夏が来れば思い出す。はるかな尾瀬遠い空。なんてな曲があるが、夏休みについてについて書こうと思う。
6月27日、関東地方は梅雨明けだった。平年は7月中旬だからかなり早い。梅雨明けと聞くと夏休みを思い出す。
20代の会社員だった頃、上司はいつも7月下旬に夏休みを取ったので、私は8月の上旬だった。
これは私には都合が良かった。飯田の実家は父母が元気で存命の頃、別荘代わりでそこを拠点として旅行が出来た。
毎年のように飯田に帰省したが、私の誕生日があるし、ちょうど「飯田りんごん踊り」や「いいだ人形フェスタ」があるからだ。
「いいだ人形フェスタ」は以前「人形劇カーニバル飯田」と言っていた。
飯田には「今田人形座」「黒田人形座」など、歴史のある人形劇が盛んだ。
子供が小さい頃に連れて行って、何か所も人形劇を見たが結構面白かった。
いつかは飯田高校のブラバンの定期演奏会を聞けた時もあった。我々の時は25人が精いっぱいだったが、50人くらいの大編成ですごく上手かった。
夏休みの旅行は考えてみると飯田を拠点によく行ったものだ。いくつか思い出してみよう。
飯田の実家から兄の車で阿智村の「青木屋」でヤマメ釣りに行ってもらった。
魚釣りは面白い。子供も連れて皆で釣り、それを焼いて食べた。
天竜下りは時又から唐笠まで下り、富士見は「エバーグリーン」、原村ペンションは「はーぷしこーど」の名前につられて予約した。八ヶ岳山麓ではパターゴルフ。
自信があったのだが、思うようにはいかなかった。
清里の清泉寮ではソフトクリームがおいしかった。早朝のバードウォッチングを申し込み散策にも行った。
行った時期は前後するが、白馬東急山荘に泊まった時は長女が未だおむつであった。栂池(つがいけ)高原からロープウェイに乗り、栂池自然園(1900m)も見学した。
子供達が小学生になって立山室堂の、みくりが池温泉(日本一高所2410mの天然温泉)に泊まり、黒四ダムからロープウェイやトロッコ列車に乗り富山にも行った。
黒四ダムは壮観だったな。
しかし富山からの帰りは未だ北陸新幹線が無く、特急は自由席だったので混雑して座れなかったのが残念だった。
松本城から上高地の思い出。梓川の水の冷たさにはびっくり。上高地は相当混んでいて、途中からタクシーで行ったのだが、タクシーの運転手に「帰りは予約した方が良い」と言われ、これが大正解であった。長蛇の列を横目に、名前を呼び出されてすぐにタクシーに乗れた。帰りを急いだのは松本駅発特急に乗る予約をしていたからだった。滑り込みセーフ。
諏訪湖や諏訪大社見学、泊まった温泉の浜ノ湯の若女将がすごく良かった。
駒ケ根千畳敷カールは何回か行ったが、混雑で相当待ってロープウェイに乗ったものだ。
そのうち一回は宝剣岳(2931m)に登ったのは自慢できる。私が登った最高峰である。子供も全員登ったが、尾根では寒くカメラが作動しなかった。
途中危ない箇所もあり、その後遭難者も出たと新聞で見た。
木曽妻籠宿、馬籠宿には父の車や、兄の車で何回か行ったし、娘の運転でも開田高原で木曽馬を見て、ソフトクリームがおいしかった。
遠山郷では「島畑」に泊まったが、ジビエの鹿肉やサルの肉までテレビでよく見るご主人に提供された。日本のチロルこと「下栗の里」は絶景。そこからの「しらびそ高原」は南アルプスを望む。白樺の木が何とも高原らしくうれしい。
市田の御大(おんたい)の館は明治大学野球部名物島岡監督を記念したスーパー銭湯である。プロになった星野仙一や広沢克実らの写真が貼ってある。
松川町の信州まつかわ温泉「清流苑」は町営である。法事の時に寄ったのであるが、まさか高校同級生S君と温泉で会うとは思わなかった。
NHKでたまたま幻の中津川線を見た。これは飯田から岐阜の中津川まで国鉄を通す予定で工事が始まった。だが、これからは高速道路だという見通しで、工事はストップ。その工事で温泉が噴き出たのが昼神温泉である。昼神温泉のホテル「伊那華」は中日ドラゴンズが落合監督の頃は納会などで使用していた。ちなみに信子夫人は飯田の高校出身である。
これらの旅行はもちろん何年にもわたっての事である。
南アルプスを望む飯田は改めて風光明媚な土地柄だと痛感した。山梨県が南アルプス市を名乗った時は残念だった。飯田市こそ南アルプス市だと思っている。