眠い&寒いと思いながら、、
先月お寺で、お聴聞させて頂いた
ご法話のメモ書きを
記しておきたいと思います
ご講師は、大阪のY先生。
『 阿弥陀様が、今ここに届いて下さるのを聞く。
声の仏様=仏様そのもの。
今、わたし達の命の上に、南無阿弥陀仏と
現れ出て下さる、仏様。
× 頭の中に浄土を作る。浄土をわかれ
○ 私が(仏様が)出向いて行って、
あなたを救うから聞いて下さい。
聖道門・・・修行で智慧を究めて、生死を離れる。
(賢くなって悟りを開く。生ーまぼろし、死ーまぼろし)
浄土門・・・愚痴にたちかえりて、極楽。
問い)死後の世界は本当にあるのか?
色即是空。色ー物質、認識対象。
空ー私が考えている様な実体はない。いい人、悪い人、好き嫌い
命に執着するから苦しむ。
☆ 愚か者のまま、阿弥陀様に抱かれて浄土へ往く
石川きんや先生(奈良)
①元々、宗教的感性の優れた人(詩人・歌を作る人)
愛と慈悲が違う事がわかる。
② 人生のある時に、大きなつまずき、つらい思いをした人
自分の弱さを徹底的に感じた事のある人
⇒お念仏をよろこべる。
一人として、明日の命は約束されていない。=生死無常
響きのありがたさ
如来様がいてくれて、よかった。
☆ 私の心を支える仏様がいる。
☆ 参ってゆけるお浄土がある。
私の弱さのところに
届いて下さる、仏様があるというのを聞く。
どんな事でも、自分の努力で乗り越えてゆける人
→浄土は必要ない。
年を経て、弱い私の心に
寄り添うて下さる仏様がある。
※聞くは石に刻むが如し
自分が一番つらい時、人の悲しみがわかる。
世の中、悲しみを背負わずに
生きている人はいない。
今日の苦労が明日の幸せになると思っていた
努力が幸せに結びつくとは限らない。
足場がないことがわかる。
何でも知っていると思っていたけど、何も知らなかった。
→如来様が寄り添って下さる。
→お浄土に参らせていただける。
⇒響きの、ありがたさ。「お浄土へ参る」
躾。理屈じゃなく、形。
× 浄土を理解する。
○ 今ここに、仏様が届いて下さるのを聞かせて頂く。
科学で生きる?
情・・・嬉しい、悲しい で生きている。
仏様ー知っているよ。
命が終わった時に、参っていくお浄土があるよ。
人には言えない悲しみの中に、
仏様が、飛び込んで来て下さる。
浄土(清浄・成仏)仏様のお話・声を聞く=まかせる。
今ここに届いて下さる仏様がいて、
まかせよと言って下さる。
今日が終われば明日、この土が終われば浄土。
如来様が、あなたを浄土へ、連れ帰る。
☆ 幸せー私のことを思って下さる人がいる。
一番の悲しみ=孤独。生きる目的と意味を失う。
私の事を大事にして下さる人が、
そばにおって下さる=人間の幸せ。
あなたを捨てない、あなたの命が一番大切だよと
そばにおって下さる。
命がある時も、ない時も、仏様がご一緒ですよ。
ご自身の生き方。
弘長2年11月28日(親鸞聖人のご命日)
1263年1月16日。
よろこび既に近づけり
声の続く限り、お礼を申し上げておりました。
豊島学友先生
「名残惜しむ人生」⇒いただいた命を、よろこんでいる。
○ せんがいさん
「ほんまに、ほんまに死にとうない」
←→ 心頭滅却すれば火もまた涼し?
名残惜しく思へど
⇒これまで楽しかった、明日からの事が決まっている。
① この人生、素晴らしかった。
縁の中で、私はこれに出遇えてよかった
② 参ってゆけるお浄土がある。
お礼が言える=私が参ってゆけるところを、聞いているから。
東井義雄先生
老いて、失ってゆくもの
1、若さ・健康
2、居場所・働き場所を奪われる
3、友人・知人をなくす(死別)
得るものも多い。
目はかすんでいくけれど、花の輝きが見えるようになる
耳は悪くなるけれど、もの言わぬアリの声が聞こえるようになる
わが身に届いている如来様の思いが
ありがたいと思えるようになる。
ひろかねしどう先生(山口)
よろこび既に近づけり
お慈悲をいただいて、お礼を言わずにおれない 』
走り書きした、わたしのメモ。
間違っている所があったら、ごめんなさい。
ふらりブログを訪れて
ちょっと仏教おもしろいね、とか
しんどかった気持ちが、少し楽になったなぁ、とか
思っていただけたら嬉しいです。
・・・って、メモ書きじゃ、わかりにくいですが
そんな素敵な出会いも、あったりするものです
仏教というのは、亡くなった人の為じゃなくて
今、ここに生かされている
この「わたし」の為にあるんだなと。
どんなに、つらい時も、寂しい時も
決して、ひとりじゃなくて
わたしに、寄り添う光があって。
この命が、尽きたときには
行く所があるということ。
どうあっても、わたしを
まるごと引き受けると、仏様が言って下さること。
ただ、ただ、あたたかいなと思います。
お念仏をよろこび、先にお浄土に参られた
たくさんの仏様の「温もり」
阿弥陀様の「温もり」に
包まれて、わたしは今
生きているんだなと思います。