ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

転じるということ

2009-02-07 12:28:23 | Weblog
さっき、茂木さんのクオリア日記を
http://www.kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/

とても興味深く読ませていただいた。

うちの今年の年賀状は
ピカソの闘牛の絵に、イタズラした様なものだった

茂木さんは日記に、著書『脳のなかの文学』より
闘牛の話を載せておられた。


わたし自身。2年前の春、マドリッドの闘牛場の座席で
30分待った後→雨天中止となり、ひどく落ち込んだ事を思い出した

茂木さんの思い出と、わたし自身の思い出が
ぐるぐると頭の中を巡りながら、いろんなことを思った。


意識と縁と。


茂木さんの日記の中に、目を引く言葉があった。

『生への転換』


転じるということ。これが心を打つ。

まさに、お念仏の要である。



罪悪生死の凡夫である私が

阿弥陀様のはたらきによって、転じられて

あるがままに救われていくということ。


死んでゆくのではなくて、

浄土に「生まれていく命」へと、転じられること。



『転じられる』ということ。

自分にとって悪いことも、この罪悪そのものである自分も


罪悪の氷が大きいほどに、光に照らされて溶けると
よりたくさんの、浄土の水となるのだということ。


悪を切り捨て、悪を消したら、よい日々が送れる
そんな教えに、惑わされることがなくなる。


悪を切り捨てるのならば、真っ先に切り捨てられて然るべきは
「このわたし」だ。


酸いも甘いも含めて、すべてが尊いと

ここにいる罪悪のわたしをこそ
願っていて下さる「いのち」がある。


その「いのち」「阿弥陀様」のはたらき、まさに『転』である
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