ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

伝えるもの

2017-09-25 | アメリカ事情

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/2/2a/White_Chrismas_film.JPG




最初の子供、長女が生まれる少し前、Christening Gownクリスニングガウン(洗礼ドレスあるいは祝福ドレス)を作ろうと思い立った。型紙をあて布を裁断、それから、刺繍。キャップ、スリップ、ドレス、それとガウン。意外に早く出来上がり、やがて長女が生まれた。そして生後ひと月ほどで、長女は教会で夫によって祝福された。我家はカソリックではないので、幼児洗礼ではなく、名前と子供の祝福である。日本にお七夜参りという命名・お披露目があるが、それと似ている。勿論所属するキリスト教会によっては、幼児洗礼があるが。


その後生まれた四人も同じこのドレスで祝福された。やがて孫たちも、またこのドレスをまとった。思えば、一針一針刺繍をしていた時、いつか孫の世代でも着てもらえたら、と考えたものだ。こうやって受け継がれて行く物を作るというのは、楽しいことだ。


このクリスニングガウンはだいたいが西洋の考え方、しきたりなのに、これは日本の伝統品か、などと勘違いしていたこちらの若い女性に聞かれたが、欧米で今こうした儀式をするのは、カソリックか英国国教会かあたりくらいなのかもしれない。英国やヨーロッパの王室で子供が生まれると話題になるが、それでもクリスニングは、今は一般にあまりせず、だから知られていないのだろうか。この伝統は、子供の誕生を、名前を、親戚や友人や教会やらに知らしめて祝福するのだから、私は好きである。


夫と私が結婚した時、夫の父は、これからは、自分たちの家庭の習慣を作っていくといい、と言った。たとえば、感謝祭、クリスマス、復活祭などの家族の行事”伝統”を、という意味であった。誕生した子供の行く末を祝福する祈りには、この子が将来どんな時にも受けてきた恵み(=祝福)を忘れないように、と願いを込めたお手製のクリスニングガウンを着せて、というのが我家の最初の伝統である。そんな思いがこのガウンには込められている。祝福という言葉自体が私は好きだ。祝福は恵みと同意語ではあるまいか。



 三男の長子の祝福。三男もこのガウンで祝福された。

次男を祝福した時。やがてこのガウンを彼の娘が着た。

次男と次男の娘も同じガウンで祝福された。



寝付けない時は羊を数えるとよく言われるが、Irving Berlinが映画White Christmasに作った歌 Count Your Blessings (instead of sheep)(羊の代わりに貴方の恵みを数えなさい)は、羊数えより寝付きやすい。何故なら受ける恵みは実に数多である。これは孫たちに贈る子守唄でもある。(ここで聴けます。)以下はその歌詞。


When I'm worried and I can't sleep
I count my blessings instead of sheep
And I fall asleep counting my blessings
When my bankroll is getting small
I think of when I had none at all
And I fall asleep counting my blessings

I think about a nursery and I picture curly heads
And one by one I count them as they slumber in their beds
So if you're worried and you can't sleep
Count your blessings instead of sheep
And you'll fall asleep counting your blessings

心配事で眠れない時

羊の代わりに私の受けた恵みを数える

するとそれらを数えることによって眠りにつける

お金が少ししかない時

まったくお金のなかった時を思う

すると受けた恵みを数えることで眠りにつける

 

子供部屋の巻き毛の頭を思い浮かべ、

それぞれのベッドでまどろむそんな頭を

ひとつひとつ数えてみる

もし心配事で眠れないならば

羊の代わりに受けた恵みを数えれば

ぐっすり眠れる

 


お粗末な私の和訳だが、この歌詞の言わんとしていることはご理解頂けるかもしれない。お七夜参りも幼児の祝福の儀式も洗礼式もこれから受けるだろう恵みを忘れないように、と願うことでもあると思う。本当のところ、羊を数えると、途中で2,3頭数え間違えるかもしれないが、受けた恵みは次から次へと浮かんでくる。


不眠症でなくとも、思い通りに行かない時、思いもかけない残念なことが起こってしまった時、失望や絶望を感じる時、そんな時にも、どんなちいさなことでも、忘れていた恵まれていたことを思い出し、数えてみたら、案外人生そんなに悪くないと気づくかもしれない。どんな小さなこと、とは、雨風をしのげる屋根がある、昨日は曇天後に雨だったが、今日はからりと晴れて気持ちがいい、必ず春になれば咲く桜の花、今朝道端に咲いていた名を知らぬ野の花の美しさ、見上げる空に輝く十五夜の月。よく磨かれた銅のヤカン、茶色の包装紙にひもで縛った贈り物、少女の白いドレスにブルーのサッシュ、など、サウンドオブミュージックの「私のお気に入り」の世界である。そうした思いを込めたクリスニングガウンが我家の最初の伝統。伝えたい。

