ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

仏教のはなし

2013-12-11 01:59:56 | Weblog
先日、成道会を(お釈迦様が、悟りをひらかれた)
ご縁とした、若婦人&こどもの研修会があった。

『仏教と笑顔』の講題で 
K先生のご法話を、お聴聞。

その時のメモより。

『お経には

人間がどういうふうに救われていくか
どう生きてゆくか、どう命を終えてゆくか

が書かれてある。

「和顔愛語(わげんあいご)」も、お経の中にある。

やわらかな笑顔と、やさしい言葉である
お心持を、仏様は成就された。

仏様は、あらゆる人々を
分け隔てなく救いたいと

すべての人々が、幸せであって欲しいと
願っておられる。

仏様のお像は、見る人によって
ほほ笑んで見えたり、悲しんで見えたりする。

仏様や、親鸞聖人は

人が亡くなってゆくことを
「往生してゆく」と言われた。

死ではなく、仏の国に生まれさせると。

仏様の願いが入って来て、
そういう世界に生まれたいと思うこと

=宗教である。

仏様の願いが満ちて来ると
死ではなく「往生させて頂く」と

言えるようになる。

仏様というのは、他人の幸せを
自分の幸せとできる方。

わたし達は、手を合わせると同時に
自分のあさましさに気づかされる。

仏様から頂いたご縁、ご恩を
周りの方に倍返ししてゆくのが、仏教である。

赤ちゃんは、お母さんのお腹の中で
一日に、1400万年分の進化を遂げる。

すべての事は、当たり前ではなく
よろこびを感じられる人でありたい。・・・etc.』


ストンと、自分の中に落ちてくるご法話で
とてもありがたく思いました。


人間の考える「幸せ」って
自分のことばっかりだもんなぁ、、

欲望に振り回されて、
死んでなお、いい所に行きたい、みたいな。

仏様にならせて頂くっていうのは
そういう所を、超越してゆくということで

ひたすらに、わが欲望を満たそうと
あくせくしている「わたし」を

嘆いておられるんだろうなぁ。。

自分とは180℃真逆なのが、仏様で

でも、そんな仏様に
いつも抱かれているのが「わたし」なんだなぁ。。

ほんとに、何かを信じる信じないじゃなくて
疑いようのないことだと、感じます。

どうやったって、永遠に救われようのない
「この私」も、仏様の腕の中。

自分で何とかせい、じゃないのが
親鸞聖人の、唯一の教えだと思います。

それこそが、あらゆる命が救われてゆく道。

お聴聞させていただく度に、
すごい教えに出遇っているんだなぁと思います。


人間ひとりの短い人生じゃ
まったく歯が立たない「人生の問い」は


2500年前~の仏教によって、解決されます。

よく、たとえられるけど
わたしは孫悟空、、
仏様の手の中の「小猿」だな。


泣いて笑って怒って
安心して生かされたいと思います。


写真:芋餅。研修会当日、いただきました。
こどもは、マーブルチョコを埋め込みました。笑。

お餅好きなこどもは、嬉々として
ものすごい勢いで完食しました!


明日の朝は、小学校での本読みがある。。
ちゃんと起きられるかな、、起きねばならぬ、、

深夜の更新でした。おやすみなさいませ
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2 コメント

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おはようございます。 (釈康成)
2013-12-13 08:34:03
いやいや、いいですね、仏様から頂いたご縁、ご恩を周りの方に「倍返し」してゆくのが、仏教である。

「倍返し」していく。

じぇじぇじぇ!!!
返信する
こんばんは。 (まゆら)
2013-12-15 17:45:51
>釈康成さん

倍返しも、じぇじぇも
ぜんぜん見てなかったけど

世間では、流行ってたんだね~

いつもコメントありがとう!
年末いかがお過ごしですか

寒いのでお体ご自愛くださいね

返信する

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