北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

シンガポール旅行 そのⅤ

2016-07-30 12:50:00 | 旅行
7月18日(月) シンガポール4日目
朝食はホテル隣のファーイーストプラザ(遠東商業中心)ビル地下の店に行った。



Ya Kun Kaya Toast(ヤクンカヤトースト)でトーストセットを注文した。一人330円と安い。

薄切りのパンにバターたっぷりとカヤジャムを挟んである。。カヤジャムとは、卵、ココナッツミルク、パンダリンリーフという香りの葉、と砂糖で作られて甘い。それに半熟卵とコーヒーだった。



Goodwood Park Hotelは1900年にドイツ人の社交クラブとして建てられたコロニアルスタイル と雑誌に出ている。110年以上経っているのだが、部屋など古さを感じなかった。

9:30ついに3日間お世話になったGホテルに別れを告げて、一路タクシーでマリーナ・ベイ・サンズに向かった。




一階受付で手続きをして、荷物を預けて散歩に出かけた。



下から見たマリーナ・ベイ・サンズ。
ヨットをイメージした建物である。

この屋上にプールがあり、後で入った。世界最高、圧巻の地上200m天空プールのキャッチフレーズあり。
2010年にオープンしたばかりのアメリカ系の新しいホテルだ。



Mホテルと陸橋で結ばれた、ベイ・サウス・ガーデンに向かう。
これはスーパーツリーで、高さ22mのところにスカイウェイがあり、ここを歩くのだ。

ところが並んで待っていたところ、突然の雨でしばらくクローズと言う。
仕方なく隣接のフラワー・ドーム・&クラウド・フォーレストを先に見る事にした。



世界各国から集めた、様々な種類のサボテンが展示されている。

ここで偶然、日本人の若夫婦と幼稚園女児に会い、何故か女児と仲良くなったのだ。
先ず発端は、私がお嬢さんの声を聴いて、日本語で感嘆の声を上げていたから、声をかけた。

そこへ義母も参加して「可愛いね」とか話をしたら、なついて手を振ったり、そのうちに手をつないでくるようになった。



これは珍しい「蛸のサボテン」である。



広すぎてほんの一部しか写せないのが残念だが、枯れた花が無く良く管理していると感心する。



これはもう絶景だった。ゆらゆら揺れる。一方通行と知らず戻りかけると、警備員が制止した。左側の塔エレベーターで降りる。

ここでも女児に会い、しっかりと手をつなぐ相手を探したのは甥だった。
話を聞けば御主人は佐賀出身で、現在はタイの日本企業に勤務だと言う。
女児は、英語も話せてタイ語も少し話せるそうだ。



Mホテルに戻り、チェックインにTA君らが行ったのだが、ホテル側に不手際があった。

彼が予約したようになっていなくて、3人と3人の部屋が別の階になっていると言うのである。
大変長らく待たされた結果は、50階のスウィートルーム一室に6人が特別泊まれるようになったのだ。(一番左側の棟)

不幸中の幸いであろうか。英語が堪能なYO君の交渉力・会話力だったのだろう。
屋上が57階になるから、かなり上階の部屋である。下から見ると反り返っている。



マリーナ・ベイ・サンズに戻ると、様々な一流テナントが入っており、写真は上階下階ともバーバリー。果たして売れるのかな?



昼食は有名な鼎泰豊(ディンタイフォン)で小龍包、チリクラブ入り小龍包、チャーハン、豚肉入りチャーハン、葉物等をいただく。



ここの豚肉入りチャーハンが今回のシンガポールでは一番美味かった。



部屋からシンガポール海峡を望む。



反対側は眼下にマーライオン公園を望む。
スウィートルームは専用のエレベータ―があり、一般人は乗れない。

屋上のプールには男のみ3人が入った。先ず暖かいジャグジーに入ってからプールに入ったのだが、最初は冷たく感じ私は少しためらった。
意を決して、3人が縁まで行って万歳の写真。残念だがガリガリの裸では恥ずかしくてとても見せられない。



