北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

金田一春彦と宴会

2015-08-28 10:45:00 | 音楽・日々是尺八
青木鈴慕師の推薦を受け1975(昭和50)年、邦楽木犀会という邦楽演奏集団に所属した。
この邦楽集団は琵琶の普門義則を中心に、相談役に金田一春彦や伊福部昭らが名を連ねていた。

金田一春彦(1913~2004)は言語学者・国語学者・国語辞典の編纂者であり、私も「新明解古語辞典」を愛用している。1975年には琵琶学協会の会長であった。
伊福部昭(1914~2006)は日本を代表する作曲家で「ゴジラ」を初めとする映画音楽が有名である。
その他、日本雅楽会会長の押田良久(1908~1999)も相談役であった。

メンバーとして、琵琶には薩摩琵琶の普門義則と錦琵琶宗家2代目水藤五郎(1944~2005)ら。
一絃琴に新倉凉子、生田流箏の砂崎知子、山田流箏の和田祐子・鈴木美恵子。雅楽に使用する阮咸(げんかん)の阿部源三郎や長唄、それに尺八の私であった。

第一回目の演奏会は1975年9月、第一証券ホールで行われた。
私は慣れない山田流の中能島欣一作曲「赤壁の賦」(一尺六寸管)で練習の時、最初のソロ的な部分の音程が下がりうまく吹けないので、本番ではカットされてしまった。恥ずかしい限りである。 

「六段の調べ」は箏・三絃・琵琶・阮咸・一絃琴・尺八という珍しい編成で、最初は一絃琴の独奏で始まり、徐々に楽器を増やして演奏していくというスタイルだった。しかし思ったような効果は疑問だった。金田一先生の挨拶文には、邦楽器の紹介を目的として音色や楽器を見ていただきたいとあった。


第二回目は1976(昭和51)年10月、農協ホールで私は長澤勝俊作曲の「萌春」を砂崎知子と合奏。ちょうどその頃、山本邦山も砂崎先生と「萌春」を演奏予定があり、その練習テープを参考にいただいた。ある部分「邦山先生みたいに、もっとファーとやって」と言われ、下から音をスリ上げる奏法で吹いた。

私はさらに尺八本曲「吟龍虚空」も演奏し、この模様は雑誌「邦楽の友」に「独奏楽器としての尺八の存在感を誇示した」と長尾先生の評があった。

第三回目は1978(昭和53)年3月、ABCホールで生田流の箏は砂崎先生がやめて、代わりに塚本徳(めぐみ)と岩城弘子が入った。両名は1976年私の尺八リサイタルで賛助出演していただいた仲でもある。

私は彼女らと宮城道雄作曲「春の夜」を演奏。青木先生との練習時に「尺八は暗譜でやります」と言ったら、先生の目の色が変わり「いつやるんだい?」と聞かれ、日時をお知らせしたところ当日会場へかけつけていただいた。誠に恐縮した事を覚えている。

後日、打ち上げと称して銀座第一ホテル裏側の料亭で宴会が持たれた。
二階の和室で伊福部先生が中国に関するうんちくを述べて、金田一先生がうなづいておられたのが印象的だった。金田一先生は誠に温厚な方だった。

時が過ぎ、私が30歳頃、押田先生より電話があり、「日本を海外に紹介したいプロモーションビデオを作りたく、是非尺八の演奏を頼む」と言われた。

都心のスタジオで、「京都の竹林の中で尺八を吹く男がいる」という設定で紋付袴姿、曲は琴古流尺八本曲「鹿の遠音」で、右横から撮り始めて正面で終了した。

残念ながらそのビデオの完成を知らず、見たことが無いので海外でどの様な反応があったのか分からない。もし外人さんがあのビデオを見て日本を感じ、さらに尺八に興味を持って演奏までしていただければ幸いである。


原田泰治との出会い

2015-08-13 17:15:00 | 文化・芸術
原田泰治(1940~)は1982(昭和57)年頃、朝日新聞の毎週日曜版に素朴画が出て有名になった。
子供のような心で、上から覗き込むような、ある時は下からの視点で書かれているのが特徴である。



1998(平成10)年1月、日本は長野冬季オリンピックに向けて、様々なイベントを行っていた。

私の出身地の南信州・飯田市から、さらに南に行くと下條村がある。
そう、あの峰竜太の出身地で有名である。
そこで地元信州からエールを送ろうと「盛り上げよう長野オリンピック」「ふれあいの祭典in SHIMOJO」というイベントが下條村であり、峰竜太と画家・原田泰治の対談がメインで行われた。

その前座では、午前中に下條歌舞伎があり、昼食時の「つなぎ」として、20分間位私が尺八演奏を頼まれた。ちょうど下條村には、私の小学校担任の佐川洋平先生がいらっしゃり、先生はあらかじめ女性アナウンサーに私との師弟関係をアピールされていたから、私の紹介時には、先生も名を呼ばれて立ち上がっていた。さぞ、満足だった事だろう。

私はまず挨拶代わりに「仁義」を演奏し、尺八の説明をしながら「春の海」「与作」「天城越え」「ふるさと」「春の曲メドレー」を演奏した。担当者がビデオ録画してくれて、後日DVDにした。

終演後、佐川先生が楽屋に訪ねて来られ、つもる話しをした。非常に喜ばれ、帰りには下條村名産の飲むヨーグルトを数本いただいた。さっぱりとして美味しかった。その時に先生から「同級会をやれ」と言う指示があり、それが元で実現し、たいそうご機嫌だった。
その後まもなく亡くなられたので、本当に良いタイミングだった。

