2月12日(月・祝)に八王子オリンパスホールにて開催された「八王子2017あきんど祭りー新春お笑いチャリティー演芸寄席」に行って来た。
2017とは古いが、昨年末に八王子商店会連合会に加盟する商店で買い物をした方に抽選で招待があった。
私の住まいのめじろ台には「めじろ台商店会」と「めじろ台駅前ショッピングセンター」がある。
実は妻の知人から2枚頂戴したのだった。チケットにはペア1000組2000名様ご招待とある。
当日は午後2時30分開場の3時00分開演だったので、八王子駅には1時30分に着き、駅ビル南館の「凛や」で昼食をとろうとした時、かなりの人数が列を作ってオリンパスホールに向かって移動していた。
それを見て1階席をほとんどあきらめていた。
「凛や」では少し待たされてから「季節の天婦羅御膳」をいただいた。ここは蕎麦が新潟の「へぎそば」を使用している。
かやくご飯、暖かい蕎麦、天婦羅、和菓子付きでボリュームもあり、美味しくいただいた。
2時過ぎに「凛や」を出て、会場に向かった。
案の定長蛇の列で、それでも開場は10分程度早めに始まり、順序よく並んで会場に入った。
かつて知っている会場ゆえ、1階の入口から右側の席をめざして急いだ。
1階席の中間の通路よりやや後ろの右側のいい席を確保出来た。前の席とは重ならず、舞台は見易かった。1階席はほぼ満席であった。
3時ちょうどに始まった。司会は桂幸丸(ゆきまる)で桂米丸の弟子である。
HPによると63歳で「芸名は音で読まないでほしい」と書いている。
この司会が実に面白く上手く、聞き易かった。時に「ものまね」を入れたりして進めた。
先ずは八王子商店会連合会の会長や、石森市長などの挨拶があって、八王子第一小学校合唱団による歌唱があった。
「上を向いて歩こう」や「たとえば君が傷ついて」と歌い出す「ビリーブ」を上手に歌ってくれた。
「上を向いて歩こう」は手拍子と一緒に歌え、と言われて歌った。この一体感がいいね。
続いて曲芸は太神楽(だいかぐら)の「鏡味味千代」(かがみみちよ)で30歳過ぎてから芸の世界に入門だと言うから驚く。
五階茶碗はオーソドックスに口に棒をくわえてその上に、バランスをとって板や、毬、茶わんなどを次々と載せて行く。時々しゃべくりもしながらの芸だから大変だ。
海老一染之助、染太郎よろしく「傘」の上に毬を回したり、最後は四角い升だ。見事であった。
「おめでとうございます」
司会を務めた「桂幸丸」は福島県出身の日本大学出であり、92歳になる桂米丸の話、物まねや「吉田茂伝」で笑わせた。落語と言うより漫談であった。
休憩をはさんだ後は「東京五輪音頭」をおばさん達がそろいの浴衣を着て踊った。
当時の三波春夫は知っているが、今度は「2020東京五輪音頭」を石川さゆり他が歌っている。
ただ、歌詞を変えて「あの日ローマで眺めた月が」が「あの日リオデジャネイロで眺めた月が」と変わっただけである。テンポは速く、踊りも忙しい。
林家木久蔵は「笑点に出ている黄色い着物の息子です」と開口一番でどっと笑いを取る。
以前より滑舌が良くなり、落語も上達した。
三味線漫談は「林家たい平の一番弟子の林家あずみ」で、「一番弟子と言っても実は私しかいないんです」
三味線を弾きながら、歌いながら、ダジャレも言いながらの芸である。
京都出身で美人の上に三味線も歌も上手い。「ここは八王子ですから、長崎ぶらぶら節を歌います」なんて笑わせる。
「おてもやん」や「おきよ しゃもじ」はそれだけの歌詞を三下り・本調子・二上りと三味線の調子(調絃)を頻繁に変えながら歌った。
大トリは「木久ちゃん」こと「林家木久扇」である。
80歳になると言うのに、TBSの収録を終えて駆けつけたと言う。元気である。
舞台に出たと思ったら、いきなり左側の客席に向かってお辞儀、真ん中でお辞儀、最後は右側の客席に向かってお辞儀をしたと思ったら、舞台の袖に引っ込んでしまった。
早速「ボケ」の演出である。「笑点」の黄色い着物でなく、普通の地味な着物だった。
一時期、喉頭がんで声が出ず「笑点」でも苦しんでいた時期があり、良く復活したと感心する。
予定通り35分間、滑舌、テンポも良く、「田中角栄」や「立川談志」の物まねや、戦時中のつらい話の中では「空襲警報」のサイレンを上手くやって拍手をもらったら「本当はサイレン鳴らして拍手をしてはいけないんですけどね。」
昭和の懐かしい歌として「みかんの花咲く丘」と「港の見える丘」を歌った。
「港の見える丘」では、「前奏が長い。青い山脈もそうですけどね。どっから歌い出していいのか?分からないような前奏なんですよ。♪バッカバッカパパァーババーバカァ」と前奏を歌い出して「馬鹿馬鹿婆ぁってなんて言ってんじゃないですよ。」など大サービスだった。
