北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

飯田へ帰省・法事

2023-03-24 15:54:09 | 散策・ハイキング

3月19日は母の7回忌で飯田に帰省した。

いつもなら中央高速バスで日野バス停から乗るのだが、今回は日帰りだった。

甥の車で5人を乗せ、朝7時頃自宅を出発。天気は晴れ。中央道は混んでいなくて、どの車も120キロくらいで渋滞もなく順調に走った。

途中、トイレ休憩は諏訪湖である。今年は暖冬で「御神渡り」が無かった。
前日は松本や諏訪地方は雪、東京は土砂降りの雨であった。その為、八ヶ岳などは冠雪で素晴らしいロケーションであった。

岡谷からは空いていてスイスイと進む。駒ケ根で新鮮な空気を吸うため、いったん下車する。駒ケ岳がそびえたつ。飯田の実家には10時10分頃着く。
法事は11時30分、長源寺で行われた。お経の中には「開経偈」があり、私もある程度はそらんじている。墓参り後、今宮半平で食事。
何回か来ているがやはり「五平餅」は旨い。コース料理だったので量が多く、もう天ぷらも山盛りで、五平餅と持ち帰る人が多かった。

帰りは飯田を出たのが午後2時40分頃で、諏訪までは順調だったが小仏トンネルまでが相当の渋滞で、なかなか進まなかった。皆さんも墓参りか、桜も咲いたから花見でもしたのだろうか車が多い。結局自宅へは7時10分頃着いた。

今回は飯田行きが4年振りだったが、日帰りだったので友人とカラオケなどは楽しめなかった。

ついでに飯田関連で書いてみよう。
中学の同級生で友人の風越亭半生(かざこしていはんしょう)から「飯田弁に見る飯田人の流儀」の本が送られてきた。

この本はいわゆる飯田の方言である「飯田弁」について書いてある。
彼は以前から飯田弁についての小冊子を個人的に発行しており、10冊は購入した。
又、ラジオに出演したり、地元の新聞に飯田弁について連載もしてきた。それらの集大成ともいうべき本である。


名古屋城と熱田神宮

2023-03-07 13:46:21 | 旅行

3月3日、所用で名古屋に行った。
新横浜から新幹線「のぞみ」に乗ったが、車両に入った途端ちょんまげを結った力士が着物姿で、後ろ向きに大勢座っているのが分かった。皆、大阪場所に向かう途中だったのだ。
車内は「鬢付け油」の良いにおいがした。3人掛けの通路側縦一列で座っていた。ちょんまげの形から十両か幕下だろう。ちらっと見てもマスクをしているから、力士名は分からない。隣の席はほとんど空いていたのでゆったりだ。
曇っていたので残念ながら富士山は裾野だけで頂上は見えなかった。従っていつもある車内放送も無かった。
新横浜で「シュウマイ弁当」は売れ切れだったので、私は幕の内弁当、連れ合いは深川弁当にして名古屋に着く前に食べてしまった。

名古屋には12時前に着き、先ず観光案内所でロッカーや名古屋城行き、夜の食事処を聞き、名古屋市内の地図ももらった。
名古屋城まではバスに乗った。名古屋は大きなビルが立ち並び、道路も広いので東京と変わらないと思った。市役所前で降りる。

 

名古屋城の天守閣は閉館中だった。それでもやはり城内は広く、石垣は大きな石が一杯だ。良く上手く積み上げたものだ。天守閣の左側に見えるのが本丸御殿で、ここには入られた。
本丸御殿は慶長20年、家康の命によって建てられた。空襲にあって焼失したが復元して平成30年に完成公開した。

狩野派の豪華絢爛の襖絵に圧倒される。入り口で注意があったらしいが気が付かずシャッターを押したら、係員から「ストロボは禁止です」と言われ、あわてて解除したが、結構光って写っている。

梅枝も見事である。各部屋は12畳以上もあるような大きな部屋がいくつもあり、その大きさに圧倒される。当時はどのような生活をしていたのだろうか。

名古屋には小学6年生の時に修学旅行で来た。その時は名城公園から名古屋城天守閣を見上げただけだった。松坂屋では生まれて初めてエスカレーターに乗って面白かった。お土産に金の鯱と名古屋城を買い、今でも部屋に飾ってある。

名古屋での半日コースを調べたところ、名古屋城と熱田神宮が表示されたので、次は熱田神宮に向かった。東京と同じ「スイカ」が使用出来たので良かった。

市役所前駅から地下鉄で神宮西駅まで行く。乗って20分ほどだ。

神宮西駅を出て、何となく目の前の歩道を歩いて行くと、大きな鳥居があった。
毎年ある全日本大学駅伝対校選手権は、熱田神宮西門前から伊勢神宮内宮宇治橋まで8区間、106.8キロを走る。昨年11月6日は駒沢大学が優勝した。3連覇である。

熱田神宮は三種の神器の草薙神剣をご神体としてお祀りし、由緒ある神宮として年間700万人が訪れるらしい。境内は大楠や肌がきれいになるという「清水」もあった。
時間はたっぷりあったので、休憩所でコーヒーを飲んだ。

帰りは、名鉄名古屋本線の神宮前駅から名古屋駅まで12分だった。

ロッカーは最初に「スイカ」で精算する方法は初めてで苦労したが、取り出し時もやっとこさっとこ取り出せた。

夕食予定の「うまいもん通り」や高島屋レストランなどを見学して、泊まる予定の「アパホテル」に向かった。途中「エスカ」にも飲食店が相当数あった。
東京でも有名な「コメダ珈琲」のはす向かいに「ダフネ珈琲」があり、レンガ作りの外観がそっくりでびっくりした。調べると別会社で創業も同じ年。メニューも似ているらしい。

