ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

中越地震で山古志が崩壊

2012年05月22日 | Weblog
 2004年10月23日午後5時56分に
 新潟県川口町を震源とした震度7の地震が発生した。
阪神大震災で復興への道を歩んでいた神戸が10年を向える
前年の年である。

 関西から新潟を見るとあまり縁のないところで土地柄
そして人の気性など良く分からない。

我々が新潟への持ち合わせの知識としては
日本屈指の米どころ、そして田中角栄の出身地の長岡
がある。

 そして、北朝鮮への唯一の入り口でもある新潟港
所詮そのようなところか。

 そんな中で、当時被災を受けたのは長岡市を中心に隣接する
小千谷市、川口町といったところなのだが、
その中でもっとも大きな被害を受けたのが山古志村であった。

 村に通ずる道は崩壊、山は崩れ谷をせきとめ災害ダムができ
一部集落が水没。2000世帯の村民全体が全村避難する、
災害史上稀にみる大きな被害を受けたのである。

被災当時の様子を見れば、復興が可能な状況ではなかったのだが
必ず皆でふるさと山古志に帰るとの合言葉に
二年の歳月を経て、全員が復興された村に戻った。

 この山古志には日本のみならず世界がおおきな関心を
もって注目していたのである。

写真   山古志 手堀のトンネル