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ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

新潟・長野で震度6強の地震が発生

2007年07月16日 | Weblog
 今日の午前10時13分柏崎市を中心とした震度6強の地震が発生し、死者5人けが人150人、家屋の倒壊298棟が現在確認されている。

午前中、山古志に被害の確認をしたが、電話がつながらづ、午後3時に余震のあとつながり、状況を聞いたが、今のところ被害はないという。
大雨で地盤が緩んでいるため、今後、続くとされる余震に対しての警戒が必要である。

又、被害の大きい柏崎市は3000人の市民が避難しており、余震への警戒を強めている。
早急な救援活動を期待しており、一日も現地の早い復旧を望みます。

参院選の行方

2007年07月16日 | Weblog
 参院選の予想とし、自民の大敗がすでに囁かれている。
宇野総理当時を下回るのではないかとも言われており、小沢党首が過半数を獲得しなければ、自らの政治生命をも断つとの宣言は、余裕すら感じられる。
実際、社保庁のでたらめな内容は国民におおきな不安と怒り、国に対しての不審を掻き立てた。
しかし、この間の政府の対応が過去の大臣に責任を転嫁する発言などから、現政権の未熟への不安に今変わりつつある。

すでに、このような仕業は、現政権内部の権力争いが原因ではないかとの事。
その昔、応仁の乱当時の再現を見るような思いという人もいて、天変地異、あまねく争いは数多に起こり、飢饉、飢餓が蔓延した、鎌倉時代、末法思想が説かれた当時を振り返れば、当てはまることが多い。

さてこの期を逃さずとの思いである民主小沢党首。
強かな戦略を持つ老練な政治家であるが、結果国民の生活に目を向けているようにも見えない。

この期にあって、重要な鍵を持つのが、公明党の立場である。
公明党はいつしか小が大うぃ食う。とも言われる存在になって、このたびの選挙結果は、公明党の闘い如何にかかているといっても過言ではない。

これからは人の暮らしの安全保障に関しての政策を持つ党が支持される事だ。

台風一過夏本番そして参院選

2007年07月15日 | Weblog
 日本列島を縦断する台風が過ぎ、今日の神戸は久しぶりの晴れ間を除かせた。
梅雨明けの宣言はないにしても、せみが泣き出したところを見るといよいよ、夏本番に入ったとみえる。
今月29日は参院選、野党の民主党が過半数を獲得するのか、それとも与党の自民公明が議席を死守するのか、年金、税制、格差問題、そして改革と日本の行方を示唆する転機になる選挙といってもよい。

民主有利の世論の中に立たされる与党自民党。
閣僚のスキャンダルが多すぎるのと閣僚の人選もまたこれ甘く、人材の登用に多くの疑問。
片や民主、すでに内部がばらばら、まとまりのない戦国野武士の集団のようで資質に欠ける議員が多い。

今の日本の政治家の格と質が年々低下している、日本の国も議員の世襲制を今後が考える時期に来たのではないか。

政治の世界も早く梅雨明けの空を見るような思いにかられる。


記録映画1000年の山古志の応援を長田で

2007年07月14日 | Weblog
 現在山古志での撮影が進んでいる「1000年の山古志」。
制作費が集まらず苦戦しているとのことで、交流の深い長田の住民に関心を寄せてもらうことで、今月27日新長田再開発ビルにある、映画資料館で橋本監督を招いての講演会を企画している。
当日、震災前に撮った手堀りのトンネル中山隧道の「掘るまいか」のダイジェスト版の上映と資金協力の呼びかけを企画しているが、参院選投票前と重なり、大変そのあたり、準備の難しさを感じるが、この時期であないとあまり時間がない状況で、地元のNPO団体、山古志との関連にかかわった人達との連携を持ちたいと思う次第である。

神戸としては、目標として500口を目指si一万円。

山古志復興住宅

2007年07月07日 | Weblog
 山古志支所から少し行くと新しく造成された場所に、復興住宅のモデル展示場がある。共同住宅、戸建て住宅と高齢化と居住福祉といった観点から、よく練られたプランであり、又山古志の環境と歴史に沿う景観に配慮された内容である。

山古志の復興への関心は全国の注目を受けているのがこの復興住宅プランを見ても理解できるとともに、1000年の歴史を持つという、この山古志を再生させることは、日本の原風景と、暮らしの原型が山古志にあったに違いない。

今年の全員の帰村に向けての動きがこうして着実にすすんでおり、復興第2章の幕開けをも感ずる。

進む山古志の復興

2007年07月05日 | Weblog
 7月4日神戸から兵庫県会議員の渡部 登志尋氏ともに、山古志を訪ねた。
避難指示解除となり始めて山古志全域を支所の直人君に案内してもらう。各所の工事が今尚急ピッチですすんでおり、震災被災当時とは比べようがないぐらい、新しい山古志が出来つつある。
水没した松井さん宅の集落をこの眼で初めて見たが、やはり棲ざましい被害があったのを改めて思い起こす。

養鯉業の田中 重雄さん宅も、壊れた家屋は解体し、地盤の補強を行って、家屋の新築工事が始まっていたが、聞くとこの2年、結果無収入。
借金でこれまでの生活を維持しており、これから先、どのように養鯉業を維持し元の状況に戻すことができるかまったく予測ができないという。

外から見る、形だけの復興は見えるが、神戸と同様に中身の復興の道はさらに険しいものがあるように思える。

まだまだ、復興への実感を感じるにはまだこれから、健康の大切さと、さらに力を合わせるということか、今後も神戸の被災地長田とのさらなる交流を続けていきたい。1000年の山古志の記録映画の資金協力を長田で今月から開始する。

又3周年の今年の10月23日には長田から有志で訪問することが決定しており、神戸から何ができるかを考えたい。

長田 丸五市場の今

2007年07月01日 | Weblog
 新長田駅からさらに南に下り、国道2号線を渡ると、戦前から残る古い市場がある。この震災でも一部被災はあったものの、火災にはあわなかった。
しかし、この界隈の人口の減少で市場そのものの経営が立ち行かなくなったとともに、スーパーマーケット大型店舗がこの長田周辺に次々と出店しており、到底対抗することができず。
ほとんどの店がなくなっている状態であるが、そんな中空き店舗を活用する新たな試みが始まっている。

外国人多住地区とあって、タイ料理、ベトナム料理、台湾料理などのアジアのグルメ通りを作ろうという動きが出始め、若者達のあらたなスポットとしての着目がある。
過疎化と高齢化がこの副都心で始まった現象と同向き合い、街の復興に地域の住民がどう取り組んでいくかが、この街の活性化にかかっている。