5098号室のスウィートルームは、入ってすぐにリビングとダイニング、左と右に別れて2寝室。風呂場とシャワールームが2ヶ所、トイレが3ヶ所、立って自転車をこぐトレーニングルームにマッサージ室、大型テレビが5台などがあった。
こちらは我々が泊まった、クィーンサイズのベッド2ケと手前にエキストラベッドを用意した。

今度は左側が私で、右側に義母、妻はエキストラベッドだった。
もう一部屋はキングサイズのダブルベッドにエキストラベッドだった。



我々の風呂。周りは大理石で何種類ものジャグジーがあり、強弱も出来る。
しかし風呂は足の長い欧米人向けに出来ており、足の短い私には不向きで、風呂から上がる時は跨いで飛び降りる感覚だったと言うのはオーバーだろうか。

ここに入るには扉があり、その中に左側に広い洗面所2ヶ所と右側にすりガラスのドアがあるトイレ、シャワー室などがあり、真正面に風呂で仕切りのカーテンがないのである。
だから、入浴中にトイレに入ると丸見えだから落ち着かない。



義弟家族の風呂は、カーテンを開ければまるで露天風呂。夜景が見える。
何と贅沢なことだろう。某都知事だった○添さんが言った「我々が安い部屋に泊まるのはおかしいでしょ」の気持ちが良く解る。



夕食の為、Mホテル地階のレストラン街に向かったところ、またしても例の女児が飛んできて、甥の手を握った。小さいとは言え、うらやましかった。冗談に20年後お嫁さんに何て話も出た。

夕食は義母のたっての願いで「うどん」系が食べたいと、選んだのが、トーストボックス。
義母と私は新メニューの太めのビーフンのさっぱりめのスープ入り、他は相変わらず辛いスープだった。今回は皆軽めに済ませた。

この後はついに「カジノ」に潜入である。入るにパスポートがいる。
もの凄い人である、バカラ、ルーレット、ビリヤード、スロットなど何でもある。
写真撮影は禁止のお触れ書きがあり。

早速甥が見本を見せる為、ビデオポーカーをやった。残念だがすぐ負けた。次に簡単なビデオルーレットをお手本と示し、その後義弟や妻などもやったがほぼトントンだった。良い遊びだった。

私はバドミントンのM君を思い出し、潔癖症のためかやる気にならなかった。

明日の朝食として、簡単に済ます為スーパーでパン等を買った。信用があるのか、パンはほとんど日本語で書いてあり、私はブルーベリー味パンだった。



シンガポール最後の夜は23:30に寝た。

シンガポール旅行 そのⅣ

2016-07-27 16:35:00 | 旅行
7月17日(日) シンガポール3日目
7時起床。天気は晴れ。
全員前日食べ過ぎたようで、朝食は日本から持参したフリーズドライの「赤飯」を少しづつ食べる。

もっとも昼食は12:00に同ホテルのハイティーの予定だったからでもある。(予約制)
それまでゆっくりホテル回りを散歩した。中庭にはプールもあった。フロントには日本の帝国ホテルから研修で来ていたKAさんがいて、案内してくれた。その他にも日本人女性スタッフがいた。



Gホテル「レスプレッソ」のハイティーは有名で、雑誌にも掲載されている。
ビュッフェ形式で、イングリッシュスタイルのアフタヌーンティーメニューだと言う。
一人S$47と高かったが、好食家(私の造語)には良いだろう。



食べる方が忙しく、料理のシャッターチャンスを逃した。
料理と人物は写っているのだが。

先ず、1ドリンクを選ぶ。私は煎茶。後は料理を取り放題。
クロワッサンのサンド、サンドイッチ、サーモン、フルーツ類、ケーキ類、最後に2ドリンク制でカフェラテ。

珍しいのは、フルーツのチョコレートフォンデュ。イチゴやパイナップルをタワーになって流れているチョコレートを付けて食べるのである。食べ終わるのに2時間かかった。
どうも皆食べ過ぎたようである。

朝、TA君がフロントに色々熱心に質問した為か、マレー系の人が我々のテーブルに来て「Legacy」なる小冊子をプレゼントしてくれた。小冊子の中には彼も写真付きで載っており、なんと52年も勤めており、72歳だと言うからビックリだった。

