幕末から明治期に日本にやってきた欧米人は高台が好きだったらしい。横浜でも神戸でも、西洋館・異人館と呼ばれるものはたいてい高台にある。西洋式馬術・競馬などが行われた横浜市の根岸も高台だ。あちこちにあったであろう馬場は気に入らなかったか。
競馬場の跡地は広大な公園になっている。その一角に馬の博物館がある。
明治以降の資料しかないのかと思ったらそんなことはなく、種としての馬の進化、ヒトとの関わり、馬具についてなども多彩だった。馬の骨格標本も多数集められており在来馬も数種あった。
日本で馬が広がるのは5世紀だ。それ以来馬の有用性が疑われたことはなかったはずだ。馬は身近でどこにでもいる存在になった。ただ馬車はなかった。道路事情はあったろうが、荷車や牛車はあったのだ。何故馬に引かせる車が使われなかったのかはわからない。もっぱら騎馬、馬借などの運搬、農耕に使われる。その馬が、特に日本古来種、在来種、和種馬が少ない事情をここで知った。明治以降、主に軍用馬にするため体の大きな輸入馬を種馬とし、在来種のオスの断種を行っていった。なんと1954年まで行われていたのだ。家畜に品種改良は付き物ではある。サラブレットなどは人工で作られた馬の典型だろう。それにしてもわずかに残った在来種の馬のなんと可愛く愛らしいことか。
馬車道は馬車が通行していたのだろう。 *馬車道の牛馬飲水場
*馬の博物館展示から
映画「れいわ一揆」の中で馬を連れたやすとみ歩は、東京駅前、明治神宮駐車場などで追い出されている。馬車道でも同じだったろうな。
横浜には古い風格ある建物が目立つ。
神奈川県立歴史博物館は昔の横浜正金銀行の建物だ。
この博物館は如何にも古くからの博物館らしい展示で、通史だが、鎌倉時代中心の相模の武士団・後北条氏・横浜開港などが特に詳しい。一部を除いて写真撮影OKだし好きなところだ。
横浜市開港記念館 修理改修中で休館だった
神奈川県庁 昭和に入ってからの建物のようだ。
花盛りの山下公園からベイブリッジを望む
噴水と氷川丸
中華街