よどみなく時間内で終わらすのは流石である。
2017とは古いが、昨年末に八王子商店会連合会に加盟する商店で買い物をした方に抽選で招待があった。
私の住まいのめじろ台には「めじろ台商店会」と「めじろ台駅前ショッピングセンター」がある。
実は妻の知人から2枚頂戴したのだった。チケットにはペア1000組2000名様ご招待とある。
当日は午後2時30分開場の3時00分開演だったので、八王子駅には1時30分に着き、駅ビル南館の「凛や」で昼食をとろうとした時、かなりの人数が列を作ってオリンパスホールに向かって移動していた。
それを見て1階席をほとんどあきらめていた。
「凛や」では少し待たされてから「季節の天婦羅御膳」をいただいた。ここは蕎麦が新潟の「へぎそば」を使用している。
かやくご飯、暖かい蕎麦、天婦羅、和菓子付きでボリュームもあり、美味しくいただいた。
2時過ぎに「凛や」を出て、会場に向かった。
案の定長蛇の列で、それでも開場は10分程度早めに始まり、順序よく並んで会場に入った。
かつて知っている会場ゆえ、1階の入口から右側の席をめざして急いだ。
1階席の中間の通路よりやや後ろの右側のいい席を確保出来た。前の席とは重ならず、舞台は見易かった。1階席はほぼ満席であった。
3時ちょうどに始まった。司会は桂幸丸(ゆきまる)で桂米丸の弟子である。
HPによると63歳で「芸名は音で読まないでほしい」と書いている。
この司会が実に面白く上手く、聞き易かった。時に「ものまね」を入れたりして進めた。
先ずは八王子商店会連合会の会長や、石森市長などの挨拶があって、八王子第一小学校合唱団による歌唱があった。
「上を向いて歩こう」や「たとえば君が傷ついて」と歌い出す「ビリーブ」を上手に歌ってくれた。
「上を向いて歩こう」は手拍子と一緒に歌え、と言われて歌った。この一体感がいいね。
続いて曲芸は太神楽(だいかぐら)の「鏡味味千代」(かがみみちよ)で30歳過ぎてから芸の世界に入門だと言うから驚く。
五階茶碗はオーソドックスに口に棒をくわえてその上に、バランスをとって板や、毬、茶わんなどを次々と載せて行く。時々しゃべくりもしながらの芸だから大変だ。
海老一染之助、染太郎よろしく「傘」の上に毬を回したり、最後は四角い升だ。見事であった。
「おめでとうございます」
司会を務めた「桂幸丸」は福島県出身の日本大学出であり、92歳になる桂米丸の話、物まねや「吉田茂伝」で笑わせた。落語と言うより漫談であった。
休憩をはさんだ後は「東京五輪音頭」をおばさん達がそろいの浴衣を着て踊った。
当時の三波春夫は知っているが、今度は「2020東京五輪音頭」を石川さゆり他が歌っている。
ただ、歌詞を変えて「あの日ローマで眺めた月が」が「あの日リオデジャネイロで眺めた月が」と変わっただけである。テンポは速く、踊りも忙しい。
林家木久蔵は「笑点に出ている黄色い着物の息子です」と開口一番でどっと笑いを取る。
以前より滑舌が良くなり、落語も上達した。
三味線漫談は「林家たい平の一番弟子の林家あずみ」で、「一番弟子と言っても実は私しかいないんです」
三味線を弾きながら、歌いながら、ダジャレも言いながらの芸である。
京都出身で美人の上に三味線も歌も上手い。「ここは八王子ですから、長崎ぶらぶら節を歌います」なんて笑わせる。
「おてもやん」や「おきよ しゃもじ」はそれだけの歌詞を三下り・本調子・二上りと三味線の調子(調絃)を頻繁に変えながら歌った。
大トリは「木久ちゃん」こと「林家木久扇」である。
80歳になると言うのに、TBSの収録を終えて駆けつけたと言う。元気である。
舞台に出たと思ったら、いきなり左側の客席に向かってお辞儀、真ん中でお辞儀、最後は右側の客席に向かってお辞儀をしたと思ったら、舞台の袖に引っ込んでしまった。
早速「ボケ」の演出である。「笑点」の黄色い着物でなく、普通の地味な着物だった。
一時期、喉頭がんで声が出ず「笑点」でも苦しんでいた時期があり、良く復活したと感心する。
予定通り35分間、滑舌、テンポも良く、「田中角栄」や「立川談志」の物まねや、戦時中のつらい話の中では「空襲警報」のサイレンを上手くやって拍手をもらったら「本当はサイレン鳴らして拍手をしてはいけないんですけどね。」
昭和の懐かしい歌として「みかんの花咲く丘」と「港の見える丘」を歌った。
「港の見える丘」では、「前奏が長い。青い山脈もそうですけどね。どっから歌い出していいのか?分からないような前奏なんですよ。♪バッカバッカパパァーババーバカァ」と前奏を歌い出して「馬鹿馬鹿婆ぁってなんて言ってんじゃないですよ。」など大サービスだった。
よどみなく時間内で終わらすのは流石である。