大型タクシーでシンガポール動物園に直行。一人S$37。世界一美しい動物園と言われ、28万㎡に約3000頭いる。



いきなりワニと思いきや、「コモドオオトカゲ」子どもではありません。



ホワイトタイガーはベンガルトラの白変種。とてもりりしい。



3:30よりゾウのショーが始まるので、急いで行ったのだが雨が降りだし、東屋のような場所はもうすでに一杯。屋根の無い観覧席に仕方なく座るが、皆バラバラ。



段々雨が激しく、傘を差しての写真はつらい。ベンチも濡れてきてハンカチもビショビショだ。
ショーは川のこちら側にいるオジサンの案内の上手いこと。エンターテイナーで盛り上げる。
もっとも隣席の女性が笑っても私は英語が分からない。ただゾウの演技で感心はした。



3頭が演技したが、子供たちのエサやりの時には4頭になっていた。S$5。美人の女の子が人参などを上げている。



チーターもカッコよく好きな動物だ。
トラムと言う乗り物で8の字形に園内を回ったが、ある運転手兼案内の上手いこと。右を見ろだの左を見ろだの、こちらも忙しい。

時々、動物名を立て続けに英語や中国語、気が付くと日本語でも話してくれて楽しい。降りる時には笑顔で「サンキュー」。



夕食は7時からオーチャードに近いニュートンフードセンターでサテーと言う焼き鳥や、ロブスター、チャーハン、空芯菜炒めなど。大きなロブスターだけで6000円したらしい。



ここが呼び込みに捕まった店。狭い店が所せましと並んでおり、客も多いから凄い回転率で効率が良い。店の前の屋外テーブル席で食べた。
流石に私は凝りたのでビールは飲まなかった。
私以外は元気に、さらにチェンドラ(かき氷)などを喜んで食べていた。



Gホテルまでは歩いて行けた。
左側がエントランスだが、右側には日本料理店の「達屋」があり、外のメニューは全部日本語だった。

帰国して義弟宅で「シンガポール」のテレビ録画を見ていたら、ここの「達屋」に高田純次が訪ねて、高級な寿司を食べていた。一貫の「マグロ炙り」が800円以上していた。

疲れもあり8:30から風呂に入り9:00には寝た。

シンガポール旅行 そのⅢ 

2016-07-27 10:51:00 | 旅行
7月16日(土) シンガポール2日目
夜中に2回ほどトイレに起きたが、時差ボケも無く自宅から持ち込んだ目覚まし時計で7時に起床。

朝食はGホテル隣にある姉妹店の「ヨークホテル」で、モーニングは一人1680円。



写真のように、ミックスジュース、トースト、スイカ、パパイヤ、ヨーグルト入りコーンフレイク、コーヒーのセットだった。

一度ホテルに戻り、下着の洗濯をする。そこでもう566部屋の用意が出来たので、移動した。
ホテルのペットボトルを、飛行機でもらったボトルに移し替えた。

再びオーチャードまで歩き、繁華街を見学。



半地下街のテナントには日本の、SONY、キャノン、ニコン、カシオ、フジフィルムを取り扱っている店を見つけ、嬉しくくてパチリ。日本の企業に頑張ってもらいたい。



ここは高島屋である。前日タクシーで通りかかった時、タクシーの運転手は『ここは「安島屋」でなく「高島屋」』とシャレた。
地下食品売り場を覗いたら、和歌山県の「桃」を市の担当者が販売していた。
残念だが、写真は被写体に家族が映り、ここには載せられない。

