北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

ヒトカラ

2015-12-27 16:14:00 | 音楽・日々是尺八
一人でカラオケをするのを、「ヒトカラ」と言うのだそうだ。

パソコンでは「ひとから」とインプットすると「人から」と最初に表示される。未だトップ表示ではない。
いま時、何でも省略で「セクハラ」「マタハラ」は、当たり前の表現になってきた。

その「ヒトカラ」を最近、新宿のカラオケ店「マック」でやってきた。
マクドナルドのマックではありません。

元々新宿では、新宿西口のパレットビル内の「歌うんだ村」の会員になっていたが、しばらく行っていなくて一年が過ぎてしまった。

そこで、もっと便利な「マック」を見つけた。会員登録をして、結構通っている。
ここでカラオケで歌うし、何より尺八でカラオケバックに演奏するのは、随分気持ちが良い。

私のヒトカラは大概2時間で、先日はたっぷり歌った。以前は最初の1時間が歌で、残りの1時間は尺八の練習をした。

「マック」は24時間営業で朝からやっているので、平日の11時から行けば会員で安い。
さらに、いつも割引券をくれて、室料20%引きや1月には60分無料券もくれる。

私が歌いたいのは、三橋美智也や北島三郎などの演歌である。

先日は23曲歌えた。
これは、以前から自分が歌うリストを作成してあり、その中から好きな曲を歌う事にしている。

先ずは三橋美智也の曲は
 「哀愁列車」「赤い夕陽の故郷」「石狩川エレジー」「岩手の和尚さん」「おんな船頭歌」「ハリマオの歌」「古城」「武田節」「星屑の街」「達者でな」「夕焼けとんび」。

今回は採点の表示が出なかったが、以前「古城」が91点でこれが私の過去最高点で、なかなかそれを越える事が出来ないでいる。

三橋美智也のキーは高いが、私は彼に合わせている。そうしないと低音が出なくなってしまうからだ。
  
最近、テレビで「カラオケバトル」を見ていて99点なんてすごいなぁ。
優勝した新妻聖子は、本当に上手いと思う。

春日一郎の「別れの一本杉」そば打ち会に来られるオジサンが好きで私の尺八伴奏で歌うので、私も練習してみた。

三波春夫の「俵星玄蕃」これは、本人の浪曲入りが好きだが、最近は島津亜矢が良い味で歌っている。

井沢八郎の「ああ上野駅」これを歌っていると、どうしても田舎を思い出して泣けてくる。

布施明の「霧の摩周湖」これは難しかったが、段々慣れてきた。もちろん歌う時には、旅行した「摩周湖」を思い出して歌う。

北島三郎の「兄弟仁義」これと、以前北島三郎ショウで尺八伴奏した「仁義」。これは私のおはこである。

クールファイブの「長崎は今日も雨だった」「噂の女」これはもう前川清の物まねである。
青木鈴慕先生は、私にいつも「長崎はーー」をリクエストして、最後の「雨だったの部分を強調しろ」とよく言われた。例の裏声になる部分である。

前川清は音質的には高音と感じないが歌ってみると、とても高くて歌えない。だから彼のキーの一音下の設定である。

細川たかしの「心のこり」は調子よく「私バカよね」と歌うと中学の友人は間髪入れずに「そうだ」とヤジを飛ばす。「浪花節だよ人生は」尺八の伴奏がいいね。

五木ひろしの「千曲川」これは毎年、蕎麦打ち会で私が尺八演奏を行っているのだが、メンバーは信州人が多く、歌ってくれる人が上田市のスナック経営者で、気持ちよく歌ってくれる。
今回は、自分が歌おうと思ったのである。
「よこはまたそがれ」は作詩者、山口洋子の追悼の意味で歌った。