 

 

 


 

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かの地にて その2 

2017-09-24 | 他の国

高校の四年間週日の早朝セミナリーを欠かさず出席して来た娘は、これは本当に修学旅行であった。史跡を訪ねるだけではなく、イスラエルの人々の暮らしの中に溶け込んで、人間はどの地へ行っても本質同じで、良い人は良い、と言うことをしっかり見て聞いてきた。

Rの祖父母は今は快適な引退生活をしているが、国のために国民(ユダヤ人)のために、さまざまな活動をイスラエル内外でしてきて、知る世界が広い。Rの母親の兄弟は、大使として世界各国を回り、娘が訪問した当時はイスラエルに帰国していた。その兄弟の息子たち、つまりRの従兄兄弟とも楽しく過ごせ、普通の観光では触れることの出来ない現地の暮らしを垣間見て、娘には貴重な体験となった。

 

Church of the Holy Sepulchre エルサレム旧市街、ゴルゴダの丘・園の墓にある聖墳墓教会 

一触即発の状況にある中東状態。いつパレスティナ側からのミサイルが来るか分からない状況が、現実のイスラエル人を、平和に関しては非常に積極的にさせる。男女共徴兵制度があり、街中でも重装備をした兵士の姿を目にするのが日常茶飯事の国であるが、人々の死守してもイスラエルを存続させる気概を娘はひしひしと感じ、平和はただではない、と学んだことだった。

Synagogue ruin of Capernaum カペナムのシナゴーグ遺跡・四世紀の物とされる。

また娘の信仰についても、この旅行はプラスになったと本人は言う。キリストの足跡を辿るように訪ねた場所は、感慨深かった。キリストの時代を彷彿とさせる下の写真の一世紀に作られたというボートを見て、 そしてゴルゴダの園の墓を実際に目の辺りにして、3ディメンションな新しい感覚を持ってキリストのガラリアでの伝道とこの世での生涯を考えることができた、と目を輝かせて報告してくれた。

 

1986年にガリラヤ湖北西岸で発見された1世紀と推定されるボート。キリストと使徒とに関わりがあるかもしれないとされる。

この旅でRとRの家族・祖父母には、貴重な経験をさせていただいた。もともと言語が好きな娘は、祖父母の家に滞在中にヘブライ語も少し習い、最後の日に、Rの妹がヘブライ語で「わたしのxxはどこかしら?」と言った際、娘が「それなら、居間のカウチの横にあったわよ」とやはりヘブライ語でつい答えたそうだ。みな驚いたが、街で話しかけてくる若者がなにを言っているのかもほぼ理解していたらしい。六年生の時からの親友は、うちの一件先のお隣だから、お互いの家族を行き来している間に、娘は少しづつ覚えてしまったようだ。

娘は、史跡や聖跡を楽しみ、また死海での海水浴も楽しんできた。顔面は絶対に海水に漬けてはいけない、と教えられ、仰向けに死海に浸った(浮かんだ)そうである。エルサレム旧市街マーケットを歩き回ったのもよい思い出となった。レバノンとの国境近くへ行った時には、とても緊張した。これもあれも、大学一年だった娘には貴重な人生の一こまだった。


  

エルサレム旧市街のマーケットで              レバノン国境のこちら側で

 

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かの地にて

2017-09-23 | 他の国

http://p.motionelements.com/stock-video/signs-symbols/me1131184-israeli-flag-hd-a0235.jpg 

末娘には、小学校六年からずっと同級生で、隣人でもある女友達Rがいる。もう何年も前からご家族に末娘を是非イスラエルに連れて行きたいと請われ続けて、とうとう高校卒業したらということでお受けすることにしたのだ。

ご招待をお受けするや否や、格安チケットをインターネットで探し、ここからまずフィラデルフィアへ飛び、そこからフランクフルトへ向かい、そこで隣人のRと合流し、二人でテルアビブへ世界で最も安全と言われるエル・アル・イスラエル航空で飛ぶことになった。