オーチャード駅からMRTに乗り、シティ・ホール下車。
マーライオンに向かう。天気が良い。



左に見えるのが、2日後に泊まるマリーナ・ベイ・・サンズである。
マーライオン公園は見渡す限り綺麗なロケーションで、人気スポットだから混んでいた。



シンガポールのシンボル、マーライオンは上半身がライオンで、下半身は魚の像。
マーライオンの吐き出した水を飲む。まずいなぁ。



高層ビル群の中に甥の勤めるビルがあり、2000人が勤務すると言う。
橋を渡った所にチリクラブの「パームビーチ」がある。



昼食は予定していた「ノーサインボード」のチリクラブが、材料切れと言う訳で代わりに探したのが有名な「パームビーチ」でチリクラブを堪能する。

先ずはタイガービールにチリクラブ、黒チリクラブ、チャーハン、餅のようなパン、その他。
あらかじめKAさんが周到に用意した薄手のビニール袋をはめて、まるでライオンのように、貪り食らった。手でもヌルヌルするから、始末に困る。何枚も使用する羽目になった。

フィンガーボウルで手を洗うのだが、汚れはなかなか落ちない。
確かに美味いが、とにかく私には辛い。



背面にはカニや珍しい魚が泳いでいた。



マリーナ・ベイ・サンズの屋上にはプールがあり、後日そこで泳いだのだ。



アラブストリートの見学。ここはサルタン・モスク。衣類、雑貨、絨毯などの店がいっぱい並ぶ。



夕暮れとなり、リトル・インデァ街を歩き、夕食は「バナナ・リーフ・アポロ」でインドカレー。



お皿の代わりに、大きなバナナの葉を敷く。ここにナンや料理を載せて食べる。基本は指で食べるのだが、私達はナイフにフォークをもらった。
左側は「ナン」で右側は「サフラン」。このサフランは私には合った。

止めれば良いのに又、タイガービールを注文。この時、家内が「大丈夫?」と言う忠告を聞かなかったのが、後で苦しむ事になった。反省。



たっぷりとスパイスが効いて辛い「フィッシュヘッドカレー」
白飯を頼んだら、お櫃を持ってきてドカンドカンと葉に置いて行く。しかし無料だった。

再び、タクシーでホテルに帰った。

気にしていた義母TEさんの入浴中にトイレに行きたくなってしまった。さあて困った。

ユニットバスにはカーテンがあるのだが、トイレはカーテンが無く丸見えである。恥ずかしながら声をかけて許可を取り、用を済ませた。
しかし疲れもあって、すぐにぐっすり眠られた。


シンガポール旅行 そのⅡ

2016-07-26 18:52:00 | 旅行
7月15日(金) シンガポール1日目
朝7時30分頃、チャンギ国際空港を出てすぐにタクシー乗り場に行く。

義弟と奥さんは英語が出来るので安心である。あらかじめスケジュールを組んで私もコピーをもらっていた。

今回の旅行は機内1泊、4泊5日の旅で、宿泊は3日間ともGoodwood Park Hotel(グッドウッド・パーク・ホテル)で、4泊目はマリーナ・ベイ・サンズに泊まった。

Goodwood Park Hotelを選んだのは、義母が約40年前に夫婦で泊まった思い出のホテルで、さらに割安だったからだと言う。それでも雑誌には高級ホテルと表示があった。(亡くなった義父は戦時中シンガポールに来ていた思い出の地だった)

