北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

ラ・ラ・ランドを見た

2017-02-26 15:07:00 | 映画
日本公開の初日の24日に、「ラ・ラ・ランド」を見た。

詳しく知りたい人は公式HPをご覧ください。
主演男優のライアン・ゴズリングは吹き替えなしで、ジャズピアノを弾いたし、主演女優のエマ・ストーンは魅力的だ。
何と言っても本場のジャズの演奏は、素晴らしい。映画「セッション」も見たが、同じ監督だって。

(2/28追加=アカデミー賞の作品賞にノミネートされていた、「ラ・ラ・ランド」は発表時にハプニングがあった。一度は「ラ・ラ・ランド」と発表されたが、実は「ムーンライト」だった。
予想通り、「エマ・ストーン」が主演女優賞を受賞した。まさに「石」のような、意志の強い演技で感心した。その他、監督賞、撮影賞、作曲賞など6部門を受賞。)

初日とあって、館内は混んでいた。特に女性が多かったと思う。

何気なく、空いている真ん中あたりの右側4席の通路側を確保したら、隣に60歳位のおばさんが来てびっくり。わざわざ俺の隣に来なくてもと思った。

作品は、売れないジャズピアニストと売れない女優の出会いから、それぞれ夢をつかむまでを描いているが、後半が物足りなさを感じた。
ハピーエンドを感じさせながら、実はそうでない所がひねってあり、素直な感じではなかった。
もう一つ物足りないのである。

1/21には「本能寺ホテル」、2/6「スノーデン」も映画館で見た。
やはり、自宅でDVDを見るのとは違う。

ところで私が小学6年生の頃であろうか、学校の授業で「路傍の石」の映画を見た。(昭和35年作)

太田博之主演で、「吾一」は友人と度胸試しをする羽目になった。
汽車が迫って来るのに「吾一」が陸橋のまくら木にぶら下がり、板ゾウリが下の川にポチャリと落ちるシーンだけを覚えていた。当然汽車は目の前で停まって事なきを得た。

どうもその太田博之も「路傍の石」も気になって仕方なかった。
太田博之はネットで検索出来て、回転寿司の元社長だった事は知っていた。
「路傍の石」の本は図書館で借りて来た。

日本の文学、山本有三の分厚い本の中にあった。(昭和12年作)
未完の大作である。執筆中のところ、本の中で「ペンを折る」と題して、突然止めてしまって、以後何を言われても山本有三は完結しなかった。検閲が気に入らなかったらしい。

当時の時代背景から、貧しい家庭が描かれており、「吾一」が成績が優秀でも、当時の「中学」にお金が無くて行けなかったのである。

「いせ屋」の奉公では下働きばかりで、職を転々とするが、いつまでも下働きであった。
後半では、学校の担任だった次野先生と偶然会うが、「中学」に行くにはお金が必要だったが、知り合いのオジサンから「吾一」へと渡されたお金を先生は、使い込んでしまった、と告白する。

吾一は全く知らされていなかった。

何とも想像がつかない展開になった所で、絶筆だった。
誠に、残念だった。だから筋(結論)が、分からなかった。
活字が小さく、大きくなった新聞の字と比べると甚だ、読むのに難儀だった。

併せて行替えも少なく、活字がびっちりと言う感じである。

残念だが「路傍の石」はレンタルビデオ店には無いようだ。

やはり、小学生の頃に見た映画で、気になるものがある。
坊やが「イターノ」と飼っていた「牛」に、闘牛場で叫ぶシーンが目に焼き付いている。
ネットで調べたら「黒い牡牛」らしいが、レンタル店で置いてなかった。
1956年、メキシコが舞台のアメリカ映画で、内容まで調べられた。(ネットで検索出来て凄い)

今回の直木賞受賞作で、恩田陸の「蜂蜜と遠雷」を、図書館にある「オール読物3月号」で少し読みだしたが、作者は幼いころからピアノを弾いている為か、すごく楽曲やコンクールに詳しい。
かなりの長編である。


小鳥の歌

2017-02-11 21:28:00 | 音楽・日々是尺八
「小鳥の歌」を門下生に稽古した。

1928(昭和3)年、宮城道雄作曲の箏、尺八の二重奏曲である。

可愛らしく、面白い曲で、小鳥がさえづるような奏法がある。(カラカラなど)
門下生が6寸管を購入したので、一番先に稽古するのが「小鳥の歌」である。

私は久しぶりに教えるので、一人で練習していたところ、家内が「外で小鳥が呼応して、ぴちくり鳴いていた」と言う。
私の演奏に鳥を感じたかも知れない。これは嬉しかった。