5時にチェックインして、身軽にして6時に知人と待ち合わせの蕎麦・酒処「みやび」に行って、日本酒と「天ざる蕎麦」を注文した。

宿泊したアパホテルは開業して未だ3年以内だったので、最新式。2階の大浴場も気持ちよかった。朝食はバイキング式で台湾大皿から好きなものを選ぶ。私はサラダ、シュウマイ、小籠包、焼きそば、小さい鯖焼き、玉子スクランブル、ソーセージ、漬物、ヨーグルト、ご飯、味噌汁だった。食後にコーヒーを飲んだら又、クロワッサンも欲しくなり、半分に切られたのをいただいた。


川端康成 雪国

2023-03-01 12:38:20 | 文化・芸術

最近、図書館で川端康成の随筆集を読んだ。中には「三島由紀夫の葬儀」や「伊豆の踊子について」などが書いてある。何十年経っても「伊豆の踊子、雪国の作者ですね」と言われるのが、気になっていたようだ。

期せずして2月12日、NHK総合テレビでドラマ 「雪国」があった。主人公の島村が高橋一生、芸者の駒子を奈緒が演じた。奈緒の演技の上手さに感心した。
途中、駒子が地唄「黒髪」を三絃で弾いて唄う場面があった。「黒髪」は尺八で習う最初の地唄である。

我が家に「雪国」があったので改めて読んでみた。精力的に読めたので2日間で読了した。
冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」はあまりにも有名で、テストに良く出題される。

川端康成の心理描写が実に上手い。古い小説だから言葉の「注解」が多い。

歌謡曲の吉幾三の「雪国」とは関係無いようだ。

一方、「伊豆の踊子」もあったので読んだが、短編だったので1日で読めた。
伊豆の踊子は何回も映画になった。
以前、DVDを借りて見たのは踊子が吉永小百合、学生は高橋英樹だった。その他にも踊子は内藤洋子や山口百恵や何人もある。吉永の初々しさ、はじかみさ等が良かった。

この作品はもう今の時代にはそぐわないだろうか。旅芸人が移動するなら、今は自動車である。

もし今撮影されるとして、起用されるとすれば誰が踊子であろうか?もちろん当代きっての人気女優だ。私の予想では芦田愛菜ちゃんだろう。学生は鈴木福君だろうか。いやもう誰でもよい。今の時代のイケメンは皆似たり寄ったりだ。

川端の随筆には気になる文章があった。「伊豆の踊子」のほとんど最後の方の文章で、読者からかなりの質問を受けたらしい。
それは以下の文章である。

「はしけはひどく揺れた。踊子はやはり唇をきっと閉じたまま一方を見つめていた。私が縄梯子に捉まろうとして振り返った時、さよならを言おうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなずいて見せた。」

ここでクイズである。
この中の「さよならを言おうとしたが」は誰であろうか?私か?踊子か?

この質問は学校の先生から受けたそうである。生徒に教えるためにだろう。
それを川端は自分で検証している。指摘を受けて「確かに主格(主語)が抜けているが、ここは踊子である」と書いてある。前段の状況から推測出来るであろうと。
私の単行本は121刷となっている、これ程印刷されても川端は頑として訂正には応じなかった。

この物語は実話であって、その後踊子たちは伊豆の大島に戻って行った。川端は踊子の兄と何回か文通をしたそうで、大島に来るように誘われたが行けなかった。踊子とも連絡が取れず、どうしているかも分からないと言っている。

「伊豆の踊子」の本の中には短編がいくつかあり、その中に「禽獣」があった。
最初のページを読んでびっくりした。気になる文章は以下の通り。
道端を振り向くと、そこは「史蹟太宰春台墓」との石標が表にある、禅寺の前であった。

この太宰春台は長野県飯田市で生まれた儒学者で、長野県歌「信濃の国」の歌詞にも歌われている。生家は中央通り3丁目で、そこには石碑と記念の松が植えられている。以前は「太宰楼」なる料亭があり、結婚式場としても利用されていた。
私は大学生の時、箏の駒瀬竹子先生に頼まれて、おさらい会で「飛躍」を演奏したことがある。その後は解体されて跡地に「西友」が出店した。

「禽獣」は小鳥の「菊戴」(きくいただき)を飼う話である。読み進めると我が家で飼っていた「カナリア」を思い出した。
長女が小学1~2年の頃、百貨店で「ローラーカナリア」を2羽つがいで買って飼った。大事に育てたところヒナが2羽も生まれて、1羽は長女の友達に上げた。
「ローラーカナリア」は鳴き声が凄い。綺麗と言うよりうるさいくらいに鳴いた。
「ルルルル」音程を上げて「ルルルル」そして「ジョビジョビジョビ」と家じゅう響き渡った。
期せずしてビデオを最近見たら、もう37年前ほどの映像だった。当時余りにも可愛いので部屋の中で飛ばしたり、籠のまま外の物干しにつるしたりした。
水を替えたり、フンの始末も大変である。ある時、外の物干し台から猫が飛びついてケガをしてしまった。近くの動物病院で見てもらったが、その影響か死んでしまった。1匹は自宅で死に、もう一匹はうかつにも逃げられて、飛んで行ってしまった。
無事を祈ったが自然界では生き延びるのは難しいだろう。