自分のブログを見ると、追加したい事が次々と出て来るので、一度アップしても毎日のように日付けが変わる。
今年1月の事であるが、テレビ朝日の「ナニコレ珍百景」に飯田市のトマツ本店の「逆さから読むとエッチな言葉」として、トラックに書いてある「ヨイタネトマツ」(良い種トマツ)が紹介された。(残念ながら私は見逃して、妻から聞いた話)
確かに逆さから読むと「ツマトネタイヨ」である。
この会社は創業100年以上になる、種苗販売店である。
当時は松尾町に昔からあり、大正8年生まれの母が女学校の頃から、そこを「可笑しい」と笑いながら通ったと話していた。
私も高校の頃、ここを通る事があり、店の上に掲げられた大きな看板に筆字で左から「ヨイタネトマツ」と書いてあったのを確認している。
飯田市の事が話題になったので、ここに飯田市の概要を記そうと思う。
飯田市の面積は658.66平方キロメートル、人口96,255人(2021年5月現在)である。
手元に「飯田市の観光ミニ事典」がある。サブタイトルは「りんご並木と人形劇の街」になっている。
この本は、亡き母が飯田信金のコラムに応募して掲載された時の、謝礼だった。
巻頭を飾るのは岸田國士(くにお)の「飯田の町に寄す」で次の通り。
「飯田美しき町 山近く水にのぞみ 空あかるく 風におやかなる町。飯田静かなる町 人みなことばやわらかに 物音ちまたにたたず 粛然として古城のごとく丘に立つ町。飯田ゆかしき町 」以下略
岸田は戦争中の昭和20年頃、飯田(当時は鼎町)に疎開して、その娘女優の岸田今日子は現在の飯田風越高校に通った。
飯田市は、江戸時代飯田城(長姫城)を中心にした城下町(旧飯田市)である。
街並みは碁盤の目のようで、小京都と呼ばれている。
城下町だけあって、町名には追手町、馬場町、伝馬町、小伝馬町、銀座などがある。
旧飯田市は河岸段丘の上にあり、遠くに南アルプスの赤石岳(3121m)や聖岳(3013m)が見え、近くには風越山(かざこしやま・ふうえつざん)(1531m)や虚空蔵山(1130m)がある。
河岸段丘の下には松川が流れ、やがて天竜川にそそぐ。
以前は暴れ天竜と言われ急流だったが、下流に佐久間ダムが出来て、少し穏やかになった。天竜下りは有名である。
以前は市田から天竜峡まで1時間30分だったが、今は弁天港から時又港(35分)と、天竜峡温泉港から唐笠(50分)まで行く。
いつの事であったか、舟会社は2社あり、その内1社に我が家の2階を事務所として貸していた。
ガイドさんの名調子を我々家族もそらんじて、今でも言える。
ただ、たった一人のおじさんがふすまに頭髪のポマードをこすりつけて臭く、その上汚して母が愚痴ていた。
飯田市は南信州で下伊那郡に入る。
長野県歌の「信濃の国」はいい歌だが、下伊那にもいい歌がある。
「下伊那の歌 その1」は元気が良く今も歌われているらしい。
「赤石は山並み青く 天竜は川並み白く 母のくに 母のくに 伊那は故郷ーーー」
「下伊那の歌 その2」は静かで落ち着いた曲調だ。
「山紫に水遠く 南の風の吹き香る 揺籃の地をーーー」
これらの曲は作詞を募集して作られ、我々は中学校で習った。
この「その2」の作詞は、我々の追手町小学校の校長先生の池田寿一氏だった。
詩の解釈が難しく、余り歌われていないようだが、いい歌だ。
飯田市の市歌があるかと検索したが、「飯田市歌」は私の知らない曲だった。
私がそらんじているのは、次の通り。
「山はアルプス赤石の 峰に輝く白雪を―――我らが飯田」
多分これも中学で習ったと思うが、検索出来ない。
小学校は飯田市立追手町小学校に通ったが、1872年設立だからもう150年近くになる。
校舎と講堂が2005年、国の登録有形文化財に登録された。
1961年NHK唱歌コンクール小学校の部で全国1位。課題曲は「わかいおじさん」でYouTubeで聞ける。確かに上手い。
追手町小学校の校歌が良い。
「長姫城の名に残る 昔のあとは変われども 今ぞ栄ゆる学び舎の 庭の教えも年事に 進みゆくこそうれしけれ」
飯田、下伊那地区は赤石山(岳)、風越山、天竜川を歌詞に入れるのが定番である。
飯田高校の校庭から望む風越山。
飯田病院の2階から望む風越山(左)と虚空蔵山。
飯田市立東中学校の校歌は
「暁の空澄み渡り 若草もゆる東野に 風越山の風そよぐーーー」
飯田高校の校歌も紹介しよう。
「赤石山は巍巍(ぎぎ)として 我が南信の骨をなし 天竜川はいだとして 我が伊那郡の血を成せり―――夏風越(かざこし)の青嵐ーーー長姫城の秋の月ーーー」と歌われる。
ブラバンでライバルだった飯田長姫高校(現飯田OIDE長姫高校)も是非紹介したい。
1954(昭和29)年、春の選抜高校野球で光沢毅投手を擁して全国大会優勝。彼は「小さな大投手」と言われた。ほとんどの家庭でラジオを聞き、町なかが静かだったと父は言っていた。パレードがもの凄かった事は写真に残っている。