カラオケで尺八を演奏するのは、慣れていないと難しい。
特にキー設定だ。尺八で演奏しやすい調を瞬時に探すのだが、歌の最初の長く伸ばす部分で音を探してみる。

そこで♯か♭を上げたり、下げたりして演奏しやすいキーを探す。
これは、カラオケの機種によっても最初のキー設定が違うだろうから、毎回同じ機種ならそのキーをメモしておけば、正しく演奏が出来る。

何事も小まめさが必要である。


安芸の宮島旅行

2015-12-14 16:30:00 | 旅行
12月7日から3日間、「秋の宮島」だと思っていた「冬の宮島」に行って来た。

世は還暦旅行だとか、フルムーン旅行だとか、良いタイトルをつけるものだが、我々夫婦は共に還暦旅行もせず、さりとてフルムーンなんて似合わない。
せめて名づけたら「カレー旅行」か。いやカレーライスでなく、そう「加齢旅行」である。

K社の「厳島神社ライトアップ遊覧と世界遺産安芸の宮島・萩・津和野・錦帯橋3日間」のツアーに参加した。総勢30名で、うち夫婦は5組であとは女性だった。女性の添乗員さんが親切で楽しい旅だった。3日間は天気に恵まれ、ご利益があったらしい。



我々は新横浜から10:09の「のぞみ」に乗車で、広島まで新幹線。右側に座れたので、天気良く富士山は雪をかぶって大きく見えた。

名古屋駅で「だるま弁当」をいただき、広島13:52着。宮島口まで山陽本線で行き、フェリーから宮島へ行く途中で厳島神社の大鳥居を撮影。



干潮の能舞台から遠くに大鳥居。(この日の干潮は13:09)



まだまだ紅葉はきれいだった。「宮島」は町の名前で、島の名前は「厳島」が正解だと言う。



大願寺にある九本松。伊藤博文が植えたとされる。



夕やみ迫る大鳥居。ここからフェリーで宮島口経由でホテルに向かう。
そして夕食後、再びホテルのクルージングでライトアップを見る事になる。



闇夜に浮かぶ大鳥居。満潮でないと鳥居の下を通り過ぎる事が出来ないので、誠にラッキーであった。この日の満潮は19:01で我々のクルージングは20時からだった。

大鳥居はクスノキで高さが約17m、棟の長さ24m、重さ60トン。その重さで土台の石の上に立っていると言う。

ホテルは宮島口のAホテルで、夕食は当然、定番のカキ鍋にカキフライだった。
私は熱燗一杯いただいた。

朝食は瀬戸内海を見ながらバイキング。旅行の朝食はおかゆと決めている。



翌日は8:00から貸切バスに乗る。山陽自動車道で一旦広島に戻り、中国自動車道で津和野に向かった。バスガイドさんが言う通り、中国自動車道はほとんど自動車が走っていない。

写真は太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)大変珍しい名前である。日本五大稲荷のひとつで願望成就などの御利益あり。
朱色がきれいで、美しい。高台にあり、津和野の町を見下ろしている。



なまこ壁が続く津和野の殿町。イチョウはもう落葉した後だった。



殿町にある武家屋敷が、今は「津和野町役場」になっている。



水路にはメタボの鯉がいっぱい。上流で護岸工事をしているため、水質が悪くかわいそう。
観賞用の鯉で、太いのは胴回り70㎝もあると言う。鯉が一か所に偏らないように、ところどころ仕切りがあり、エサは食い放題だからメタボになるそうだ。



「沙羅の木」の2階で昼食の郷土料理「うずめ飯」と「蕎麦」セットをいただく。さらに「源氏巻」なる和菓子とコーヒーも美味しくいただいた。各ツアーがわんさかとやって来る。



萩の吉田松陰を祀る松陰神社。



吉田松陰が開いた「松下村塾」(しょうかそんじゅく)。表札には「松下邨塾」と表記されている。
ここから伊藤博文・高杉晋作・木戸孝允らが育った。



奥に吉田松陰門下生の13人の写真が貼ってある。



菊屋家住宅は重要文化財。日本最古の豪商宅で主屋・本蔵・米蔵などがある。



菊屋家の庭園



美術品・民具・古書も展示されており、武士が使ったのか、尺八がまるで私を待っていたかのようだ。
見たところ右側は延べ管で、歌口も切込みが浅く虫が食って音律は悪そうだ。



