きのうから右目が、しかしかして
ちょっと違和感があったのですが
朝起きて、コンタクトを入れてみたところ
・・・ ・・・ん??右目まぶたの上が腫れていた
ひさしぶり!
と、こころの声。
ちいさい頃から、よく目にできていた。
全国的に呼び名は、いろいろあって
「ものもらい」「めばちこ」「めんぼ」とか。
ん~、目に悪いからと、コンタクトを外して
きょう一日は、メガネで過ごすことに。
さて、化粧をしようとしたとき
メガネをしたまま、化粧はできないと
メガネを取ったところ・・・
・・・ ・・・顔が見えない
なんと視力が悪すぎて、こたつの上に置いた
たて鏡に映る、自分の顔が見えないのだった・・・☆
(確か視力は、0,02とか何とか)
おでこが鏡に、くっつくほど
近づいてみるものの
今度は、鏡が近すぎて
顔にぬるべきものが、ぬれなかったりして
なんとも不便なこった、、、と
こっけいな非日常を、味わったことです。
たとえば、1本の指をケガしても
いつも普通にできていることが
できなくなったりするもので。
そうすると、わたしの思う「ふつう」とは
一体、なにものであるのか・・・
頭をぐるぐるし始めるのだった
ちょっと違和感があったのですが
朝起きて、コンタクトを入れてみたところ
・・・ ・・・ん??右目まぶたの上が腫れていた
ひさしぶり!
と、こころの声。
ちいさい頃から、よく目にできていた。
全国的に呼び名は、いろいろあって
「ものもらい」「めばちこ」「めんぼ」とか。
ん~、目に悪いからと、コンタクトを外して
きょう一日は、メガネで過ごすことに。
さて、化粧をしようとしたとき
メガネをしたまま、化粧はできないと
メガネを取ったところ・・・
・・・ ・・・顔が見えない
なんと視力が悪すぎて、こたつの上に置いた
たて鏡に映る、自分の顔が見えないのだった・・・☆
(確か視力は、0,02とか何とか)
おでこが鏡に、くっつくほど
近づいてみるものの
今度は、鏡が近すぎて
顔にぬるべきものが、ぬれなかったりして
なんとも不便なこった、、、と
こっけいな非日常を、味わったことです。
たとえば、1本の指をケガしても
いつも普通にできていることが
できなくなったりするもので。
そうすると、わたしの思う「ふつう」とは
一体、なにものであるのか・・・
頭をぐるぐるし始めるのだった
wakosaitamaさん、こんばんは!
お返事遅くなりました
おかげ様で、ものもらいは
翌日に治りました・・・☆
ご心配いただいて
ありがとうございます♪
人間の体って複雑ですね~
しみじみ、そう感じます。
わたし達は、人間でありながら
人間について
まったく、わからずにいる・・・
そんな不思議を思いマス
ロボットもスゴイですけど
人間の不思議には、
ほんとうに魅了されますね
急に寒くなりましたので、
お体くれぐれもご自愛下さいませ
ご存知かもしれませんが ものもらいは ホウ酸をぬるま湯に溶かし それを脱脂綿に(はしで持って)浸してまぶたをぬぐうという方法で直した記憶があります
ふつうに人間があたりまえにやっていることってすごいことですね
ロボットの研究をしている人に教わったことですが 関節一つ又は指1本増えるとその分だけ制御する仕組みが複雑になっていくそうです
「冗長自由度」とかいうそうですが 指3本でボールを持つよりも指5本の方がずっと安定度が高いそうです
2足歩行ができるロボットのアシモくんも開発されましたが まだまだ人間がぶつうにやっていることでもロボットにやらせるのは難しいんですね
港湾人さん、こんばんは!
わたしも視力が悪いんですよ~
いつの間にか、不思議なものですね☆
わたしは朝起きてから、ずっとコンタクトで
寝る前の、ゴロゴロタイムは
メガネで過ごしています♪
そうですねぇ~慣れることから
普通という感覚が、生まれるのでしょうね!
よい意味で、慣れたいのと同時に
何気ないことのスゴさを
忘れずにいたいなと思います☆☆
コメントをいただいて
また、いろいろ考えさせて頂きました!
ありがとうございます♪♪
今は、眼鏡・コンタクトのない生活は考えられません。眼鏡・コンタクトあってこそ、『普通』の生活だと思います。しかし、裸眼での生活を、数年間体験したら、『普通』に対する思いが変わるかもしれません。ぼんやり目の前がかすんだ状態を、『普通』と考えるようになる気がします。
人間は、生活していく中で、慣れるということを学習します。そこから、『普通』を生み出していくのではないのかなあ?、なんて考えてみました。