23日土曜日に泊まった宿が、彦根城隣接の玄宮園の夜景見物の送迎をしてくれるという。20時出発、21時に戻るというプラン。大きな見事な庭園でした。ライトアップに紅葉が池の水面に見事に映る。場所によっては石垣の上の天守も映り込んでいる。
翌日は朝早く出て9時には駐車場に着いたというのに第一駐車場は既に満車。すぐ別の駐車場に入れたけれどすごいもんだ。
彦根城の天守そのものはそれほど規模の大きなものではない。サイズだけ言えば丸岡城に比しものすごくでかい、というほどではない。規模の違いは城域だ。広い堀、石垣をめぐらした城の城域が恐らくほとんど残っている。人口10数万都市の彦根の町の真ん中に一里四方の城がある。だからか車の道路事情はいいとは言いかねる。大変な混雑、というより渋滞して全く動けない。特に昨日はえびす講のお祭りがあったとかで、ナビが示す宿へ行く道は通行止めで、迂回路は大渋滞、たまらず脇道にそれたらびっくりするような狭い路地に入ってしまい、抜け出るのに四苦八苦した。城下町の敵侵入を阻害する見通しが効かない狭い路地、あれはそれそのものだった。そんな路でも車を停めた家がある。どうやって出入りしているのかと思うほどだった。
しかし城は素晴らしい。大変な数の観光客が要りこんでいるはずなのに余裕の吸収、それだけの広さがある。下りて玄宮園に回る。
昼間見ても素晴らしい庭園。井伊家の富はすごいものだったに違いない。
玄宮園脇に楽々園というのがある、井伊直弼の生まれたところだそうだ。ここの御茶座敷は地震の間と呼ばれるらしい。屋根が瓦でなく杮葺きで軽く、基礎が建物の規模に比し頑丈、筋交いなども多いようだ。地震があっても取敢えずここに入れば安全ということか。
平家物語第12巻は元暦2年(1185)京都付近の大地震を伝える。後白河は庭に幄舎を張り避難したとある。テントのようなものをこしらえてそこに避難したというのだろうか、建物の倒壊を恐れたのだろう。