高杉晋作の誕生地の敷地。1839(天保10)年生まれ。19歳で松下村塾で学ぶ。
明治維新の志士として活躍したが、29歳の若さで病死した。

萩と言ったら萩焼が有名であり、「ぐい呑み」を求めて「昭雲堂」に行く。何故「昭雲堂」か?
それは自営業時の名称に似ていたからである。

手作りだからスマートさは無いが、飲むときに唇に誠にしっくりするのである。それで日本酒を飲んだら美味さが増した。

美人の店員さんだからって、おべんちゃらを言っていたら出発時間がせまり、あわててバスに戻ったが我々が最後だった。



2日目の宿泊地は湯田温泉。キャッチフレーズは「白狐が見つけた美肌の湯」。知らなかったが、かなり有名な温泉らしい。いくつも湯船があり、無色のいい温泉だった。

バスガイドさんのお薦めで夕食後、山口市まで他の夫婦と割り勘でタクシーを飛ばし、ライトアップの国宝「瑠璃光寺五重塔」を無料で見学。日本三大名塔の一つで、全国で最も美しいそうだ。瀬戸瓦でなくすべて桧皮葺き(ひわだぶき)の屋根で、そり具合が良いと言う。運転手さんの解説が名調子だった。上手いので聞いたところ自己流だそうだ。



ここはついでに、山口ザビエル教会のライトアップも見る。牧師さんの気まぐれで、点灯する時も、しない時もあるようだから見られたのはラッキーと言うべきだった。

湯田温泉はKホテル。夕食はフグ刺しにフグ鍋、瓦焼き蕎麦。やはり熱燗一杯いただく。



翌朝ホテルを8:00出発で再びバスで秋吉台。カルスト台地だと学校で習った所に、やっと来たという感じだ。海の中のサンゴ礁が地殻変動により2億年前に隆起して、石灰岩が露出して台地となった為、大木が生えないそうだ。

特別記念物の洞窟は「秋芳洞」だから「秋吉台」とは「よし」の漢字が違うのにはびっくり。

ここで集合写真を撮る。買うつもりが無かったが、私たちが回った津和野や萩の写真集もセットになって1000円と言う事で、ほとんどの人が買ったと思う。

バスガイドさんがベテラン女性で、これが最高に弁舌さわやかで、バスの旅行中1分たりともマイクを離さなかった。本当に話が、ヘタな講談師より上手いくらいで、歴史だろうが、政治だろうが何でも知っていて、よどみが無かった。抑揚があり、面白いから眠くもならずに、良く聞いていた。まるで我々は松下村塾生だった。勉強になったのはうれしい。



これは写真の定番、黄金柱。気が遠くなるような時間をかけて出来たのには感心する。
見学中、沢井忠夫作曲「石筍」を思い出す。

洞内は一年中17度Cらしく、最初はメガネが曇った。夏は涼しくて良いと言う。



出口近くなると、地下水がこんこんと出てきて大雨の時は、溢れ出るので途中で引き返すと言う。



ここは出口。我々は上から入ったので下って来たが、ここから入る人は登って行くのである。
朝一番だった為に、混んでいなくて洞内の説明もじっくり聞けて良かった。

小学校6年次に「青の洞門」と言う劇を「学芸会」でやった事を思い出した。



秋芳洞から再びバスに乗車して、中国自動車道から山陽自動車道に入り岩国に向かった。
岩国では錦帯橋の見学であるが、その前に昼食となり、写真のように山口名物の「岩国寿司」をいただく。

