物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

20190921 白山長滝神社

2019-09-28 | 行った所

白山には3つの馬場がある。馬場といっても乗馬の練習場などではなく、ばんば、と読んで白山禅定道の起点となるところだ。禅定道とは山頂までの道だそうだ。越前は平泉寺、加賀は白山比咩神社、美濃は長滝神社、それぞれが九頭竜川、手取川、長良川と、白山に源流を持つ河川に対応する。富山の庄川も白山源流だが、禅定道はない。



苔寺の異名もある平泉寺は、今は正確には平泉寺白山神社というらしいが、杉木立の根元に緑の苔絨毯を敷き詰め、粛然とした佇まい、近年の発掘調査の成果あいまり石の文化を伝え、盛時の面影と迫力を充分想像させてくれるところだ。
白山比咩神社は、これは何というのか、流行っているお宮さん、という感じで、禅定道?馬場?どこ??という感じ。わずかに神馬の実物大がそれっぽいかと。手取川をさかのぼり、笥笠(けがさ)中宮神社まで行くと多少禅定道の雰囲気はあるがあまりにも寂れ果てた感がある。ここの石碑に、安元年間の鵜川騒動に関して笥笠中宮が強訴の領導であったと記されていた。

長滝神社であるが、もともとここが一番小さかったようだ。白山は「こしのしらやま」と呼ばれた山ではあるし、開山を伝えられる泰澄も越前の出身となっている。美濃から見た白山は一種の裏側から見ているようなものではないか。とはいえ一時はそれなりの勢力も張ったらしい。しかし白山として強訴に参加したということはないようである。








3馬場は力を合わせて、ではなく白山の支配権をめぐり、しばしば対立、訴訟沙汰に及んでいるが、どうも長滝さんは勝ったことがないようだ。


境内に郡上一揆の宝暦騒動の碑があった。近くの資料館にも資料があった。小冊子があったので100円で買って帰ったがまだ読んでいない。

長滝神社のすぐ脇が長良鉄道の白山長滝駅だ。単線でプラットホームがあるだけの駅舎だ。長良鉄道はかつてJR越美南線だった。福井県側はまだ越美北線として走っている。南線・北線をいつかは繋ぐ、という計画だったそうだが、つながる前にこの辺りの鉄道の時代は終わったようだ。


資料館の脇が道の駅で鮎の幟があり、アユが食えるかと喜んだが、時間が早くてダメだった。
高山へ行ってIC近くでラーメンを食べた。
高山の街は雨の中を外国人らしい観光客が飲食店に列を作っていた。そのまま高山は通過し、361号線、山間の道をひた走り木曽へ向かう。

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20190727 鵜川 白山 2

2019-09-28 | 行った所

私は、どうやら7月27日に小松の鵜川あたりをうろついた後、白山比咩神社、ついで笥笠中宮神社へ行ったことを書き忘れていたらしい。物忘れしないためにやっているというのに、書くこと自体を忘れていれば世話はない。

今更書くといっても既に2か月も前の事、写真を幾つか貼ってお茶を濁しておく。







白山比咩神社に隣接する金剣宮




手取川をさかのぼり中宮へ






笥笠中宮は鬱蒼たる森に囲まれていた。

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20190921-22 9月旅

2019-09-28 | 行った所

当初は9/21土出発、長滝白山神社経由で信州に入り、木曽・諏訪・上田・長野・小布施・上越に出て日本海側を帰ってくる2泊3日の予定であった。それが台風17号がやってくる、というので1泊2日に変更したのだった。もっと言えば、この旅は7月の連休を利用するつもりだったのだが、都合がつかなくなり一度キャンセルしているのだ。小布施では北斎を見るつもりだった。8月に東京へ行った時も墨田の北斎美術館は休館という始末で、私は北斎に振られっ放しだ。

それはともかく9/21朝雨の中を出発し、福井ICから中部縦貫道を大野まで、大野からは下道で九頭竜湖に沿って走り、油坂から白鳥へ。そこから長滝神社へ行き、白山文化資料館へ入り、道の駅でアユが食えると喜んだら、時間が早くて出せないと言われた。東海北陸道を北上、高山でラーメンを食べ、361号線へ出て、山道を延々と走った。途中で乗鞍岳と御嶽山の間を走っているとわかったが天気が悪いので何も見えない。漸く木曽へたどり着く。
宮ノ越の義仲館を見、南宮神社、旗揚げ八幡、義仲屋敷跡、巴ヶ淵、をたどり、木曽福島の宿に入る。
翌朝、木曽福島の宿場を少々見る。そこからあまり天候が悪ければ、木曽の桟経由で帰っても仕方なかったのだが、雨はやみ薄日もさしてきている。諏訪まで行くことにする。予定外だった大田切城も行く、ということで権平峠経由で伊那へ入る。権平峠はトンネルだった。天竜川沿いに下り、駒ケ根市でようやく大田切城趾を見つける。駒ケ根の博物館を2つ覗くも当て外れで、諏訪へ行く。諏訪大社下社で、駐車場ですぐ、手塚太郎光盛の城跡の案内板があった。ラッキー。諏訪大社は上社と下社があり諏訪湖を挟んで小高い場所にある。しかも下社には秋宮と春宮、上社には本宮と前宮、計4つの神社があるという。秋宮の資料館へ行くと、手塚光盛の兄の金刺盛澄の資料があった。
うな重で鱈腹となり、春宮へ。近くの御柱館へ行く。曲がる場所が分からずまごまごしたが、ここは面白かった。教えてもらった木落坂まで行く。さらに諏訪湖の周りを一周、と思ったが、道が混雑しており、引き返し、岡谷ICから帰途に就く。
諏訪で遊びすぎたか、遅くなり、さらに恵那で1時間の渋滞に合い、瑞浪まで下道を走り、と遅くなった。移動距離の長さを少し甘く見たようだ。

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