ちょっと前に、大阪に行った時に
オシャレな本屋さんがあって、
そこで見つけた『はじめてのインド哲学』を購入。
読み始めると、やたら難しくて
気が向くときに、またちょびちょび読むことに。
その冒頭に
『自己とは何か。自己とはどこまでの範囲か。』
『自己とは頭や胴からなるこの身体に限定された
領域を越えた何ものかであるかもしれないのである。』
と書いてあって、わくわくするのだけれど。
いろいろ考え始めると
脳みそが、ひっくり返りそうになって
今のところ、投げてある。
ふと。きのう校長室で聞いたお話を、また思い出す
校長先生が「勉強で得た知識が身につかない、
すぐ忘れてしまうというのは、
実体験や感情と結びついていないからでもある・・・」と。
それから話は移り変わる。
Kさん:「うちのおじいちゃんは、この木は3代先で
使いものになるだろうと言ったんです。
じゃあ、おじいちゃんはもうこの世にいないねと言ったら、
何を言っとるか、お前もこの世にはおらんぞと言われました」
Kさん:「亡くなった後を語れる、自分が亡くなる事を
自分で言えるのは、すごいなと思いました・・・」
校長先生:「自分を越えたお話ですね」
Kさん:「わたし達は、自分の事しか考えず
ほんの短い間のことしか見えていないですね」
ふとこの会話が、インド哲学の冒頭の箇所を
思い出させた今日
そういえば。ソナムさんも、自分が亡くなった後に
インド、ネパール、ブッダガヤで広まってゆく
お念仏のことを、語っておられたなぁ、、、。
やっぱり「わたし」という、この物体・入れ物に
いのちは、おさまりきらないんだと思うんなぁ~
おおきな、おおきな命の
いち部分。
このちいさな殻の中だけじゃ、なんにもわからない。
おおきな命。
見えなくても、感じられるかもしれない。
オシャレな本屋さんがあって、
そこで見つけた『はじめてのインド哲学』を購入。
読み始めると、やたら難しくて
気が向くときに、またちょびちょび読むことに。
その冒頭に
『自己とは何か。自己とはどこまでの範囲か。』
『自己とは頭や胴からなるこの身体に限定された
領域を越えた何ものかであるかもしれないのである。』
と書いてあって、わくわくするのだけれど。
いろいろ考え始めると
脳みそが、ひっくり返りそうになって
今のところ、投げてある。
ふと。きのう校長室で聞いたお話を、また思い出す
校長先生が「勉強で得た知識が身につかない、
すぐ忘れてしまうというのは、
実体験や感情と結びついていないからでもある・・・」と。
それから話は移り変わる。
Kさん:「うちのおじいちゃんは、この木は3代先で
使いものになるだろうと言ったんです。
じゃあ、おじいちゃんはもうこの世にいないねと言ったら、
何を言っとるか、お前もこの世にはおらんぞと言われました」
Kさん:「亡くなった後を語れる、自分が亡くなる事を
自分で言えるのは、すごいなと思いました・・・」
校長先生:「自分を越えたお話ですね」
Kさん:「わたし達は、自分の事しか考えず
ほんの短い間のことしか見えていないですね」
ふとこの会話が、インド哲学の冒頭の箇所を
思い出させた今日
そういえば。ソナムさんも、自分が亡くなった後に
インド、ネパール、ブッダガヤで広まってゆく
お念仏のことを、語っておられたなぁ、、、。
やっぱり「わたし」という、この物体・入れ物に
いのちは、おさまりきらないんだと思うんなぁ~
おおきな、おおきな命の
いち部分。
このちいさな殻の中だけじゃ、なんにもわからない。
おおきな命。
見えなくても、感じられるかもしれない。
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