テルアビブ空港には、Rの両親と母方の祖父母が出迎えてくれ、初めてイスラエルの地を踏んだ娘をたいへん歓迎してくださった。Rの母方の祖父は、オランダで生まれ、ホロコーストで家族を亡くしたが、オランダ人家族に引き取られて育った。その後1948年の第一次中東戦争でイスラエルが勝利し、独立したのに伴って彼は移住した。非常に温厚で、思いやりのある知識人であるが、後日、実は彼がイスラエルとアメリカでは高名な方であるとわかった。

Rの祖母もヨーロッパで生まれ、教育を得てからイスラエルに入植した。やはりホロコーストを経験している。彼女はイスラエルのガイドと言ってもおかしくない豊富な知識を娘に披露してくれたが、ただ一箇所ヤド・ヴァシェム(ホロコースト)記念館だけはどうしても足が向かないの、と言った。行くとナチスによって命を奪われた家族を思い出し、悲しくてやりきれなくなるのだ、と言う。その代わり、キリスト教徒が行きたいと思うところをみなご案内するわ、と言い、Rと娘をつれて最初にゴルゴタの丘(カルヴァリーの丘とも言う)へ向かった。

 エルサレムにあるキリストが十字架刑に処されたゴルゴダ(あるいはCalvary Hill)の丘(頭蓋骨の丘)と、The Garden Tomb 園の墓=処刑後のキリストを納めた墓所:He is not here.  He is risen. 彼はここにはおられない。。。よみがえられたのだ。(マタイ伝28:6より)


末娘がイスラエルで気に入ったのは、このThe Garden Tomb(園の墓)だ。ここに十字架刑に処されたキリストが納められて、そして復活した、と思うとその地に立つ自分の心がシーンとなったそうだ。後日、上の写真の娘を見て、Rの祖母がイスラエルの過酷な日差しを防ぐためにと被せてくれた帽子がかっこいい、と兄たちは揶揄していたが、そんなことには構わず、感激していたのが、娘の表情を見てとれる。

 Church of the Beatitudes山上の垂訓のあったとされる場所には山上の垂訓教会がある。

ガリラヤ湖北西岸、カペナウム近くにある小高い所に立つのは、ローマンカソリック教会である。カソリックではないクリスチャンには、教会堂よりも、この地がキリストが山上の垂訓を行った場であるかもしれないのが気に入る。はっきりとした場所は不明であるが、ガリラヤ湖の北西岸のいくつかの山のひとつ、と言われている。キリストが山の上で弟子と群集に語った教えは、かの黄金律(Golden Rule)も含む。黄金律は、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」である。

  

バプテスマのヨハネによりキリストがバプテスマを受けたヨルダン川

バプテスマのヨハネはこのヨルダン川の荒野で悔い改めを説き、人々にバプテスマを施していた。キリストは、彼からバプテスマを受けた後、ガリラヤでの宣教に赴いた。旧・新約聖書に登場するヨルダン川だが、娘が立つすぐ傍にはたくさんネズミが徘徊していて、気が気ではなかったそうだ。気候もそうだが、ヨルダン川の河岸も、アリゾナ州を流れるコロラド川に似ている。

続きは明日。

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秋の夜に

2017-09-22 | 私の好きなこと

https://cdn.thisiswhyimbroke.com/images/book-house-lamp.jpg

 

 

 

 

日本は9月23日が、9月22日はアメリカでは秋分の日である。秋は私の一番好きな季節で、夜長が本当に嬉しい。系図調査が命のような私でも、裁縫・手芸のような手仕事も好きだし、読書をするのもいい。読みかけの長編の本があるし、Tatting(タッチングレース)もまた始めたい。そうだ、カリグラフィのプロジェクトも終えたい。


 

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秋のお休みの日、上の写真のように、雨が降ってたら、もう最高である。蝋燭や蛍の光で読書はしないが、こんな日や晩は、読みかけのJude The Obscure(日陰者ジュード)が進むことだろう。あるいは、明るいスタンドの光で、Tattingタッチングレースを編めば、どんどん育っている孫娘達のHeiroom Dresses(伝統的な洋服=スモッキング刺繍の施されていたりする)制作に使える。



hi.pinimg.com

 

 

 

あるいは死ぬまでに作っておきたい下の写真のようなイルミネイション付きのカリグラフィ本も作りたい。イルミネイションと言ってもクリスマスライツのようなことではなく、顔料や金銀の粉やインクと膠(にかわ)を使って装飾する本のことである。装飾写本と訳されるが、写本でなくても構わない。カリグラフィは、子供達が幼かった頃、図書館で本を借りて独学してきたが、その後大学でクラスを取り、装飾写本に魅せられた。いつか一ページでも作ってみたい。秋の夜長プロジェクトにぴったりと思える。



i.pinimg.com

 