これは見本であるが、これを人数分に分けるのである。
昔、岩国城のお殿様に献上されたそうだ。城は山の上だから、持っていくのに腐らない工夫をしたそうだ。

たっぷりと量があり、その上「うどん」も付いていたから、腹いっぱいだった。



錦川に架かる錦帯橋は日本三名橋の一つで、1673(延宝元年)年に創建された。
五連のアーチで、木造。ヒノキの板が広いものでは一枚100万円を越えて、普通でも30万円はするそうだ。



佐々木小次郎像。吉川英治が書いた「宮本武蔵」には、佐々木小次郎は岩国で生まれた事になっているそうだ。遠くに岩国城が見える。
1608(慶長13)年、吉川広家が築城。江戸時代に取り壊されたが、1962(昭和37)年に再建。
展望台があり、いつかは登って見たいものである。



メタセコイアが余りに美しく記念に一枚。



天然記念物の「シロヘビ」。全長2mでおとなしい。江戸時代に金運を授ける神の使いとして、保護されて増えたと言う。目は光ってしまったが赤い。



錦帯橋は往復だから、入橋券を無くすなと言われる。帰りに見た「もみじ」がきれい。



いよいよ最後の広島に向かって、再び山陽自動車道に入る。
世界遺産の原爆ドームは2年前には後ろにビルは無かったのだが、建築中である。
私には2度目の見学となった。



原爆死没者慰霊碑。埴輪の家形をモチーフにしたもので、28万人以上の原爆死没者の名簿を納めてある。毎年8月6日には追悼式が、ここで行われている。

8月9日は長崎に原爆が落ちた日だ。長崎原爆をモチーフにした「母と暮せば」の映画を早速見て来た。吉永小百合主演、二宮和也が息子役で原爆死したが亡霊で出てくるファンタジー。

平和祈念館も見たが、どうか地球上の人類が、戦争をせず、血を見ないように願ってやまない。

添乗員さんには、ツーショットの写真を積極的に撮っていただいたり、気配りが素晴らしかった。旅行は添乗員さんで決まり、と誰かのブログにあったが、本当である。

広島始発の「のぞみ」17:04に乗り、早速気を許して弁当と、宮島ビールを飲む。

外は暗闇だから景色は見えない。気が付けば「新横浜」20:44で皆さんと別れを告げた。快適な旅だった。

景信山から城山

2015-12-03 08:50:00 | 散策・ハイキング
陣馬山行きからの翌週の11月28日(土)、今度は景信山から城山に登って来た。

本来は平日に行きたいのだけれども、山頂の茶屋が土日祝日しかやっていないようだから、混雑当たり前でと思った。

晴天で、行楽日和とあって予想通り、高尾駅のバス停は大変混雑しており、早めに着いたので2台見送って座って行くことにした。たかが20分乗るだけなのに。それでも、予定した9時12分発に乗った。




小仏のバス停で降りると、すぐにこの看板がある。
9時45分登山開始。

登山・トレッキング・ハイキングの違いを調べてみると、登山とは山頂に登ることを目的にしたことを言うようだ。トレッキングは高山の山麓を歩くことらしい。ハイキングは野山を歩く感じか。カテゴリーはハイキングにしたが、ここでは山頂に登るから、低い山でも登山にしておこう。



左側に宝珠寺を見て、車も通る坂道を上がる。



ここから、小仏峠行きと景信山行きとに分かれる。
前回は小仏峠へのルートで行ったので、今回は先ず景信山に行くことにした。
いきなり右側は山道となり階段を上がる。

毎回のことだが長袖のシャツは汗でビショビショになる。ちょうどその分岐点前でオジサンが「汗取り名人」を売っていた。麻みたいな素材を粗い網目に編んだ物で、長袖とリュックの間に背負う訳だろう。うまく考えたものだ。