2000(平成12)年2月、東京八重洲の大丸ミュージアムで行われた「原田泰治が描く日本の童謡・唱歌・100選展」(上記の写真)を新聞で知り出かけた。その原田泰治展の企画は朝日新聞社と信州のK社が中心に行っており、何とその担当者が私の高校の同級生K君だった。
彼もツアーで全国から海外まで行っていた。

サイン会もあったので、会場で絵を見てから記念にと一冊絵本を購入した。その本の表紙裏に筆で大きく「夢 泰治」と書いていただいた。



その時に「下條村でのイベントの前座の尺八は私だった」「私のいとこの夫の兄弟が昔、原田先生のところで働いていた」さらに「今、カメラで写している人は高校の同級生です」と言ったら、あわててメガネをはずされて握手となり、下の写真となったのである。
実はその同級生が、前掲の下條村に私を呼んでくれたK君だった。



2001(平成13)年秋、我が父の米寿の祝いは、父母と私の兄弟4人が諏訪湖畔のホテルで行い、その時に「原田泰治美術館」も見学したのだった。



2008(平成20)年5月から原田泰治が昔懐かしい全国各地の風景を描いた「ふるさと心の風景」なる80円切手が発売された。
第1集から第10集まであり、何シリーズかを購入した。
ただ残念なのは、その後に消費税が上がり封筒の場合、常に2円切手を貼らなくてはならない事である。

八王子まつり

2015-08-08 17:07:00 | 芸能
8月8日(土)八王子まつりの様子









上の写真はいづれも居囃子。



市内20ケ所で太鼓が行われたそうだが、佼成太鼓に決めて落ち着いて見る事にした。











東京では昨日まで8日連続猛暑日であったが、本日は時々雲も出ていた。それでも私が見ていた場所は西日で暑かった。扇子を片手に日を遮ったり、ときどき、むしろ太鼓に合わせてリズムをとっていた。
上の写真のおじさん(68歳)が、打ち手にポカリスエットを配っていたが、何故か私にもポカリスエットボトルをくれた。

会長らしくマイクで進行しており「私より年上の人にあげた」と言っていたが、多分私は扇子でリズム良く、時には真似をしたり指揮者みたいなパフォーマンスしたから喜んでくれたのだろう。(実際は一つ下の67歳だ)



桶胴太鼓のおじさんは63歳。「躍動感あふれて上手いね」と言ったら「太鼓は命だから」と笑って答えた。



一番大きな太鼓。近場で聞けば迫力満点。「ドンドコドンドコ」が腹に響き渡る。時にはジャズ的なリズムもあり、十分満足出来た約2時間の佼成太鼓。
疲れを知らないおじさんパワーの炸裂だった。
外人さんもつきっきりで写真を撮っていた。

愛用尺八と修理

2015-08-04 17:22:00 | 音楽・日々是尺八
 







私の愛用尺八は写真のとおり、上から真山銘の1尺6寸管、秋月銘の1尺6寸管、静夫銘(現鈴慕)の1尺8寸管、旭童銘の1尺9寸管、竹治銘の2尺管である。

二番目の1尺6寸管と1尺9寸管は、私が26歳の時、実業之日本社発行の雑誌に「趣味がうみ出す宝の山」のコーナーがあり、そこに掲載されて、たまたまその雑誌をご覧になった女性から、ご主人が使用していた尺八をご主人が亡くなられたので、譲っていただいたのだった。

しかし、割れたり、音程が悪くひどかった。

そこで、大学の後輩で「尺八工房船明ふなぎら」の船明君に修理をしてもらった。
当時彼は、狛江にある「泉州尺八工房」で働いていた。
私の通勤途中にあり、便利な場所だった。

彼は相当数の尺八を修理しており、安心出来た。
私の演奏方法に合わせて、チューニングをしながら正しい音程で吹けるようにしてくれた。
誠に吹き易い。

1尺6寸管は筒音の音程が低かった為、管尻はラッパの様に削って広げてある。当然5孔の手穴も直してくれた。
歌口の黒水牛も虫食いで傷んでおり、入れ替えた。
新品同様となり、まさにビフォーアフターの番組のように感激したのである。

1尺6寸管については、最初に購入したのは大学2年の時だった。稽古が進みついに念願の「春の海」を練習することになった。そこで先生から尺八を買ったのだが、当時はほとんど道夫銘だった。
しばらく使用するうちに音程がやや高いことに気が付いた。「小6寸」とか誰かが言っていた。

仕方がないから中継ぎを全部はめないで、5ミリ位伸ばして吹いた。結局、すべての音が狂いナイフでゴリゴリ手穴を削り、下側は白いパテを塗って調整した。みっともない事この上ない。
我慢して、しばらく使っていた時に上記の尺八が手に入ったのである。
その頃、尺八友人が「1尺6寸管が2本あるなら、1本いらないだろう」と持っていっちゃった。

その他にも、真山銘の1尺8寸管を新宿三越の展示会で練習用にと購入した時の話だが、自営業していた新宿の店に置いていて、時々練習をしていた。
しかし、寒い時期エアコンでかなり乾燥して、しばらく尺八を吹いていなかったと思い出してみたところ、ほんの少しヒビが入っていた。こらはヤバいなと思いながら吹いてみた。
そこで、すぐ止めて脇へ置いてしばらく経った時、突然パンと乾いた音がしたと思ったら、上の半分は完全に中まで二つに割れていた。

早速、船明君に直してもらったのだが、やはり尺八は乾燥に弱いのである。