2月6日、マエストロ小澤征爾が心不全のため88歳で亡くなった。(1935~2024年)
経歴などは新聞などで詳細に記されているので割愛したい。
小澤征爾は若い頃から有名で世界で活躍していた。
「ボクの音楽武者修行」の発行は昭和56(1981)年となっている。という事は私が43歳以降に購入した本だ。表紙のイラストが本人にそっくりである。
文章は神戸から貨物船に乗って出発で始まり、2カ月かけてフランスのマルセーユに着いた。貨物船に乗った客は小澤征爾1人で、ラビットスクーターと一緒だった。
その後のブザンソン国際指揮者コンクールで優勝してから、活躍が始まる。
「音楽」は作曲家の武満徹との対談だ。
武満徹は尺八と琵琶を使った映画音楽の「怪談」や「エクリプス」で評判を浴び、やがて1967年ニューヨークフィルの創立125周年記念に委嘱されて「ノヴェンバー・ステップス」を作曲した。この曲は尺八を横山勝也が、琵琶は鶴田錦史とニューヨークフィルで邦楽器がオーケストラと対峙した。指揮は小澤征爾だった。
「ノヴェンバー・ステップス」の日本初演は上野の文化会館大ホールで行われた。
この時、私は聞きに行っていたのだ。後にも先にも小澤征爾を見たのはこの時だけだった。この曲が終わって拍手が鳴り終わらない内に小澤征爾は舞台を降り、客席に入って来た。皆、何事かと見守っていたら、たまたま会場にいた「PPMピーターポール&マリー」のマリーの手を取り、たたずんでキスをしていた。これにはびっくりしたものだ。
尺八の横山勝也はその後、世界中で引っ張りだこになり忙しかった。インタビューでは、「この曲を演奏すると一週間身体がガタガタする」と言っていた。それがたたったのか尺八3本会(青木鈴慕、山本邦山、横山勝也)のメンバーの中では早くに亡くなった。
横山先生が世界を飛び回っている頃、尺八3本会の演奏会で、杵屋正邦作曲「第三風動」の初演が近づいており、青木鈴慕先生に言われ、山本邦山宅で私が代わりに「初演」(練習)した。
「ノヴェンバー・ステップス」は中学の鑑賞曲で娘の授業で聞いたらしい。しかし難しいと感じた音楽教師は途中で止めたらしい。
奇しくも亡くなった6日には、サントリーホールで「ノヴェンバー・ステップス」が演奏されていたそうだ。尺八は今を時めく藤原道山。
小澤征爾のレコードやCDが自宅にある。ベートーヴェン交響曲第九は良く聞いた。「インタビュー」のレコードは家内のものだ。
左上は2002年のウィーンフィルの新年演奏会のCDである。もちろん当時はテレビで直接見たのだが、感激してCDを購入したのだ。
恒例のアンコールは「ラデッキーマーチ」で、P(強弱記号のピアノ)はタクト(この時は指揮棒は無い)を小さく振り、f(フォルテ)では大きく振るが、スイングするような指揮者振りが忘れられない。
小澤征爾の死を悼み、ニューヨークフィルでは彼が好んだ「G線上のアリア」を演奏したそうだ。この曲は尺八でも演奏したことがある。早速演奏してみたい。
期せずして2月18日、NHKEテレの「クラシック音楽館」で「追悼・・・マエストロ小澤征爾」があった。2002年、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートの再放送だ。譜面なしで指揮棒も無く、両手と顔で表情たっぷりに指揮をしていた。舞台袖に映っていた観客の着物美人が気になった。