以下、登場人物は頻繁に出るので、義母はTEさん、義弟はTA君、その妻はKAさん、その息子はYO君とする。

5人乗れる大型タクシーを呼んでもらい、先ずはGホテル行きである。Gホテルで大型の荷物を預けて再びタクシーで、カトン地区へ向かった。

やはりシンガポールは暑い。30℃位で湿気もある。だが、ホテルもタクシーも冷房で涼しい。むしろタクシーは寒い位だった。初日は私はYシャツだったので都合が良かった。



雑誌「るるぶ」を片手に、TA君があらかじめ調べてあった「金珠」と言うお菓子の店で珍しい菓子「オンデオンデ」を買って食べたり「パイナップルタルト」を購入した。

ここで日本人初老ご夫婦に会った。三重県から2人だけのツアーだ。他の方がキャンセルでも金額が変わらなかったらしい。現地ツアーガイドに案内されていた。

写真はその隣の店で、NHKでも放送された「ルマ・ビビ」刺繍店も見学する。
ビーズの刺繍の靴は、高いもので15万円はすると言う。手作りでとてもきれいだ。

下の写真は加東古董と言う骨董屋で、陽気なばあさんと話をしたり、卓上のパイナップルタルトに又目が行き、再びそれを買って食べた。やや甘いココナッツ入りクッキーだ。





カトン地区にあるプラナカン文化の有名な建物が並ぶ。



シンガポールでの初めての昼食は、カトン地区のニョニャ料理の「チリパディ」で、先ずはタイガービールに、クエ・パイティ(タルトの中にエビなど)、フィッシュヘッドカレー、ロールキャベツ(白身魚のすり身入り)でココナッツソース、エビ入りチャーハン、アヤム・ブアクルア(ブラックココナッツとチキンを煮込んだカレー)、ケペティン・バクアン(豚ひき肉・エビの肉団子入りスープ)など。
ビールは日本より苦みがある。チキンカレーの辛いこと。

この店はシンガポール№1になって、表彰状が壁に飾ってあった。

水をもらったが全然美味くない。カビ臭いのである。やはり美味いのは日本の水である。全員が水をほとんど残して、飛行機でもらったペットボトルの霧島の水を飲んだ。



シンガポール国立博物館まで2台のタクシーで行く。何と看板に日本語表示もしてある。



大人S$10のところ、全員60歳以上で$5だった。入館時にいきなり日本人学校の生徒らが20人位出てきた。

シンガポールは赤道直下の北緯1度、東経103度。国土面積は東京23区とほぼ同じ位で回りを海に囲まれている。水はマレーシアからほとんどを、管で引いている。最近は湾を堰止めたり、海の水を淡水化しているのに日本が技術提供しているようである。

国際ランキングは教育、経済など高位置で華人が74%位と多い。最近の発表でアジアでの大学ランキングは東大を抜いて、シンガポール大学が一位になった。

言語は英語・マレー語・中国語・タミル語など平等に使用するようだ。

日本陸軍はシンガポールにも攻めて、1942年2月から1945年8月まで統治した。当時の国名は「昭南島」(しょうなんとう)と言う。
年代別に展示してあり、建国者の肖像画も多く、大変分かり易かった。



再びタクシーを拾おうとしたが、通行量が多く帰宅時でなかなか捕まえられず、あちこち歩き回ったが、ただいたずらに時間が過ぎ、結局近くの地下鉄MRTに乗った。

地下までのエスカレーターのスピードの速いこと。年寄には少し危険である。
東京と同じように左側に立っている。
駅は、完全にホームドアが天井まであるので、一見電車が着いたのか解らないが、当然ドアが開く。

途中乗り換えが解らず、声をかけると皆親切に教えてくれた。TEさんには離れた場所からも、積極的に席を譲ってくれたのは凄い。

日本のような切符はなく、スイカみたいな紙製カードを購入して、それにチャージする方法だ。使い切れば返金は無い。旅行中何回か使用して記念に持ち帰った。

午後7時30分過ぎ、ホテル近くでTA君の息子と連絡を取って合流。私は持っていないが、スマホの便利さを知る。その後YO君も全日行動を共にした。彼は4年前から現地の会計事務所に勤めて資格も取った。もちろん英語はペラペラである。大変心強かった。

オーチャード道路の繁華街の地下一階のフードコートを案内してくれて、様々な料理の中からビーフンやホッケンミー、鳥の天婦羅や、ジュース類を飲んだ。
ホッケンミーの炒め料理は旨く、気に入った。

ホテルまでは歩いて5分位だった。途中セブンイレブンで缶ビールを購入。

ライトアップで美しいホテルに入ると、案内係はブータン出身でシンガポール大在学中の美人女性だった。聞いてびっくり、まだ19歳だし、その健気さにすっかり気に入ってしまった。



私・妻・TEさんの部屋は568。5階と思いきや最上階の3階だった。これがエレベーターが複雑で、何回も違うところに出たりした。

初日はTA君・KAさん・YO君は567で、566がドアで行き来できるようになっていたから、2日目は私達を566に変更してくれた。
親切に「日本経済新聞」をくれたので、相撲の勝敗が解って良かった。

