2004年10月23日午後5時56分に
新潟県川口町を震源とした震度7の地震が発生した。
阪神大震災で復興への道を歩んでいた神戸が10年を向える
前年の年である。
関西から新潟を見るとあまり縁のないところで土地柄
そして人の気性など良く分からない。
我々が新潟への持ち合わせの知識としては
日本屈指の米どころ、そして田中角栄の出身地の長岡
がある。
そして、北朝鮮への唯一の入り口でもある新潟港
所詮そのようなところか。
そんな中で、当時被災を受けたのは長岡市を中心に隣接する
小千谷市、川口町といったところなのだが、
その中でもっとも大きな被害を受けたのが山古志村であった。
村に通ずる道は崩壊、山は崩れ谷をせきとめ災害ダムができ
一部集落が水没。2000世帯の村民全体が全村避難する、
災害史上稀にみる大きな被害を受けたのである。
被災当時の様子を見れば、復興が可能な状況ではなかったのだが
必ず皆でふるさと山古志に帰るとの合言葉に
二年の歳月を経て、全員が復興された村に戻った。
この山古志には日本のみならず世界がおおきな関心を
もって注目していたのである。
写真 山古志 手堀のトンネル
新潟県川口町を震源とした震度7の地震が発生した。
阪神大震災で復興への道を歩んでいた神戸が10年を向える
前年の年である。
関西から新潟を見るとあまり縁のないところで土地柄
そして人の気性など良く分からない。
我々が新潟への持ち合わせの知識としては
日本屈指の米どころ、そして田中角栄の出身地の長岡
がある。
そして、北朝鮮への唯一の入り口でもある新潟港
所詮そのようなところか。
そんな中で、当時被災を受けたのは長岡市を中心に隣接する
小千谷市、川口町といったところなのだが、
その中でもっとも大きな被害を受けたのが山古志村であった。
村に通ずる道は崩壊、山は崩れ谷をせきとめ災害ダムができ
一部集落が水没。2000世帯の村民全体が全村避難する、
災害史上稀にみる大きな被害を受けたのである。
被災当時の様子を見れば、復興が可能な状況ではなかったのだが
必ず皆でふるさと山古志に帰るとの合言葉に
二年の歳月を経て、全員が復興された村に戻った。
この山古志には日本のみならず世界がおおきな関心を
もって注目していたのである。
写真 山古志 手堀のトンネル