島崎藤村の「木曽路はすべて山の中である」を思い出させる、ただひたすらに杉の木の尾根を上るだけで、途中遠くを眺めるビューポイントは無い。



しばらく上るとやがて、小下沢分岐点に着く。休憩もせずに登る。



もうすぐ頂上手前の、今登ってきた道を振り返りパチリと。
ここで初めて下界が見渡せる。



同じ場所で頂上・景信茶屋が目の前。景信山は標高727m。



景信山に10時45分着。ここまで1時間で上がって来たことになる。
写真で混雑ぶりが分かるが、ここでは休憩にして茶屋のコーヒーをいだだく、200円。



こんなにきれいな富士山は初めてだった。



私のデジカメは安いので、鮮明さが足りない。
富士山山頂が2層に写り、安いデジカメはダメだなあと思っていたら、NHKの気象予報士が説明をしていた。横線に見える真ん中の部分の粉雪が、風に飛ばされたそうだ。



こちらは、これから行く城山だ。頂上にNTTの電波塔が見える。



11時05分に景信山を後にして小仏峠に向かうが、すぐ下にこの標識がある。

この時、下から登ってきたおじさんが声をかけてきた。
「富士山は見えますか?」と。私は笑って「絶景ですよ」と言ったらおじさんは嬉しそうだった。



小仏峠に11時30分着。ここから景信山まで走っていくグループを毎回見かける。



城山に行く途中のビューポイントから見える相模湖。



前回と同じルートのはずだったが、城山へ登頂寸前に分岐点があった。標識があったが見ずに、知ったかぶりで皆とは違う左側のルートを選び、どうせ城山に着くんだろうと思い、暗くてじめじめした道を行ったのが間違いだった。

なかなか城山に着かないと思ったら、とんでもない所に出てしまった。
写真の左側から来たが、日影沢林道の分岐点だった。幸い、城山のすぐ下だったから良かった。

そう言えば人になかなか会わないなあ、と不思議に思っていた。



城山には11時50分着。以前より大変なにぎわいだった。
ここで持参したおにぎりを2個と、春美茶屋で買った「なめこ汁」\250をいただく。なめこが大きくておいしかった。

城山には2軒の茶屋があり、右側は東京都、左側は神奈川県と県境になっている。
前回は城山茶屋でドリップコーヒーを飲んだなあ。

すぐ近くでは、おじさん達が、登山用のガスコンロ持参で、大きなアルミ製の鍋で味噌汁を作っており、さらに隣ではフライパン持参で、焼肉らしい炒め物までしていた。
当然のようにビールで乾杯であった。

私は以前、御岳山に友人と登る前にビールを飲んで大変な目にあったので、登山では飲まないことにしている。周りを見るとほとんどのグループが飲んでいる。

しかし、困るのは煙草の煙である。よく登山の途中でも、吸いながら歩くオジサンがいて、後ろから歩く私には大変迷惑で、むせ返ってしまう。山頂でもそうであるから、あわてて席を移動することがある。



城山は標高670m。後ろは八王子方面。



ここに約50分いて、12時40分下山開始。再び小仏峠に戻り、約40分で小仏バス停へ。
今回は滑って転ぶことなく無事、13時40分のバスで高尾駅に向かった。

これで以前、小仏から城山・高尾山まで行ったし、陣馬山は往復をして、今回は景信山から城山へ行ったので、次回陣馬山から景信山に行けば、点と点とが結ばれて線になり、私の頭の中では高尾山から陣馬山までがつながった事になる。

高尾駅南口で14時15分からいつものコースで「たまの里」で一杯。この日も外で待つほど満席で、マスターも忙しくて話も出来ず、彼の笑いが止まらない程だった。

高尾山から陣馬山のコースで思い出したのだが、私が新宿で自営業をしている時、お客さんに税理士さんがいた。
その人と高尾の湯「ふろっぴィ」でバッタリ会った事がある。
私は野良仕事を終えて行ったのであるが、彼は高尾山へ行った帰りと言う。。
それも、湯船でつかっている時に、隣にいるではないか。

聞いたところ毎週のように、つまり年間50回も高尾山に登っているそうだ。「陣馬山まで行った事がある」と聞いた。

それで、私はいつかは陣馬山へ行って見たいと思っていたのである。