全員一部屋に集まり、缶ビールと飛行機でもらったスナック菓子で乾杯。
明日の予定の打ち合わせをした。当初の予定より毎日変更になった。

初日は軽くシャワーを浴び、私は一人早めにゆったりとした手前のベッドで、TEさんは奥のエクストラベッドに横たわった。

日本のユニット式より広い洗面所であるが、一部屋で右にカーテンのある風呂と左にトイレがあり、後日困った事が起きた。

シンガポール旅行 そのⅠ

2016-07-25 11:40:00 | 旅行
久しぶりに飛行機に乗った。

会社勤めだった今から28年前の1988(昭和63)年10月にアメリカ・ハワイに行って以来だった。
この時はNCR米国流通業視察と言う名目で、成田からシアトル経由でシカゴ、ニューヨーク、デイトン、サンフランシスコのツアーで20人位だったか。
その後ツアーと別れて、会社の2人でハワイに回り、あまり話せない英語でも無事日本に帰って来られた。

今回は義弟の息子を訪ねて、5人でシンガポールに向かった。(妻・87歳の義母・義弟・その妻)
4年前には私以外の4人はシンガポールに行っているので、彼らは2回目である。
飛行機や宿泊の手配は、旅慣れた義弟がしてくれた。(7/14~7/19)

7月14日(木)夕方6時頃は土砂降りだった。 ネットで京王線は平常運転を確認して、雨は止んだ8時前に自宅を出た。

ところが、土砂降りの影響か15分位遅れているの表示あり、一瞬高尾経由で中央線かと迷ったが、それでも何とか新宿に着き、山手線経由で品川に行き、京浜急行で羽田空港国際線ターミナル駅まで行った。

飛行機は給油が遅れているのアナウンスがあり、午前0:15発予定がかなり遅れて0:50離陸であった。
飛行機に乗り込んでから離陸までの時間が長く感じられ、ぐるぐる同じところを回っているのではないかと、ハラハラしながら外を覗いたが、暗くあまり解らなかった。

ただ、離陸時はアナウンスもあるしエンジンが全開になるので、いよいよだなと思い、しばらく走ったところでフワッと持ち上がったので、無事離陸出来たと安心した。

飛行機は全日空で日本語でOK。飛行が安定した1:30赤ワインとスナック菓子2種。
おしぼりにペットボトルもいただく。このペットボトルが旅行中大活躍してくれた。

全日空は総合的な空港サービスが世界№1とある。
我々の機種はボーイング240席で、ほぼ満席。エコノミークラスのちょうど飛行機の真ん中あたりの右窓側18のH席に私は座った。

普段は寝ている時刻なのに結構、映画を見ている人がおり、私も「エベレスト神々の山嶺」を飛ばしながら見る。各席にあるから便利だ。ただ最初は操作が解らず、窓側K席の若い女性が教えてくれた。
他に「寅さん」や「東京物語」「男はつらいよ」「海街」など見ている人がいた。

しかし、ここで寝ないと現地は朝だ。機内は少し暗くなった。エコノミークラスで座ったまま寝るのはきついが、どうやらウトウトしたらしい。

気が付くと5:00朝食で鮭彩弁当と「茅乃舎」のスープをいただく。
飛行速度は910㌔/hで、通常の電車の10倍以上、新幹線の3倍以上の速さで、予定通り現地時刻6:30シンガポールチャンギ国際空港に着。(時差は1時間)

機内で記入した入国カードとパスポートを手に、緊張して入国審査をした。
以前は一所懸命「サイトシーング」と覚えたが、そこでは審査官の「帽子を取れ」のしぐさと、両手の親指を機器にかざす方法ですんなり通り抜けた。

シンガポールではガムの持ち込みは禁止である。販売もしていない。だから日本のようにガムが道路にへばり付いていない。
以前パチンコ店で椅子に座った時、柔らかいガムがズボンについて、大変困った事があった。日本もそうしてもらいたい。

空港で早速両替をする。シンガポール1ドルがほぼ80円である。(5万円がS$630だった)
全員トイレを済ませた。待合のソファーには当然異国の人で一杯である。それでも私にはアラブ系が多いと思った。

空港外は未だ薄暗い位だった。夜明けは日本より遅いようである。