飯田市は1947(昭和22)年、4月20日大火に覆われ、旧市内をほとんど焼き尽くした。我が家は火元の西側にあり、火事にはならなかったようだ。後年、酒田市で大火があった時に、過去の大火として飯田市が新聞に載った。
1961(昭和36)年6月、三六災害に見舞われた。私が中学1年生の時だった。我々は通称、三六災(さんろくさい)と言う。
今で言う線状降水帯(集中豪雨)であろうか。
町の道路は川になり、今宮球場は土砂で埋まり、川は氾濫。浄水場も土砂で埋まった為、自衛隊が給水車を出した。私も自宅前の給水車で水を汲んだ覚えがある。
通っていた東中学校の校庭は自衛隊のヘリポートとなり、授業中はパタパタとしばらくうるさかった。
飯田名物に「りんご並木」がある。
横一線にりんご並木の通りがあり、りんごの木が中央に植えられていて、東中学生の「緑化部」が草を取ったり、管理している。(実際の消毒や袋掛けは業者)
昭和22年の大火のあと、東中学の生徒達の「自分達の手で美しい街並みをつくりたい」の気持ちから誕生し、「誰もりんごを盗まない」など美談になっていると我々は道徳で習った。
収穫したりんごは給食で食べた事がある。
1975(昭和50)年、中央道の飯田インターチェンジが開通して、新宿までつながった。
従って、それまでは飯田駅からJR急行「アルプス」で上京したのが、中央高速バスに代わった。
新宿バスタから飯田駅前まで約4時間ちょっと。陸の孤島と言われる所以である。
私がつきみ野に住んでいる頃、新宿駅からつきみ野駅がこれ又、1時間30分位かかった。
今、リニア中央新幹線が話題である。工事はかなり難航、様々な問題を抱えている。
私の生存中に出来るか分からない。出来たら神奈川県橋本駅から長野県駅の飯田まで15分位らしい。夢のような話だ。
中央道掘削時に温泉が噴き出し、昼神温泉郷が出来た。
旧南信濃村の遠山郷も飯田市になり、静岡県と隣になったとは驚きだ。
未だ下伊那には飯田市より南に阿南町、下條村、阿智村、平谷村、売木村、天竜村などがある。
俳優・タレントの峰竜太は下條村出身である。
飯田、下伊那は伝統芸能が盛んで「大鹿歌舞伎」は映画になったし、遠山郷の霜月まつり、人形浄瑠璃の黒田人形座・今田人形座は有名だし、「いいだ人形劇フェスタ」は毎年夏に行われ、世界から演者が集まる。我が家も子供を連れて見せた事もある。
6年に一回お練り祭りがある。申年と寅年だから、来年3月末の3日間に実施予定らしい。
街を挙げての大騒ぎとなる。5年前にブログに書いたところ、知人がわざわざ日帰りで行って来たと聞かされてびっくりこいた。
私は毎回ほとんど見に行っている。親類も集まって来る。友人にも会える。
各地区から出し物があり、「東野大獅子」は毎回追っかけ、銀座商店会は「次郎長踊り」、本町三丁目は「大名行列」だ。
私は中学1年時に妹と「大名行列」に参加した。私の実家は正真正銘の本町三丁目だからだ。その時は鉄砲隊でただ歩くだけだった。
飯田を語る時に忘れてはならない事は、地場産業である。
水引は日本一の生産量を誇る。落語「文七元結」の話の元となった「桜井文七」の墓は長昌寺にある。
城下町だったので和菓子が美味い。どこの和菓子でも美味しいが、特に有名なのは東京銀座歌舞伎座の地下でも売っている「和泉庄」の「名代大きんつば」は甘過ぎない。
東京の百貨店の催事で出店したのは、和泉庄の他、春月の「おたふく豆」、京王ストアのチラシに載った「いと忠」の「巣ごもり」は私も買って来た。
さらに有名なのは市田柿、五平餅、馬刺し、おたぐり(馬のモツ煮)、蜂の子など。
おたぐりは実家の町内の「三ツ輪食堂」で食べられる。
蜂の子は缶詰になっており、高級品故に我が家ではお正月にお客さんに出したり、炊き込みご飯にして食べた。珍味でタンパク質が取れる。
大学生の頃、友人が遊びに来た帰りに蜂の子缶詰を土産に上げたところ、開けてびっくりして捨ててしまったと聞いて悲しくなった。
戸田屋の半生菓子は時々スーパーで見かける。かなりのシェアーらしい。
地酒は喜久水で、名水百選に選ばれた「猿庫の泉」の名前そのものや大吟醸「聖岳」などがある。地元の宴会で飲む日本酒はほとんどが喜久水である。
実家に帰った時には時々買って持ち帰る。一時期、銀座のアンテナショップ「長野NAGANO」で販売していて購入した事もある。
飯田市が日本一を誇るのは、未だある。
人口1万人あたりの焼き肉店が日本一なのだ。私が小さい頃、親父は良くジンギスカンを食べていた。
最近、新宿東口に「焼肉ジンギスカン飯田屋」が開店したはずなのに、コロナ禍だろうか、もう閉店したそうだ。
遠山郷のジビエ料理「鹿肉」「猪肉」などの鍋は、時々テレビで紹介される程だ。
いつも我々が泊まった「島畑」のおじさんが出るので、笑って見ている。
年を取ると望郷の念が募るんだに。