土山宿
それっぽい道を走ったものの今ひとつピンとこずにいたが、斎王垂水頓宮趾の看板を見つける。歩いてたどってみる。
最初はよくわからず裏側からアクセスしたような格好になったが、国道を渡り茶畑の間の道を行くといいのだ。
ここはとても気持ちのいい素敵なところだった。
何か作業している人達が今日、斎王行列のお祭りなのだがコロナで中止になったと言っていた。なまじ良いお天気なのが恨めしいと云った。
国道を西へ走り[あいの土山]という道の駅に入る。それなりの人が出ている。聞こえるのは斎王行列が残念の声。ここの宿場地図をじっくりと見、街道へ入る。この辺りの方がより整備されている。
道の駅の前に大きな神社が見え、田村神社という。坂上田村麻呂を祭ったところだとか。鈴鹿の盗賊か何かをやっつけたそうな。道の駅の近くで蟹が坂飴というのを竹の皮に包んで売っている。近くの坂で悪さをする蟹の妖怪もいたそうな。
街道は田村神社の前を通り山へ入っていくようだが通れないので国道を行く。1号線だ。鈴鹿越えになる。
国道はトンネルであっさり鈴鹿峠を通過。悔しいので車を止めれるところを見つけると降りて歩いた。道標には0.6キロメートルとあったのだがその倍はありおまけに登山道みたいなものだった。
途中の坂ノ下というのはとてもこんなところに宿場があったとは思えないようなところだった。
ともかく、東の箱根、西の鈴鹿の難所越え。
関宿は一番観光化が進んでいるようで、観光客が多い。コロナで閑散としているはずがこれなのだから、普通の連休ならさぞ混雑するのだろう。
時代劇の書割みたい。
古代の三関という物がある。愛発。不破・鈴鹿だ。壬申の乱後作られたという。愛発は北陸道、敦賀の南で滋賀県境辺り、不破は関ヶ原でこれは確定している。鈴鹿の関だがあの峠の中というよりこの関宿当たりらしい。ここは大和街道との追分となる。鈴鹿越えの道は阿須波道と呼ばれ大和街道に比して新しい道で平安時代になって使われる。壬申の乱のころにはなかった。
関からは高速を使い、七里の渡しを伊勢湾岸道で通過する。鳴海に向かう。