物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

20191123-24 彦根城

2019-11-25 | 行った所

 23日土曜日に泊まった宿が、彦根城隣接の玄宮園の夜景見物の送迎をしてくれるという。20時出発、21時に戻るというプラン。大きな見事な庭園でした。ライトアップに紅葉が池の水面に見事に映る。場所によっては石垣の上の天守も映り込んでいる。


翌日は朝早く出て9時には駐車場に着いたというのに第一駐車場は既に満車。すぐ別の駐車場に入れたけれどすごいもんだ。
彦根城の天守そのものはそれほど規模の大きなものではない。サイズだけ言えば丸岡城に比しものすごくでかい、というほどではない。規模の違いは城域だ。広い堀、石垣をめぐらした城の城域が恐らくほとんど残っている。人口10数万都市の彦根の町の真ん中に一里四方の城がある。だからか車の道路事情はいいとは言いかねる。大変な混雑、というより渋滞して全く動けない。特に昨日はえびす講のお祭りがあったとかで、ナビが示す宿へ行く道は通行止めで、迂回路は大渋滞、たまらず脇道にそれたらびっくりするような狭い路地に入ってしまい、抜け出るのに四苦八苦した。城下町の敵侵入を阻害する見通しが効かない狭い路地、あれはそれそのものだった。そんな路でも車を停めた家がある。どうやって出入りしているのかと思うほどだった。

しかし城は素晴らしい。大変な数の観光客が要りこんでいるはずなのに余裕の吸収、それだけの広さがある。下りて玄宮園に回る。



昼間見ても素晴らしい庭園。井伊家の富はすごいものだったに違いない。





玄宮園脇に楽々園というのがある、井伊直弼の生まれたところだそうだ。ここの御茶座敷は地震の間と呼ばれるらしい。屋根が瓦でなく杮葺きで軽く、基礎が建物の規模に比し頑丈、筋交いなども多いようだ。地震があっても取敢えずここに入れば安全ということか。
平家物語第12巻は元暦2年(1185)京都付近の大地震を伝える。後白河は庭に幄舎を張り避難したとある。テントのようなものをこしらえてそこに避難したというのだろうか、建物の倒壊を恐れたのだろう。

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20191123 竹生島

2019-11-25 | 行った所

何年か前、竹生島へはマキノから渡った。その時まで竹生島というのはなんとなく琵琶湖の真ん中辺にあるような気がしていた。その時初めて随分北に寄ってあるのだとわかった。今回は彦根からだから、マキノからなどよりかなり時間が掛かる。フェリー片道40分だ。島内滞在1時間と少々で同じ船に乗って帰ってくる。でも心配はいらない。何しろ小さな島だから1時間でも余るほどだ。












経正の形跡は毛ほどもなかった

彦根港には猫がいた
  
釣り人のおこぼれを待っている


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20191123 依智秦氏の里古墳公園

2019-11-25 | 行った所

この辺りも秦という地名らしい。予備知識無くたまたま見かけた案内板に惹かれていってみた。

かなりの敷地によく封土が残ってるな、という円墳が点在。古墳時代後期の横穴式石室だが2種あるようだ。
秦氏の古墳というと京都太秦の近くで見たことはあった。

玄室への入口はふさいである





コウモリ塚玄室

コウモリ塚図

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20191123 湖東三山

2019-11-25 | 行った所

湖東三山とは琵琶湖の東岸 彦根市の南の山がちなところに北から西明寺・金剛輪寺・百済寺、百済寺はひゃくさいじと読むのだそうだ。いずれも紅葉の名所だそうだが行ったことがない。真ん中の金剛輪寺近くに北陸道のスマートICがある。
行ってみることにする。紅葉といっても楓や桜、要は落葉樹は皆紅葉するわけで、わざわざ見に行くものかな、と思っていたのだが、行ってみるとさすがに名所というだけはあってなかなかのものだった。寺の規模も思っていたよりずっと大きな山寺で随分歩いた。

西明寺


頼朝が来たっていつだろう、2回上洛しているうちのどちらかだろうが

不断桜
本当に桜だった。冬桜とは聞いたことがあるが、見たことなかった。


苔も美しい





金剛輪寺

水子供養なのだろう、小さな石仏が涎掛けを着け、風車を持ってびっくりするような数がある。参道の両脇に果てもなく続き、少し開けたところにもぎっしりだ。石仏は昭和以降のものがほとんどのようで、商売上手の寺とみた。









金剛輪寺の入口に隣接して愛荘町立 歴史文化 博物館というのがある。金剛輪寺の元本堂にあったという金銅造聖観音坐像が展示されていたが、これはレプリカで、本体はボストン美術館だという。ボストンの特別許可を得て模造した、という代物。フェノロサの同行者ピゲローにより持ち出されたらしい。明治の神仏分離令・廃仏毀釈はこのように相当大きい寺にして本堂仏を売り払うような状態だったようだ。


朝早く出たので西明寺に駐車場に入ったのは9時前で、駐車場は余裕だった。金剛輪寺も入れるところがあった。しかし金剛輪寺から出るときには駐車場は満杯、臨時駐車場まで車が列を作って待っていた。さすがオンシーズン、好天気の連休。


百済寺

百済寺は少し離れている。参道の入口か「下馬」と書かれた石柱のある公園があった。その公園でなんと檜皮の採取中だった。
私はスギとヒノキの区別が怪しく、これがヒノキだったかと改めて驚く。皮をはいだヒノキの地肌は赤く、まるで朱塗りの柱のようだった。近くに止まっていた車には「社寺屋根工事請負」と書かれており、石清水八幡の屋根も現在同じ会社でしているとのことだった。







結局百済寺までは行かずに彦根へ向かう。この次にしよう。

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