 

 

すっかり秋の夜長を待ちわびながら、どう過ごそうかと計画していると、気がついた。今年のDaylight Saving Time(サマータイムあるいは夏時間)の終わりは、11月5日である。だから、まだまだ本格的な秋の夜長は始まらない。それに最近の私は早寝早起きの癖がしっかりついて、夜長だと喜んでも、7時半を回るともう寝てしまう。その代わり朝は4時には起きられるから、私の秋の夜長は朝4時からになるわけだ。それでは秋の朝長を楽しもう。

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鶴の一声

2017-09-21 | アメリカ事情

http://triangledq.com/wp-content/themes/TriangleDQ-Theme/img/orange_Julius.png

 

子供は、言って聞かせることも大切だが、本当は働く親の背を見させておくことがもっと重要かもしれない。親の言うことを親が実際に行うこと、と言う意味である。育児は一長一短の仕事ではない。そんなたいした親ではない私なので、私はもっぱら夫に感謝している。

私には五人の子供達がいて、そのうち真ん中三人は息子である。その息子達はみな父親になった。三男は二人の幼子を持つ。この息子達がクリスマスや夏休みで我家に来ると、実に甲斐甲斐しく子供達の世話をするのを目に出来る。ダイパーチェンジから食事から、遊びのお付き合いにお散歩も何から何まで筆頭にたって、妻達を助けながら、育児をしている。世に言うイクメンをして、それを心から楽しんでいる。

忙しい新米医師の長男と孫娘。暇を見つけては、妻を手伝い、育児に勤しむ。

三人とも二年間のキリスト教会伝道を経験しているから、掃除をはじめ洗濯や料理もできる。ひとりは簡単なボタン付けができるし、ひとりはアイロンのかけ方が上手で衣服のたたみ方も高校生時代クリーナーでアルバイトをして取得した。もう一人は、高校生時に、家庭科の調理クラスを一学期取り、オレンジジュリアス*の作り方さえもマスターしている。

*Orange Julius はアメリカのフルーツドリンクのチェーンストアで、1920年代後半から現在に至るまで営業している。元祖と言うべきドリンクは、氷、オレンジジュース、甘味料、ミルク、卵白粉、ヴァニラを攪拌したオレンジジュリアスと呼ばれる飲み物である。


三男と孫息子ーこの孫息子の最初の言葉は、Dada(Daddy)であった。そして義理息子と孫息子

 

私の夫は結婚した最初の日から、家事を夫の仕事、妻の仕事と分けずになんでもこなしてきている。食事の支度は勿論、後片付けもするし、買い物もする。庭仕事をしたり、家庭菜園もしてきた。ボーイズとキャッチボールをしたり、レスリングをしたり、ということはなかった夫だが、土曜日の朝は決まって外仕事をして、遊び半分の息子達と働いた。しかしながら、息子達はおかげで効果的な芝刈り、家庭菜園のやりかた、掃除の仕方、などを夫の背からしっかり学んでいったようである。

私は家事は苦手ではないが、大好きでもない。その時間死者とのお付き合い(つまり系図調査)に費やすことが多い。裁縫(制作・直し)の必要があれば、ますます家事をやっていられない。クラスを取っていた時も、同様で、ますます夫には主夫をしてもらった。夫に感謝する気持ちを言うと、出来る人が出来る時にすればいいことだと、笑う。そんな夫を見て育った息子と娘達。娘達の夫達もいつのまにか息子達のようになっている。

しかし本当のところ、実は母親(つまり私)の一言が息子達のイクメンの決め手となったのかもしれない。

夫がふんぞり返って何もしないと、必ずや妻に離婚される、である。これは夫の幼馴染でずっと親しくしている白人の友人が、家事に育児に100%知らんふりをして、ひとつも妻を手伝ってこなかった。そして結婚18年目にして、我慢の限界に達した妻が彼を家から追い出し、離婚した。私達夫婦が、結婚したとき、文化が違うから、離婚の憂き目に必ず遭うだろう、とさえ言っていた人が、そうなった。これは息子たちには、格好の反面教師であった。そして私達夫婦は今年結婚して36年となる。

次男と孫娘ミッドサマー=夏至祭デビュウ:ママに作ってもらった花かんむりを初めて被ったこの夏


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