らされている。」
と気づいた途端、人は楽になるのだと思います。
そう思えてはじめて、「無駄ではない」と言えるのでは…

今日のブログで紹介された詩で、
自分も教えられた気がしました。
ありがとうございました!

返信する
おはようございます! (まゆら)
2008-10-17 07:40:49
>ひささん
ひささん、おはようございます!

今朝も肌寒くて、だんだん季節が、移り変わっていきますネ。昔は暑いのはダメでも、寒いのは全然平気でした。でも、寒いのも体にこたえるようになってきた気がします、、。

紹介させていただいた詩ですが、本当になんとも言えない素晴らしさですね。

この詩の作者の研ぎ澄まされた感覚に、、、わたし自身、なれるものではないだけに、深く心に刺さりました。

この方は結核だからと、人事のように思ってしまいそうですが。わたし達、みんなのことです。

生まれた限り、病い・辛さ・苦しみを、避けて行かれる人は、誰ひとりいないので、、。
本当に、教えられる詩ですね、、。

ひささんのコメントからも、いつも大切なことを教えて頂いています!本当にありがとうございます!!
返信する
生きているということ。 (りえ)
2008-10-17 10:06:41
 生きていることは、誰かに借りを作ること、
 生きてゆくということは、その借りを返していくこと。
 誰かに借りたら、誰かにそうしてもらったように、
 誰かにそうしてあげよう。
 生きていくということは、誰かと手をつなぐということ、
 つないだ手のぬくもりを忘れないでいること。
 めぐり会い、愛しあい、やがて別れの時、
 その時を悔やまないように、今日を生きよう。

 人は、一人では生きていけない。
 誰も、一人では歩いてゆけない。


 永六輔さんの詩です。まだ22歳で、友達を亡くした時、生きていくことや死ぬことをいろいろ考えていた時に、見つけた言葉です。
 病気にならないですむなら、ならないほうがいいに決まってる。でも、家族や身近に病気の人がいれば、健康であることに感謝したり、命に終わりがあることを感じたりする。病気になって、改めて考えることもあると思う。親しい人との別れは、つらく、悲しいけれど、そこから何かを得られたら、その人との別れは、無駄じゃないとも思えるし。本当に、『人生、無駄なことは何ひとつない』って思う。
 人や、自然や、いろんなものに触れた時、何かを感じられる、考えられる人でありたい。 
 いろんなことを考え、感受性豊かなまゆらちゃんの隣りにいつもいる若院さん、私、スゴイ!って思うよ 私には、難しすぎて、理解できないときがあるわ ブログ読んで、勉強させてもらってます 長くなっちゃって、ごめんね
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Unknown (min)
2008-10-17 10:13:10
まゆらさん、おはようございます!
う~~ん、素晴らしい詩ですね。
「病」という文字が本来の意味から遠く離れて、まるで「楽園に遊んでいる」ような錯覚さえ覚えます。
でも、本来苦しい辛い病の中にいながら、このような豊かな夢のある言葉をつむぎだせる、作者の方の広い心と前向きな想像力に心を打たれます。

幸せな環境にいながら、不幸だと感じる人。
病の床にありながら、幸せと隣り合っている人。
いろいろ考えさせられます。
そして、幸せとは、心の充足感とは、自分の中(心あるいは頭)に眠っている何かに気づいたとき、誰にでもやってくる状態であり・・・特別なものではないのかもしれないなぁ・・・などと考えています☆☆☆

まゆらさんのブログ、ひささんのコメントともに、「なるほど!」と、とても共感しています。朝から、私自身、幸せのエネルギーに満ちてきました!
ありがとうございます♪
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遅くなりました! (まゆら)
2008-10-19 23:32:40
りえちゃん、minさん、素晴らしいコメントを
ありがとうございます!!お返事が遅くなってしまって、ごめんなさい・・・☆

>りえちゃん
永六輔さんの詩、心にしみるねぇ、、。不思議と、詩の言葉や、ふとした時の誰かのひと言に、助けられたりするところがあるね。

りえちゃんが、気に入った文章をコピーして、手紙に同封してくれていたのを覚えています。あれも、わたしの心の支えでした。

いろんな「苦」とは無縁でありたいと思うのが人間心理なんだけど、友人の死・家族の病気など、身近な人からのご縁を通して、いろんなことを考えさせられるね、、。

わたしも、いつも、いろんな人との出会い・出来事から、考えさせられてばかりで。

向き合うことは大変なんだけど、向き合うことで初めて見える光もあって。
これからも、向き合って考えさせられて・・・を、
エンドレスに繰り返していきたいなと、思います☆


>minさん
楽園に遊んでいるかのような、すごい表現ですね!何か強く共感させられます。

前にも書いたかもしれないんですけど、、

病で亡くなっていかれた、ある方が「怒りや悲しみの感情でさえ愛しい」という言葉を遺されたそうです。

だから、この詩の作者もきっと、病をご縁に、その瞬間の「生」と、生死をも包む「何か」に出あわれた『よろこび』を表現しておられるのかもしれませんね、、。

わたしも同じく思います。幸せか不幸せかは、やっぱり、その本人が決めているものだと思いますね!

特別な何かが、どこかからやって来るんじゃなくて、いまある奇跡に、いかに気づくことができるか、、。

わたしも人事ではなく、自身、肝に銘じて日々を過ごしたいものです。笑。
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