平家物語では度々出てくる厳島神社だが、改めて拾うと
先ず、第二巻「教訓の事」治承1年(1177)6月の事、鹿が谷の陰謀が漏れ、後白河側近たちが殺されたり、流罪になったりするのだが、清盛は武装をしていきり立っている。この時清盛は厳島明神から賜った銀蛭巻小刀指している
続いて同じ第二巻「徳大寺厳島詣出の事」 治承1年11月の事。徳大寺実定は平家の繁栄に出世の手蔓なく嘆いていた。そこで厳島詣でをして、清盛の歓心を買うことにする。作戦は図に当り、、という話である。
同じく第二巻「卒塔婆流の事」鹿が谷事件で鬼界が島に流された平康頼の後日譚。島で作った卒塔婆が厳島に流れ着き、康頼・藤原成経は許され京へ戻ることになる話。
次は、第三巻「大塔建立の事」 治承2年(1178)めでたく徳子に男児が生まれる。娘の男児出産を祈って、清盛は厳島へ月詣でしていたのだった。更に清盛と厳島の関わりとして、安芸守の時、高野山を修理6年がかりで行った。その時老僧が現れ厳島の改装を勧め姿を消す。清盛は厳島の大改修を行い、厳島に詣でる。小長刀賜る夢を見、目覚めると刀があった。これが「教訓の事」で清盛が帯びる刀である。
第四巻「厳島御幸」治承4年(1180)3月 譲位した高倉院が厳島に詣でる
第五巻 治承4年も秋となると反平家の烽火がきな臭い。「物怪の事」舞台は福原、ある青侍の見た夢である。神々が会合をしている席から厳島明神が追われ、八幡菩薩が清盛の刀を取り上げ頼朝へ渡すことにするという。如何にも後付けの夢である。
治承寿永の源平合戦には厳島は出てこない。
承安4年(1174)3月にあったはずの後白河院の厳島詣でも出てこない。これは建春門院滋子も同行したはずである。
平家物語の人々は瀬戸内海を船で旅して厳島に至るのであるが、我々は宮島口から船に乗る。10分ほどの乗船である。

弥山
鳥居修復中

干潮だったので鳥居近くまで行ける。

能舞台
以前来た時には満潮時だったのか、水に浮かぶ社殿だったように思う。
清盛神社なんてのもある。新しい。
清盛神社辺りから本土を見る
宝物館で平家納経を見る。あきれるような工芸品だ。紙、料紙からしてが凝りに凝ったものだ。彩色、描画、そして文字。
読み解く力はないが見たかったし、見てよかった。


↑宝物館前にあった大鳥居の根元
後白河が手植えしたという松があった。↓



後白河御手植えと称する楠は京都の新熊野にあり、それは800年を超す樹齢を誇っていた。
本殿

勅使の渡る橋だそうだ。
こけそう・・・


これは戦国時代