琴古流の楽譜には、尺八でも二重奏出来るように書いてあったので、稽古時に二重奏で演奏してみたら、とてもきれいだった。

宮城道雄は「花鳥風月」にすばらしい才能を発揮して、数多くの作品を残した。

とりわけ「鳥・虫」の作品は多く、「初鶯」「ひばり」「せきれい」「こおろぎ」「鈴虫」「虫の武蔵野」等で、「春の海」にはカモメが鳴く部分があるし、「春の訪れ」も小鳥が鳴いている。

私が最初に合奏した「春の訪れ」は昭和46年4月29日の「松尾恵子おさらい会」である。私は大学を卒業しており、NHK邦楽育成会に通っていた。
青木鈴慕師から依頼があり、先生と2人で賛助出演だった。

私は相手の門下生と合奏したのだが、初めて「ギャラ」を頂いた。もっとも青木先生が頂いた中から、先生が封筒に「お車代」として書き、頂いたと思う。未だ、勉強中の意味である。

何故、日にちを覚えているかと言うと、その日は天皇誕生日の祝日であり、土砂降りの雨であった。
午後から鈴慕会の一つ先輩の結婚式が「椿山荘」であり、先生も早めに出演して、先生の車で一緒に会場に向かったのである。
先生は仲人であり、その為に、演奏会も結婚式も紋付・袴姿で、誠にあわただしく、忙しい先生であった。

「ことりのうた」と言えば、他に作詞与田準一、作曲芥川也寸志がある。

私は知らなかったが、知り合いの小学生に教わった。

「ことりは とっても うたがすき かあさん よぶとき うたでよぶ ぴぴぴぴぴ ちちちちち ぴちくりぴ」

ところが、いきなり替え歌で教わったのである。
「よぶとき ○ーでよぶ ○○○○○ ーーーーー」
お母さんが聞いたら「いやーねえ」と言うだろう。

庭に来る鳥は、すずめ・しじゅうから・せきれい・むくどり・めじろ等。
高尾山に行けば、うぐいす・ほととぎすが鳴いている。

いつか宮城道雄の「初鶯」を助演した時、数人の箏の本手と替手が合わず、鶯の飛び交う様がドタバタとなって私は合わせづらかった。

舞台の袖でそれを聞いていた箏屋さんは「ウグイスが何羽も、そのうちカラスまでが出てきたなあ」と笑って言っていた。

小鳥は可愛い。
私が中学生の頃、同居の祖父(母の父)が「カナリア」を飼っていた。割と大きめの木製の鳥籠だった。
すごく、いい鳴き声だった。おじいちゃがエサと茹で卵半分をよく上げていた。

そんな思いもあり、長女が小学校に入った頃、娘の為に「カナリア」を飼う事にした。

当時、T百貨店に勤務で、屋上に「小鳥・金魚・犬のトリミング」店があり、店長に相談したら、鳴き声がすばらしい「ローラーカナリア」をつがいで仕入れてくれた。

それはすばらしい雄の鳴き声で「ルルルルルージョビジョビジョビ」とけたたましく鳴くのである。それは家じゅうに鳴り響いた。びっくりする程だった。

長女はそれを作文に書いたが、私が安直に名づけた「カナちゃん、リアちゃん」がタイトルだった。
時には面白がって部屋の中で、手に載せようとカゴから出して飛ばしたが、鴨居に停まって糞をしたり、ふすまにぶつかるのですぐに止めた。

私は、勤務で忙しくカナリアの世話は家内に大変迷惑をかけたと思う。
ある天気の良い日、庭に出して日光浴をさせようと、洗濯物干し棹にかけたところ、いつの間にか猫に襲われた。

あわてて、近くの獣医師のところに駆け込んで事なきを得た。
それでも、つがいは立派に卵を孵化させて二羽産んだのである。
店長に話したところ、びっくりして「良くやったね」と褒められた。

成長は早く、一羽は次女の友人に上げた。もう一羽は弱って死んで、庭に丁寧にお墓を作り葬った。

その後は多分、親鳥は扉を開けた時に粗相して、外に逃げたので、そのままである。
行先を心配したが、もう戻る訳は無い。

小鳥の鳴き声を音楽に取り入れた有名な曲は、ベートーベン作曲の「交響曲№6田園」の第二楽章だ。
高校生の頃、ウィーンフィルでピエール・モントゥー指揮のレコードとスコアを買って、ステレオの前で指揮棒をよく振った。

第二楽章の後半でフルート、オーボエ、クラリネットにより次々と演奏されるが、極めて緻密に計算された作曲で、フルートのトリル(うぐいす)に続いて、オーボエが「ピッピピ」と吹く(うずら)と最後の音に重ねて、クラリネットが「カッコ―」と鳴く。誠にカッコ良い。

実にうまい作曲だ。これが二回繰り返される。ベートーベンの作曲はしつこい位繰り返しが多いが、飽きない。